見出し画像

主人公になる、覚悟

自分の人生なのに主人公というよりは誰かの人生の脇役みたいだ。
そんな感覚をいつからか感じていた。

それは
学生時代に友人たちにパートナーが出来たのに自分だけできなかった時。

就職活動で希望していた会社にすべて落ちた時。

仕事がまったく上手くいかず、自分よりも実績を上げ活躍している人を見た時。
そんな時に感じるものだった。

人生の主人公は自分だ、というけれど自分が主人公という気がまるでしない。
誰かもっとキラキラと輝いている人の物語の脇役のように感じてしまう。

将棋界の藤井聡太8冠、野球界の大谷選手など伝説級の実績を残す人々の活躍を見て、
現実なのにフィクションみたいだ、と冗談交じりで言われることがある。
でも、まるでフィクションのようだなどと言われるくらいの活躍は正直羨ましい。

僕は子どものころから何かスポーツに打ち込むわけでも、突出して勉学に励むわけでもなく、好きなものはあってもそれらを突き詰めるわけでもないという、人間だった。

就職時にも最初は希望していた仕事に就けず、その後数年後に周り周りってやりたかったこと(企画の仕事)に近しいことが出来るようになったが、いわゆる主人公だったらもっとストレートにやりたいことが出来、今は大活躍しているのではなかろうか。

僕はマンガが大好きで週刊少年ジャンプを子どもの頃から愛読しているが、自分の人生をマンガにしたとしたら多分ジャンプに連載はできない。
連載したとしてももっと地味でややマイナーな雑誌でギリギリかな、と自分でも思ってしまう。
編集者に「この作品はちょっと主人公も地味だし、ひっかかる所が少ないですね」などと言われそうだ。

でも正直ここ最近はそれでもいいと思っていた。
やりたいことも出来ているし、人生もそこそこ楽しい。

脇役には脇役の物語がある。
主人公にならなくたっていい。

そう思っていたら、昨年仕事で全く成果もあげらない時期が続き、自分の未熟さが原因で大きなミスをしてしまうことがあった。
同時にプライベートでも色々と自分の至らなさや稚拙さを感じてしまう場面があった。
凹んだ。とてもとても凹んだ。人生で一番凹んだかもしれない。

自分なんて価値がないと本気で思ったし、なんて駄目なやつなんだと自問自答ばかりしていた。
気分が地獄のように沈み、大好きだったマンガや映画やSNSをインプットすることも苦痛になり、
ひたすら布団に籠もっているような日々が続いた。
(妻にはかなり心配や迷惑をかけてしまった。そんな中でもそばにいてくれて本当に感謝しています。自分の横にいてくれる人の大切さが心に沁みました。そして知人や友人たちにもその存在にものすごく助けられました。本当にありがとうと思います。)

そして、かなり長い時間はかかったが少し回復してきたら、自分のダメさや、未熟さと向き合う中で自分に何が足りないのかを考えた。
それはやっぱり"主人公になる覚悟"だったのではないかと思う。

主人公になる、つまり自分の人生を自分で切り開いて生きていく覚悟。
言い換えれば、"幸せになる覚悟"と言えるかもしれない。

誰もが自分の人生の主人公である。それは絶対に正しい。
ただ、脇役に逃げようと思えばいつでも逃げられる。

ある程度努力したり、運がよければそこそこの人生や生き方を手に入れることは出来るかもしれない。
でも本当の意味で充実したり、満足するにはそれだけでは足りないのだ。

僕は主人公になれなかった、というよりは脇役に逃げていただけかもしれない。

脇役のように感じていたことも、自分の行動や選択が足りなかった部分が大いにあるし、自分を納得させる言い訳だったようにも思う。

だって、脇役だと考えるほうが楽だから。
主人公になるのはおそらく辛いし、苦しいから。
頑張ったのに選ばれなかったら、負けたら、悔しい、辛い、悲しい、虚しくなる。

でも、その経験がないと何も得られない。

本気でやるから悔しいし、本気でやるからこそ勝った時や選ばれた時は心の底から嬉しいのだ。
おそらく、そこそこの力の入れ具合で取り組んだことで負けたら悔しくても本気で悔しくはないし、
逆に勝っても嬉しいだろうけど心と身体が奮えるような嬉しさはないのだろう。

もっと本気で挑戦して、負けたり、悔しい思いをしたり、逆に本気でがんばって勝利して心の底から喜べる経験をしたいと思った。
手を抜いていたわけではないけど、どこかでそこそこでいいやと思っていたのかもしれない。
現状に、満足していたのかもしれない。

僕は以前、挑戦してでも失敗して、それでも諦めないでという経験をしたことがり、それをnoteに書いたらコピーライターの阿部広太郎さんという方のの本に文章を掲載いただいたことがあった。

※気になる方はこちらのnoteを見てみてください。
企画メシに落ちた話。

その本のタイトルは
あの日、選ばれなかった君へ

なにかに失敗したり、負けたりと人生は「選ばれない」ことの連続だ。
でもそこから一歩踏み出せるかどうかが、大事という本だった。

まるで今の僕じゃないか。
そして、過去に一歩踏み出した経験があり、その思いを書いたら、まさにそんな人たちを勇気づけるような書籍に掲載までしてもらったのに、自分がまさに「選ばれない」経験でつまづいていた。

うずくまって、立ち止まって、何もできずにただ時間が過ぎていた。

そんな自分に向き合えなかった。

情けなくて情けなくて涙が出た。
なんてかっこ悪いのだ、僕は。

そして、そんな自分も認められていなかった。

こんなことじゃダメだ。

かっこいい自分、ひいては自分が好きな自分、自分で自分を幸せにできる自分になるためにダサい自分にも全力で向き合おう。

ダサい姿も、ボロボロの姿も、弱い自分をさらけだせる人はかっこいいと最近思う。

僕が大好きなマンガの主人公たち

ONE PIECEのルフィも

NARUTOのナルトも

僕のヒーローアカデミアの緑谷出久も

呪術廻戦の虎杖悠仁も

キングダムの信も

ボロボロになって自分の不甲斐なさや実力の足りなさに打ちのめされたことがあったじゃないか。
でもその姿がかっこいいと思った。それでも立ち上がって、前に進む姿に心打たれた。

藤井聡太8冠も大谷選手も今に至るまでにきっと辛いことも、投げ出したくなることも、自分の至らなさに悔しい思いをしたことがあるのだろう。それでもご自身で選択して行動された結果が今の偉業のはずなのだ。

主人公になることは、きれいで楽しいことばかりじゃない。
苦しいことも辛いこともきっとある。

でも、その先にしか見えない景色があるのだ。

スラムダンクの有名なセリフで

「負けたことがある」というのがいつか大きな財産になる

というものがある。

引用元:スラムダンク

このセリフも本気で挑戦して、本気でやったことで負けたり、くじける経験があればそれは将来、財産になるという意味だろう。

このセリフは主人公・桜木花道の所属する湘北高校とインターハイ常連の強豪校・山王高校がインターハイで戦い大番狂わせで山王高校がやぶれた際のものだ。

この山王戦を一部再編集のような形で映画化された映画『THE FIRST SLAM DUNK』において、

高校のバスケではやるべきことをやったと自負する山王高校のエース・沢北が

『俺に必要な経験をください』と神社に祈るシーンが追加されている。

つまり『負けること』が彼にとって必要な経験だったと示唆されているのだ。

困難に直面した時はそんな風に思うことはできなかったけど、今なら思える

選ばれず、失敗して、躓き、傷ついた経験も自分にとって必要なことだったのではないかと。

そして、そこから踏み出すことにも価値があると。

本気でやって負けることには財産になるのだ。

そうした方がきっと人生は充実する。

自分を好きでいられる。

僕はそんな自分でいたい。

だから、怖くても、一歩踏み出してみようと思う。

"主人公"になろう。

もし、僕と同じように傷ついて、失敗して、どうすればいいかわからなくなっている人がいたらまずは心と身体を休めてほしい。

そして、その後に少しでも余裕が出たら

また一歩踏み出すことを考えてみてほしい。

あなたがあなたの人生の主人公になる為に。

僕はそんなあなたを尊敬するし、応援しています。

"主人公"になろう。

引用元:僕のヒーローアカデミア

上記の内容に関係して、
アートとコピーという講座に通うことにしたのでその話もまた書きます。


この記事が参加している募集

自己紹介

この経験に学べ

もし良いと思ってお気持ちをいただけるとやる気がでます。コーヒー代にします。