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物理部とパー研 - 中高時代のサークル活動

母校の文化祭が今年は今週末と珍しく秋にやるらしいというのを聞いて思い出しました。この学校はサークル活動の義務も無ければ、そもそも規則も無いので、いくつでも入りたいだけ入ればいいですし、入りたいサークルがなければ自分で作ってしまうのも自由です。

当時は学内に文化部、運動部、公式非公式あわせて全部で60近いサークルがあったのではないでしょうか。

中1の時は切手研に入ったのですが、中2になりクラス替えで仲の良くなった友人の影響もあり、物理部無線班にも入りました。中2から入ったので中1の試練である部品剥がしの洗礼はあまり受けていないのですが、簡単な回路設計を覚え、無線の資格も取り、合宿にも参加させてもらって、楽しい!?サークル活動をさせてもらいました。まあ兼部組なんで、優秀な部員ではなかったのですけどね。

その頃の部長であるT氏には、今に至るまでお世話になりっぱなしで、逸話話は数限りなく、いずれボチボチ書かせてもらいます。

その後、自分でApple][も使うようになり、高校になった頃に「もうこれからはソフトの時代だ。基板から作るなんてやってられねぇ」と言って、パーソナルコンピュータ同好会(略すとなぜか「パー研」)というのを設立して、そちらに活動を移すようになりました。

自分は既に切手研の会長をやっていたので、別にルールはなかったのですが、責任者の兼任は良くなかろうと、仲の良いM君を会長に立てて、最初は数人で始めた覚えがあります。

ネットの無い時代ですから、情報が欲しくてパソコンを手に入れた人たちが集まってきました。機種はいろいろでしたが、Apple][を持っている人はことごとく入部したようで、文化祭のときには各自のパソコンを持ち寄って展示をしたのですが、全部で10台以上のApple][(とその互換機)が集結して、下手な大学も真っ青の規模で展示が出来た覚えがあります。裏方としては警備が大変だったんですけどね。

パー研は自分たちの代が卒業した後、潰れかけたりして紆余曲折があったようで、おそらく今の人達には当時の事情は何も伝わってはいないと思うのですが、機関紙であるNMIの名称は続いているようです。今ではすっかり老舗のサークルになっているようで、少しは学校に貢献できたのかなと嬉しい限りです。

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