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やせ我慢の矜持

ガリレオ、ゴッホ、宮沢賢治
彼らに共通するのは
生前の不遇と死後の評価であろう。

生涯をかけて打ち込んでいることを
他者に理解してもらえない。
社会から認めてもらえない。
そんな人生の中で
彼らは何を思ったのであろうか。

世の中への恨み
我が身の不運に対する嘆き
どうせこんなものさという諦観
いつかかならずという確信・・・。

今となっては本当のところは
誰にもわからない。

たった一つ間違いないのは
彼らは、いま現在の評価を得んがために
信じた道を曲げることはなかった
ということである。

本当の価値は
そこにあったのではないだろうか。

 

吾が言は甚(はなは)だ知り易く、甚だ行ひ易きも、天下能く知る莫く、能く行ふ莫し。言に宋有り、事に君有り。夫れ唯知る無しとす。是を以て我を知らず。我を知る希(な)ければ、則ち我は貴し。是を以て聖人は、褐(かつ)を被(こうむ)りて玉を懐く。 
『老子』(知難第七十)

宋(そう)‥大本のこと
君(きみ)‥セオリー、要点のこと
褐(かつ)‥麻の粗末な着物

私の言うことは、とても解り易く、とても行い易いのだが、この世にはよく解ってくれる人はいない。よく行ってくれる人もいない。
言には大本があり、物事にはセオリーがある。
それを皆知らない。だから私のことも知らない。
私を知らないということは、私が希有の存在だということ。つまり私の貴さを表している。
従って、「道」を大切にする人は、粗末な服装をしているが、心の中には「道」という最上の宝石を抱いている。
『老子道徳経講義』田口佳史

老子という人物については、実は、いまもってよく分っていない。
実在さえ疑われることもあり、『老子道徳教』という書物の書き手も、候補者が何人かいるようだ。

司馬遷の『史記』には、老子伝という一節があるが、そこにも老子の伝説性が記されている。『史記』が成立したとされる二千百年前に、老子はすでに謎めいた人物であった。

この章には、謎の人老子の本音が書かれているような気がして仕方ない。
「自分は正しい、でも誰も自分を理解してくれない。(でもよいのだ)理解してくれないから貴いのだ」
そう言っているように思える。

理解者がいないことの寂しさを、希少性という衣に包み隠して、精一杯強がって生きる。そんなやせ我慢の矜持を感じる。

そう考えると、この文章を通して、あることに思いを巡らすことができるように思う。死後になってから高い評価を受けるようになった偉人が、生前に何を考えていたのか、ということである。

彼らはきっと怨み、嘆き、諦観、確信等々、複雑な心理を抱えていたに違いない。
他者にもよく見えるものは理解されやすい。それは現世の評価を受けるということである。

見えにくい、わかりにくいものは、理解されにくい。
しかし、後世には評価されるかもしれない。もちろん後世にもも評価されないかもしれない。

ただ彼らは、今の評価を得んがために信じた道を曲げることはなかった。真の価値はそこにあるのではないだろうか。

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