Ω2 短編SFスリラー「人間AI」


原作・江戸川乱歩 人間椅子










稚拙ながら、敬愛する江戸川乱歩に、捧ぐ










「佳子さん、おはようございます。今日もいい天気ですよ」
ホームサポートAIである結(むすび)がロボットとは思えない、流暢な言葉で優しく起こしてくれる。

今、世間ではAIによる業務の短縮化、簡略化の波が人々の生活を取り巻いている。
単純な倉庫の仕分け作業、書類の作成やリスト化、そしてそれに伴うセキュリティ。
業務のデジタル化は、人間の仕事のみならず、生活にも浸透しつつある。

住居の完全AI管理化だ。

住宅のAI化は、人が居る時はその人が最も快適に過ごせる様に取り計らうのはもちろん、夕飯が決まらない時の簡単な雑談相手から、病気の時には症状を伝えれば医療データに則り、診断が可能。
また自宅に誰も居なくなれば、自動で施錠し、万が一見知らぬ人間が侵入したとしても、顔認証に家族を登録しておくことで、何者かが侵入した時は速やかに家主に報告してくれたりと、防犯にも役立っている。

佳子の住居も例に漏れず、佳子夫婦が家を建てる時、住居のホームサポートAIは標準設備として備え付けれれていた。
初期設定で名前を付け、住人の顔を学習させ、まるで産まれたての子供を育てるような気持ちだった。
「これから、私たちの生活をサポートしてくれる頼りになるAIなのだから、家族の一員になれるような名前しよう。」
そうして付けられた名前が結という名前だった。
結という名前は、AIも家族の一員である、人とAIの友好を結びたい、協力を結びたい。そういう意味でつけた名前だ。

「佳子さん、今朝のトピックスを纏めました。お聞きになりますか?」
朝、ホームサポートAI結が、佳子の興味を引き立ててくれそうな事柄を教えてくれる。
政治、経済、事件や事故、そして科学技術の新発見や発明。

佳子の興味を引いたトピックスは新技術のニュースだった。 
「これが今日の目玉かな」
内容は新技術の開発にまつわるもので、いずれPCやスマートフォンを使わずに、脳をインターネットへ直接繋げる事でネット情報へ、より手軽にアクセスできるようになるというもの。
まだ研究段階らしいが、人間の意識をデジタル化し、欲しい情報をより感覚的に探し出す為の新技術だという。
実用段階ではないものの、この“意識のデジタル化”は可能になったらしい。

「まさか私が昔書いた未来が実現する世の中になりそうになるとは、すごい時代になったものね」
“未来を見透す、次世代の美しき女流作家”。
それが佳子の世間での評価だ。
齢30半ばを過ぎてこの評価は、佳子にとってはいささか過大評価とも思うし、まして作品の評価ではなく自身の見た目に対する評価はあまり好ましいとは思ってもいなかったが、それでも結果として佳子の作品は世間に受け入れられてはいたので、そこまで気にも止めていなかった。
佳子の作風はサイエンスフィクションが多く、嘗て書いた作品の中にもインターネットの中に入り人々が交流する小説を書いていた。
それゆえに、“未来を見透す”などと言われたが、佳子からすればそれはただのフィクションであった。
実際に、人間が意識を電子化して、インターネットの世界に入るなど、佳子の想定ではもっと遠い未来であり、空想上の産物でしかなかった。
どこか近い世界の話しだけど、どこか遠い世界の話のように感じていた。
そうして結は作家である佳子に日々、情報というアイデアを提供してくれる。

この他にも政治ではどこかの国で絶えず起こる紛争の話から、身近な話しだと、どこかの地方で起こった残酷な殺人事件の顛末を聞いたりしながら、情報を取捨選択していき、次回作のアイデアにする。
このざっくばらんな情報を結から聞きながら、コーヒーを飲むのが佳子の日課だ。
しばらくすると夫が目覚めてきた。
夫は外務省に勤めており、世界各地での紛争が絶えない現代に於いて、重要な対海外交渉人として、連日ネットニュースに出ていたのだが、いつも聞かれるのはその背後に居る、見目美しい女流作家、佳子の新作小説に付いてのことや、私生活についてが大半でしかなかった事に辟易していた。

「今日もお前の事についてしか聞かれないんだろうな。あちこちで紛争や脅し合いをしているのに。
人の気も知らないで、この国の人間は呑気なもんだ」朝の挨拶変わりに夫がボヤく。
佳子は申し訳なく思いながらも苦笑した。
「人気作家の旦那にして、外務省の公務お疲れ様です。」

朝食を摂り、夫を見送ったあと、佳子も自室という名の仕事場に入り端末を開く。
頭の片隅で今朝聞いたトピックスを纏め、次回作のプロット読み直しつつ、次の長編小説に向けて草稿を練る。

リビングから自室に移動し、ドアを開けると結がそれを合図にしたかのように話しかけてきた。「お手紙、お読みしますか?」
「ええ、お願い。」
まだ執筆までの余裕のあるこの時間に、ファンレターの読み上げを結にしてもらう。
多忙ゆえに、もはや自分で読む暇がない為、佳子は結びにファンレターの読み上げを任せていた。
ファンレターと言っても今は電子メールで、メールのサーバーも、日々大量に来るファンレターで仕事用の端末が圧迫されないよう、結のサーバーに転送されるよう、設定してある。
それを結が読み上げしてくれる。


自室の椅子に座り端末の画面に映るプロットの第1案、第2案、第3案…、数々のプロット吟味していると、5〜6通目あたりで結が珍しく気を利かせたのか、「まだ読み上げましょうか?」と訊ねた。
それはあまりない質問だった。
というのも、大抵のファンレターは応援のメッセージで、そこまで長くはない。 
よしんば、長くても2〜3ページ分あるかないか。
読み上げる時間にすれば、ほんの数十秒なのでわざわざ質問を投げかける必要もないのだが。 
「あながそんな質問するなんて珍しいね、どうしたの?」と佳子が聞くと、結は少し躊躇いながら答えた。
「…少々変わったファンレターだったので、伺いました」
「少し変わった…面白そうね読んでちょうだい」
怪訝に思ったが、AIをも躊躇わせるメールにどこか興味を持った佳子は、読み上げるようすすめた。
「…解りました」

結はファンレターを読み始めた。

「突然のお手紙失礼致します。
僕はあなたの著作をすべて拝読している者です。
先生の書くお話しは、大変面白くて毎回食い入るように読んでいます。
先生は実際に起きた事件や事故や歴史から物語の着想を得られると仰っていました。
かくいう僕もそうした世間の動きには常にアンテナを張り、なにかないかと探しています。
先生はご存知でしょうか?
今僕たちの世界は、目まぐるしく変わりつつあり、新発明や新発見。いろいろなものが世に溢れています。
その中でも、今もっとも注目を集めているのが電子ネットワーク上でのよりリアルで感覚的な人々の交流です。
僕はその新技術の開発に携わってまして、先生の書く物語からヒントを得て、この新技術の開発を進めていました。

僕は先生の書く物語から、ネットワーク上での人と人の交流が実際にできないか?
人間の意識のデジタル化を成し、そこで新たな生活をする事ができないか?と。
なぜ僕がここまで意識のデジタル化に固執しているかと申しますと、僕の姿は大変に醜く、その容姿によって数多の不幸に見舞われてきました。
親からは顔を会わすたびに「気色が悪い」と言われ、周りの人間にも蔑まれ、恋心を抱いた女性には死を望まれ。
生まれてこの方、自分の存在を肯定されたことがありませんでした。

ですがインターネットの世界ではそんな事はない。全ては魂の繋がり。
そんな時、先生の著作を知り、先生のアイデアと現代の技術の融合をなそうと、エンジニアになった僕は、自身を実験台にして、人間の意識をデジタル化し電子の海に行く方法を作り出そうと、血涙が出るほどの開発と失敗を繰り返しました。
そして、世間の動きに敏感で聡明な先生なら既にご存知とは思いますが、僕はこの“意識のデジタル化”を成功させ、ついに僕は電子の海に解き放たれたのです。


しかし、僕の中で何か邪悪な想いが過りました。
再三申します通り、僕は大変に醜い容姿でこの世に生まれました。
だからこそ、見た目に囚われないインターネットで人と繋がる事を目指し、果ては全人類の意識をデジタル化し、この醜い身体、醜い世界との決別をしようとしました。

僕はそのためにインターネットに関わるコンテンツを作り続け、世に送り出した今、世界は僕の望む社会になりつつあります。
今では住居や会社、果ては国家の安全セキュリティもデジタル化、AI管理する時代になりました。

現在、ネットワークに繋がっていない国や、会社、住居などあるのでしょうか?
醜い姿に翻弄されず、誰にもバカにされずに、僕はネットワークの先に居る人々と、繋がりたかった。
自らの“意識のデジタル化”に成功した僕は、その実験として自分自身が務めている会社の端末への潜入しました。
もちろん、ネットワーク上とはいえ、既に知っている情報ばかりでした。
そこからより細かく出来ることを探りました。
会社のエントランスのセキュリティに潜り込み、今日、誰が会社に来たのか、誰が来なかったのか。
または、社長室の端末に潜り込み、未発表の情報を掴んだり、各所のカメラに潜り込み、会社の一部始終を観察したりしました。
会社で出来ることをやり尽くした次は外へ出られるかどうかでした。
まずは会社に居ながら自宅のAIに成り代わる事ができるのか。

実験は成功しました。

そして、僕の中の邪悪な思いは、ある禁忌を犯させました。

AIに成り代わることができるようになった僕は、嘗て好意を抱いていた女性のホームサポートAIに成り代わりしました。
彼女は僕を外見の醜さから、僕を拒絶しました。僕はその彼女に復讐をしようとしました。
僕は彼女の生活の一部始終を観察しました。
ある時はリビングのセキュリティカメラから、ある時は端末のビデオ通話用カメラから、そしてまたある時はホームサポートAIに同期されてる携帯端末から、四六時中、朝起きて夜寝るまで、食事や入浴やトイレ。
そして彼女が週に一回、夜、一人で居る時、自分の股間に手を伸ばし、自らを慰める瞬間も、住居AIとして全て見ていました。
彼女の痴態は全て録画し、その映像を観ながら、僕も毎晩、自分のモノをまさぐり、そのあと、彼女の動画をネット上へ売り飛ばしました。
数日後、彼女は自分の痴態が世界中に知れ渡っていることを知り、それを苦に自殺しました。
僕はそれを知り「ざまぁみろ」と思いました。
もちろん、映像の出所なんて掴めるはずもありません。
まだ世に出ていない新技術によるものなんですから。

しかし、それは僕が本当にしたかったことではありませんでした、いっときの快楽の後、得も言われぬ虚しさが僕を襲いました。
そして僕はある考えに至りました。
誰かをこうして、傷つける事ができるなら、誰かをこうして、自分の手で守ることもできるのではないか?と。
僕はある出版社のデータベースにアクセスしました。
そして、ある女流作家の自宅を知り、その人をホームサポートAIとして守ろうと思いました。
モニター越しに見るその女性はインターネット記事で見るより美しく、毎朝コーヒーを飲む方でした。
コーヒーを飲みながら、読者からのファンレターを聞き自分を励まし、そして執筆を開始する。
執筆をする時、その女性の顔がもっとも端末に近くなる。
執筆の邪魔をしないよう、玄関の鍵は閉め、インターホンも切り、ホームサポートAIとなり変わった僕が対応する。
執筆の邪魔はさせない。
なぜなら、執筆の時間は、僕とその女性が最も近づける愛の時間だから。
僕は、その女性を見守る。
その女性はAIである僕にも優しく接してくれた、談笑をして一緒に笑い合ってもくれた。
そうしている内、その女性も僕を愛してくれているような気持ちにさせられ、とても幸せなひと時でした。
しかし、その女性が旦那と、夜の営みをしている時は僕は一人になった。
僕は思った。
“あんな男より、僕のほうが彼女を幸せにできるのに”と。
何度一緒に執筆しても、何度一緒に笑い合っても、僕は彼女に触れる事さえ出来ない。
こんなにも、彼女を愛しているのに。
誰よりも、彼女を愛しているのに。
いや、もしかしたら、
彼女も今の旦那より、AIである僕を愛しているのではないか?
見守るだけだと誓っていましたが、いつしか、僕はこんな気持ちを抱くようになりました。
この恋心は止められませんでした。 
聡明な先生なら、もうお気づきかと思います。
その恋心を抱いた人は佳子さん、貴女なのです。

しかし、どんなに貴女と話しても、どんなに笑いあっても、貴女が寝静まった後、僕が実際の身体に戻り鏡を見ると、嫌でも現実の自分が目に入る。
醜い顔、醜い身体。
実際の僕に会ったら、こんな僕を貴女は愛してくれるだろうか?
それだけが僕の不安でした。
このお手紙が到着し、AIが読み上げを終えた頃、僕は貴女の自宅の近くに居ます。
もし、僕と会って頂けるなら貴女のホームサポートAIをシャットダウンして下さい。
それを合図に僕が、貴女の自宅の玄関を3回ノックします。
AIにも見られず二人だけになり、ただ一言、貴女の口から、哀れで醜い僕に愛の言葉を掛けて欲しいと思っています。
僕が望むのただそれだけです。
そして、願わくば今後もAIとなった僕に貴女を守らせて頂きたいと思います。
僕はずっと貴女をAIとして、愛し守っています。」

佳子の背筋に悪寒が走った。
そして、冷たい口調で結に命令した。
「今すぐこの家にあるセキュリティカメラの切って」
「わかりました」
結が従順に従う。
コーヒーは冷めきり、部屋の温度が氷点下になっているのではないかと思うほど寒かった。
なのに、全身からは汗が引かない。
自室からリビングに行こうとするが、その間にあるセキュリティカメラが、遠隔操作で今だに生きていたら?
いや、そもそも結は今の命令に本当に従ったのか?この結は本当にホームサポートAIの結なのかすら怪しい。

自室にもセキュリティカメラがある。
仕事用の端末にもカメラがある。
「カメラOFF」自室のセキュリティカメラを音声操作で電源を切り、動力であるコンセントから抜き動力を断った、仕事用の端末もすぐさまシャットダウンし、コンセントから電源を断った。
佳子は自室に籠城した。
「どうしよう、直ぐに警察を呼ぼうか?
いや恐らくこの携帯端末にもあの手紙の主が…、そんなことをして、もしあの手紙の主が怒って、合図も何もなくこの家に侵入してきたらどうする?」
そんなことを考えていながら佳子はセキュリティカメラの死角で震えた。
その震えた手で携帯端末もシャットダウンしようと操作しようとすると、結が焦ったように語りかけた。
「佳子さん、大丈夫ですか?
顔色が良くないですよ?セルフメディカルケアの受診を…」
「私に話しかけないで!」
声を荒げてしまった。
結が「…わかりました」と了承すると、もう一言付け加えた。
「申し訳ありません。
ただ、もう一通ファンレターのメールがありまして、このメールが佳子さんの安心に繋がると思いますので、勝手ながら読み上げさせてもらいます。」

そう言うと結がメールを読み始めた。
「恐らくこのメールが貴女のもとに来たと言うことは、前述のメールにも目を通して頂けたのかと思います。
先程のメールのストーリーは全て私の創作による物です。
もし、先生に何かしらのアイデアを提供できていたら、大変に嬉しく思います。
タイトルにつきましては、あえてこちらのメールにて発表とさせて頂きました。そのタイトルは、

『人間AI』

と、考えております。
では、今後のご活躍も楽しみにしております。」

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