【掌編小説】わたり鳥
(一)
そのわたり鳥は、季節ごとに北の大陸と、南の島をわたっていた。
何年も、何年も、わたっていた。
***
わたり鳥にとって、空をわたることはなにぶん嫌なものでもなかった。
ひろい空を、気流に乗って、翼を広げて前に進む。
それはわたり鳥にとって"作業"だった。
それは本能的なもので、義務的でもあって、当然しなければならないことだと理解していた。
いわば諦められていたのだ。
諦められていたから、寒さや退屈や空腹など、空をわたることへの苦労なども気にならなかった。
そのわたり鳥は、ある群れに属して、いつも隊列を組んでわたっている。
毎年おなじ顔ぶれで、してもしなくてもいいような話をしながら、北から南へ、そして南から北へ、移住を繰り返していた。
群れのなかではひとつ決りがあった。
それは、老いてわたる体力もなくなった者を、置き去りにすることだった。
当然、置き去りにされた彼は、餌を取れなくて死んでいく。
つまり、死さえ社会で決定されていたのだ。
しかし、そのわたり鳥には不満があるわけではなかった。
死なんて未知でおそろしいものを社会で決めてくれるなんて、とても楽で、安心できるとさえ感じていた。
***
(二)
悲劇は空の上で起こった。
わたり鳥が空を滑空しているうちに、羽の付け根のところが急に強ばった感覚がしたかと思うと、冷や汗が出てきて、やがて喉の奥が急に締まった心地がして、ついには全身の筋肉が動かなくなった。
姿勢を制御できなくなったわたり鳥は、いとも簡単に、地に向けて堕ちはじめた。
群れもまた薄情に、わたり鳥を置いて飛び去っていった。
***
堕ちるわたり鳥。
このまま地に墜落して死を迎えることは確実であった。
わたり鳥は、はじめて自分の死について考えはじめた。
ちょうど雲を突き抜けるころだったから、わたり鳥は雲に聞いてみた。
「死ってなにかなあ」
雲はこたえた。
「ふわふわと浮かべないことだろうよ」
ちょうど自分を照らしていたので、わたり鳥は太陽に聞いてみた。
「死ってなにかなあ」
太陽はこたえた。
「かんかんと照らせないことだね」
どうやら死とは、世界に対する役割を失うべきことだろうとわたり鳥は理解した。
それでは、自分の役割とはなんだろう?
わたり鳥は困ってしまった。
毎年北と南をわたって飛んでいた。
餌を食べていた。
しかし、それらは世界に対してなにをもたらしただろう?
そして、わたり鳥は気づいた。
わたり鳥は、生きていなかった。
***
堕ちるわたり鳥。
墜落するまでは、あと数十秒足らずだと思われた。
わたり鳥は、この最後の瞬間を、どうしても生きなければならないと思った。
生きる。
そして、わたり鳥は唄をうたいはじめた。
唄はうつくしく世界にひびいた。
堕ちる風切りの轟音でわたり鳥自身が聞かれなかったのは皮肉なことであったが、それでも、世界はその数十秒間、わたり鳥の唄に耳をかたむけた。
***
(三)
ついにわたり鳥はある山に墜落して死んだ。
しかし、わたり鳥の生きた証たるあの唄を、その山はずっと、ずっと覚えていた。
そして、その山が時おり木々をざわめかせて、わたり鳥の唄をうたうとき。
山は、自分が生きていることを、たしかに感じられるのだった。
読んでくださる方がまいにち増えていて、作者として、とてもしあわせです。 サポートされたお金は、書籍代に充てたいと思います。