ベッカムに憧れてサッカーを続ける31歳
2001年10月6日、オールド・トラッフォードにて開催された日韓ワールドカップ欧州予選の最終節、イングランド対ギリシャ。同グループのドイツと勝ち点で並んでいたイングランドは、「負ければプレーオフ」という絶体絶命の状況に陥っていた。
ところが、すでに予選敗退が決まっていたギリシャ相手に、試合終盤まで1点のリードを許す厳しい展開を強いられる。
後半もロスタイムに差し掛かったところで、イングランドはゴールから約30m離れた位置からフリーキックを得る。キッカーはもちろん、デイビッド・ベッカム。
===============
僕は小学校3年生の時にサッカーを始めた。
同年の98年に開催されたワールドカップ・フランス大会。日本代表が初出場したことも重なり、僕はテレビ画面越しに世界のサッカーを初めて見る事となった。
そのときに活躍したスター選手たちの姿は、今でも脳裏に強く焼きついている。優勝したフランス代表のジダンをはじめ、ブラジル代表のロナウド、アルゼンチン代表のバティストゥータ、オランダ代表のベルカンプ、イタリア代表のデル・ピエロなど、名前を挙げればきりが無い。
その中でもイングランド代表のベッカムは、プレーとは違うことで印象に残っている。
グループステージを勝ち上がったイングランド代表は、ベスト16でアルゼンチン代表と激闘の末にPK戦で敗退するのだが、この試合でベッカムは後半開始早々にレッドカードを受けて退場となる。ファールで倒されたベッカムは、倒れたままアルゼンチン代表のディエゴ・シメオネの足を蹴り返し、目の前にいた審判から一発レッドを突きつけられた。
ピッチから去るベッカムの姿が、言葉では言い表せないぐらいの「カッコ良さ」と「カッコ悪さ」を兼ね備えていた。
勝利への情熱が間違った方向に出てしまった典型的なシーンであり、その「熱さ」と「愚かさ」が詰め込まれていたように、僕は感じた。
その人間味溢れる人柄に惚れて、その日から僕はベッカムの活躍を追うことになる。背番号7番のユニフォームを自分の部屋に飾り、ベッカムのポスターを壁一面に貼り付けて、当時は彼と同じ右サイドハーフのポジションでプレーした。
ベッカムはその後、所属していたマンチェスター・ユナイテッドでプレミアリーグ、FAカップ、UEFAチャンピオンズリーグの3冠達成に貢献したり、私生活でもスパイス・ガールズのヴィクトリア・アダムスと結婚したりと、世界中から注目を集めるスーパースターとなった。
===============
小学校6年生となった僕は、2001年10月6日のイングランド対ギリシャをリアルタイムで見ていた。
「ベッカムが、日韓ワールドカップに出場できないかもしれない…」
そんな緊張感が僕の心を支配し、試合に釘付けになる。
そして、1点ビハインドで迎えた後半ロスタイム。イングランドはゴールから約30m離れた位置からフリーキックを得る。キッカーはもちろん、デイビッド・ベッカム。このフリーキックが「ラストチャンス」であることは、小学生だった僕にも十分理解できた。
ベッカムがボールをセットする姿を、僕はテレビ画面越しに固唾を呑んで見守る…
いつも通りのゆったりしたステップから左手をぐるりと回し、右足を振り抜いた。
その瞬間、美しい軌道を描いたボールがゴール左隅に突き刺さる。
「うおぉぉぉっーー!!!」
劇的な同点ゴールが決まった瞬間、僕は叫んだ。
イングランドのサポーターで埋め尽くされたオールド・トラフォードの盛り上がりに負けないぐらい、とにかく叫んだ。
坊主頭の背番号7番は、両手でガッツポーズを作り「どうだ!」と言わんばかりのドヤ顔で、イングランドサポーターに向かって拳を突き上げる。
98年のワールドカップでは敗退の「戦犯」として非難を浴びたベッカムは、たった一瞬でイングランド国民の「英雄」に変わった。
その瞬間をリアルタイムで見た僕は、心の底からベッカムを「かっこいい」と思った。そして、本気で「プロサッカー選手になりたい」と思った。
===============
ベッカムに憧れた日から、約20年の時が経つ。11歳だった僕は、31歳になった。
彼のようなスーパースターには程遠いところに位置しているが、いま僕はプロサッカー選手としてモンゴルのチームに所属している。
しかし、残念なことにコロナウイルスの影響を大きく受けて、チームに合流できないまま1年の時が過ぎてしまった。
僕がプレーしているリーグは、ベッカムがプレーしていたレベルには到底及ばないかもしれない。
でも、僕は知っている。
サッカーでは、「一瞬」で全ての評価がひっくり返ることを。
ベッカムに憧れた日から20年。
ここから大逆転する準備はできている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?