見出し画像

企てたい僕の8年くらい

「この映像のコンセプトって何?」

大学3年生の12月、就職試験で訪れた東京の某テレビ局で与えられた、短編映像を作るという実技課題で、僕の作った映像を見て試験監督はそう問いかけた。(宿泊を伴って3〜4日にかけて行われるというハードな試験だった)

「(コンセプトって何?面白ければよくない?)」

そんなことを思っていた僕は、何も答えることが出来なかった。

試験には当然だが、落ちた。

不満はないが、淡々とした日々

iOS の画像 (44)

小学校の低学年の頃の僕は、授業でも積極的に手を上げて発表するタイプだった。

しかし、高学年になるにしたがって生来の人見知りや、成長に伴う羞恥心が先にたち、発表もしなくなった。

中学校の時は部活にも所属せず帰宅部で学校が終わればすぐに帰る日々。

高校時代は、初めて部活動にも所属したが、割と淡々と学生生活をこなしていたように思う。楽しかった記憶はあるが、何かに熱中したような記憶もない。(ちなみに高校の時に入ったのは、みんな初心者から初めるという理由で弓道部にした。消極的な理由だ)

「面白いこと」がしたくなった自分

iOS の画像 (48)

大学で京都の大学に進学した僕は、映像を作るサークルに入った。

そして、そこで何かを作ったり表現したりする面白さに出会った。

今思い返せば、大したクオリティではなかったと思うが、演出や構成にこだわったり、もっと面白くできないかと思って何時間も編集して、ドラマやらCMやら、ドキュメンタリーを作っていた。

そんなことをしていた僕は自然と何かを作る仕事をしたいと思うようになり、テレビ番組や映像を作りたいと思って、テレビ局を志望した。

そして、冒頭に書いたように落ちた。

ある程度のところまでは進むけど、落ちるということを繰り返していたら、東京と関西の主要なテレビ局は全滅していた。

その後も広告代理店とか、ネット系の企業などを受けるが落ち続け、気づけば受けたい会社がなくなっていた。

京都から面接の度に夜行バスで上京し、落ち続けるのは金銭的にも精神的にもシンドかった。(行きたいと思う会社は大体東京にあった。京都の生活は最高に楽しかったが、この時は東京に進学すれば良かったと少し思った)

何かしらでも作る仕事を...と思って映像関係などの会社を探して受け続けて、求人の内容を見てもまったく心躍らないけどやっと見つけた映像制作会社の一次面接を受ける為に夜行バスに揺られて東京に行き、会社の近くまで行った時に何がしたいのか分からなくなってしまい、面接に行かずそのまま帰った。

そこからは心が折れて(あとそもそも求人の数も少なくなり)、応募はしないけど、インターネットで求人を探し続け、応募もせず諦める、ということを繰り返した。

結局僕は、一応受けて内定をもらっていた、地元の企業に就職することにした。


大学に入学した時、僕らの世代は「売り手市場」で就職の心配は何もないとされていた。

だが、大学2年生の時には「リーマンショック」

大学3年生の時には「東日本大震災」

まさに世界を一変するような出来事が起こり、就職状況も当然のように悪化した。なんだかとてもやるせない気持ちになった。

僕自身が希望した進路に行けなかったのは僕のせいだけど、世の中のすべてが自分にとってうまくいかなくなる要因のように思えてしまった。

上手くいかない日々

iOS の画像 (45)

結局僕は新卒で入った会社を3年くらいで辞め、地元も離れて他の地域に行き、広告代理店に転職した。

新卒の会社では、気の合う同期に出会えたりするなど、思いの外楽しいこともあったが、いつか必ず辞めようと思いながら働いていた。

そんな中、希望する業界に転職したのだから、そこから上手く行き始めたのではと思いきや全然そんなことはなかった。

営業として入社したが仕事ができなすぎて、先輩には毎日怒られ、夜遅くまで働いてはいたけど、結果はまるで残せず、今となっては何をしていたのかまったく覚えていない。

2年くらい働いたのち、その会社も辞め人生で初めて上京するが、仕事は引き続き上手くいかず、数年経てばなんとなく転職を繰り返す、というような有り様だった。

今思い返せば、やりたい事というよりもなんとなく出来そうな事を、やりたい事と無理やり思うように働いてのだと思う。

仕事はそこそこでいい、というスタンスにし、仕事が終わった後にイベントに行ったり、気になる勉強会に参加したりと、課外活動に精を出し、楽しいことや興味があることは仕事以外でやろうとしたこともあった。

でも、結局日常生活で大半の時間を過ごす仕事が楽しくない、という状態はジワジワとメンタルに響いてきて、年々自分のキャリアが不安になりこのままでいいのかと、かなり思い悩んだこともあった。

当たり前だが、仕事でもこれといった成果などまったく出せていなかった。今思えば、「仕事はそこそこでいい」というスタンスで何のスキルや特筆すべき経験もないやつは普通にやったら「そこそこの結果」すら出せないのは当然だった。

テテマーチとの出会い

iOS の画像 (46)

改めて自分のキャリアや、やりたいことを見つめ直した僕は

「企画がしたい」ということに気づき、というかスタート地点に立ち返り、企画の仕事ができそうな会社を探した。

そこで、今の職場でもあるテテマーチと出会った。

というか正確には以前から存在は知ってはいた。

SNS(てかTwitter)で社名を入れて発信している人がやたら多い会社、というイメージだったが、認知はしていた。

応募してみると、意外と面接がトントン拍子に決まり、内定もいただけた。

結果として、「プランナー」としてSNSやイベントの企画などを出来るポジションとして働けることになった。

現上司のマネージャーと面談した際「うちにフィットしそうですね」的なことを言われて嬉しかったけど、内心ドキドキしていた。

それはなぜか。

ほとんど仕事で実績も残していない僕がなぜ数回にわたり転職できたとのかといえば、「面接時の対応がちょっと上手い」からだと自己分析している。

・嘘はいってないけど、期待値コントロールがうまくできる

・仕事の成果についてはあまり触れないが、プライベートの活動で積極性とかをアピールする

この辺の対応が、すこしだけ上手に出来たので、面接に通ってきた。

でも実際に実務をすると、期待されているよりも成果を残せなくて、ギャップを感じられる、みたいなことが何度もあった。面接だけうまくいったって意味ないのだ。入社してからが本番なのだから。

だから、ポジティブに受け止められれば受け止められるほど、その期待値を超えられるのか不安で仕方なかった。

それまでの転職と違い、かなり考えに考え抜いて挑んだけど、仕事における成功体験がほぼないので、本当に怖かった。

仕事で挙げた実績はないので、ここでもプライベートの活動(イベント企画したりとか、SNSアカウント立ち上げたりとか)が主に評価ポイントであり、それが本当に実務に役立つのかわからなかった。

プランナーとして入社したのだから、入って三日目くらいに

「企画書作れます?」と質問されて、「はい!」と答えたけど

企画書なんてほぼ作ったことなかったので、見よう見まねでやってみたりした。

今にして思えば、実績ないのに最初からプランナーという肩書を与えてもらって入社できたのは奇跡だと思う。

企画ができる日々

iOS の画像 (47)

そんなところからスタートして、先日ちょうど一年経ったけど、今でもなんとか仕事できている。

そして毎日楽しい。

だって企画ができるから。

自分がやりたかったことで、仕事ができるから。

企画を考えれば喜んでもらえるから。

自分が考えた企画が実現することもあるから。


この前見返したら、入社してから作った企画書が大小合わせて100個くらいあった。この数が多いのか少ないのかはよくわからないけど、企画書をまっったく作ったことがなかった僕が0からスタートして100個は大躍進だ。

イベントも企画したり、裏方で進行したり、時には出演したりをして10個以上は携わったと思う。

SNSで見て憧れていたり、大好きだったクリエイターさんと仕事をご一緒させてもらったこともある。

本当に夢のような日々だ。

一度、企画職として経験があってジョインしたと社内のメンバーに思われていて、「実務経験はないよ」と答えたことがある。

じゃあ、なんで未経験にも関わらず、今なんとか仕事できているかと思うと、仕事としては企画したことなかったけど、プライベートで企画(イベントとか)したり、ブレーンとか宣伝会議などの業界紙や広告や企画の本を読み続けたり、時には講座などにも通ったりしていたからだと思う。

そう、結果として僕は新卒から数えて8年くらい、ずっと準備をしてきたのだ。いつか企画が出来るときの為に。

だから、なんとかやれているのだと思う。(勿論、会社のメンバーやパートナーさんに教えてもらったり、支えてもらうこともたくさんある。本当に感謝している)


僕は企画がしたかった。

別の言い方をするなら、企てたかった。

企てたい8年間だった。


就職活動の時、僕が作った映像がなぜ評価されなかった、今なら理解できる。

指摘されたように「コンセプトがなかった」からだ。

「コンセプト」がない企画は弱い。

ただ、面白いことがしたい、という企画はたいていの場合、結果を残せない。


有名なクリエイティブディレクターやプランナーの方が「コンセプト(別の言い方をするならコアアイデア)」が大切だとみなさん口を揃えておっしゃる。

その通りだと思う。


そして、僕は仕事や人生においての「コンセプトがなかった」(正確にいうなら、あったけど、うまく向き合えていなかった)

「企画する」それが僕の仕事におけるコンセプトだった。


そして、コンセプトがはまった時、それはとても強い。経験したことなかったプランナーの仕事をなんとかやれているから。


先日、会社のメンバーに「本当に楽しそうに仕事していますよね」という旨のことをチャットで書いてもらった。

そうか、僕は他人から見ても楽しそうに仕事できているのか、としみじみ思った。


仕事が楽しいなどと一度も思ったことはなく、ほとんど何の成果も残してこれなかった僕が、今はそう見えているのか。純粋に嬉しかった。

今では、仕事が楽しくない、と思い悩むことはない。

だって毎日楽しいから。


ちょっとシンドい時や力不足を感じることは勿論ある。

もっと成果を出したいなとも思う。

でも、大変なことがあっても それを乗り越えたらもっと成長できる、もっと楽しいことが出来る、そんな風に思えるようになった。

何一つ思うように進まず、絶望した日々の中で、それでも「企画」に触れることを諦めないで良かった。

当時は何の役に立つのか分からなかったし、企画と関係ない仕事をしているのに、未練がましく企画とかクリエイティブの情報に触れる自分を惨めだっと思ったこともあったけど、続けて来た良かった。


企てたい、その一新で過ごした8年間があって、この1年をなんとか過ごすことが出来たのだと思う。

僕が尊敬する、コピーライターの阿部広太郎さんという方がいる。(阿部さんの存在が僕の「企画」に対する考えに大きく影響を与えてくれた。そのエピソードについて以前noteに書いたので良ければ読んでください。)

その阿部さんが最近出された本で、『それ、勝手な決めつけかもよ?』という本がある。簡単に言えば、阿部さん自身の経験を混じえながら、物事をどう解釈するか、について書かれた本だ。

この本の中で、僕が特に心に残ったフレーズについて紹介したい。

「生きるということは、過去の自分を肯定していく行為だ」


過ごしていた時は不安で、何も先が見えなかった8年間。

無駄だと思いつつ、ダサいと思いつつ、「企画する」ことへの思いを捨てきれなかった8年間。

でも、今なら思える。

あの8年間は、今の仕事の為の準備だったのだと。


「楽しい」とか「好き」って何より大事だ。それを手放さなくてよかった。

諦めなければ、夢は必ず叶うとは言えないけれど、諦めなければ叶うこともある、とは言いたい。

会社のメンバーが「人の心を動かせるのは 人の心」と言っていた。

その通りだと思う、そして自分の心を動かすことが出来なければ、誰の心の動かせないのだと思う。

昔は何もやりたいことがなかった僕だけど、今はやりたいことがあり、回り道したけど、やりたいことが出来ている。

でも、もっと面白いことがしたい、もっともっと良い企画を作れるようになりたい。

さぁ、企てていこう

iOS の画像 (42)


もし良いと思ってお気持ちをいただけるとやる気がでます。コーヒー代にします。