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断裂が引き起こす悲劇

「五千人殺せばインパールは落とせる」
作戦参謀はそう豪語したという。

五千人は敵兵の死者ではない。味方の犠牲者である。

兵士を使い捨ての道具としか見ていない司令官と参謀に率いられた日本軍は、インパール作戦で三万人の死者を出した。
その八割がマリアと飢餓によるものであった。

強引に作戦を押し進めた司令官・参謀、無謀な作戦を許可した大本営将官の多くは、その後の戦争でも、自らは死の淵に立つことはなかった。

かろうじて生き残った兵士達は、終生彼等の名前を聞くと肩を震わせ、怒りを隠さなかったという。

悲劇の歴史が伝える教訓は何か。
個人の人間性の問題か。
選んではいけない人間を任命した組織の問題か。
極限に追い込まれた時にそういう人間を生み出してしまう社会の問題か。

その答えが出ないまま、人々の記憶は薄れていこうとしている。
 

民の飢うるは、其の上の税を食むの多きを以てなり。是を以て飢う。民の治め難きは、其の上の為す有るを以てなり。是を以て治め難し。民の死を軽んずるは、其の上の生を生とするの厚きを以てなり。是を以て死を軽んず。夫れ唯生を以て貴しと為すこと無き者は、是れ生を貴ぶより賢(まさ)れり。  
『老子』(貪損第七十五)

上(かみ):ここでは為政者・統治者の意

民が飢え苦しむのは、為政者が税を多く取るからだ。だから飢える。
民を治めるのが難しいのは、為政者が余計な施策を出し過ぎるからだ。だから治め難い。
民の死が軽いことだとされてしまうのは、為政者が自分が生きることを目的として政治を行っているからだ。為政者が生きれば生きるほど、民の死が軽いものになる。
自分の生にとらわれない者は、生に執着して税を重くする者よりもまだましだ。
『老子道徳経講義』田口佳史

「生を以て貴しと為すこと無き者は、生を貴ぶより賢(まさ)れり」という最後の一文の意味は、訳を読んでも少しわかりにくいが、上(統治者)と下(被統治者)の断裂が引き起こす悲劇をテーマにした章であろう。

「貧損」という章題にあるように、両者の断裂が民衆の貧困や生命の棄損を招くということである。
上に立つものが一般民衆の命を軽視したことで起きた悲劇は、先の戦争の末期にいくつもあった。インパール作戦は、その一つである。

牟田口廉也ビルマ方面軍軍司令官の下、三師団九万人の兵士が動員された無謀な戦いは、作戦再考を上申する三師団長を次々と解任したうえで強行された。
「どの程度の犠牲者を覚悟するべきか」と牟田口から問われた作戦参謀は、自軍の兵士五千人を殺す、という言い方をしたという。

本土では、住民を巻き込んだ悲劇が引き起こされた。日本史上唯一の地上戦が展開された沖縄戦は、沖縄を守ることを目的とした戦いではなかった。沖縄住民五十万人を盾として、本土決戦までの時間稼ぎのために行われた戦いであった。この戦いで、住民・兵士二十万人以上が犠牲になった。

兵士や住民の生命を、戦争のための道具と考えていた上級参謀の多くは最後まで生き残った。
罪なき民が命を落とし、人の命を軽く扱った者が生き残る。上(統治者)と下(被統治者)の断裂によって起きる不条理がここにある。

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