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緊急事態の「ディストピア的出口戦略」

※本記事は2020年3月29日の一部記事を再転載しています。

全文はこちら。"ディストピア的出口戦略「国民感情が引き起こす作用」2/4"


■緊急事態の「ディストピア的出口戦略」

 Twitterでも投稿しましたが、現状に於いて憂慮すべきことは”出口”を何処に定めるのかです。ここを押さえておかなければ、ディストピア的選択を国民全員が迫られることとなります。勿論ですが治療の視点で、明確な出口は難しいでしょう。しかし対策の視点では、現実的に考えられる1つのケースとして、重症者の増加が急激にならないように、医学的根拠に基づく公衆衛生対策と医療設備の補強を行い、(最短で1年半程はかかるとされる)ワクチンや他の効力のある薬品を用い、徐々に集団免疫へと導くというシナリオが想定されています。これは例え、一時的に国や地域を(可能かは別として)封鎖し、外出を禁止したりと短期的な大胆な対策を取ったとしても、先に上げた長期化が想定されるシナリオの中で継続させることは現実的に難しく、どのタイミングで、どのような形で、緩和するのかという出口を構築することは必ず求められるのです。

 但し、長期化へ向けた出口戦略の議論を躊躇させている”人命より経済優先か”とされるロジックには罠が潜んでいます。医療としては、全面的な長期封鎖が望ましいところでしょうし、当然”人命第一”であることには変わりません。しかし、それを踏まえた上でも、ここで示す”現実的な”出口戦略とは、直近1~2年(ワクチン製造期間を根拠とする)の感染者数と経済減速を如何に緩やかにするのかがポイントとなるので、医療にせよ、経済にせよ、どちらが優先かではなく、人権の問題として感染による逼迫か、経済による逼迫か、それを選ぶようなディストピア的出口戦略を国家が国民に迫るべきではないのです。この長期化が前提であることを理解せず”人命より経済優先か”とするロジックにはまってしまうと、現状の国民感情がそうであるように、批判合戦の世論責任逃れの政治ポジショントークのメディアなど、ディストピアが世間に渦巻いてしまうでしょう。このような状況をさせる為にも、出口戦略を構築しておくことが重要なのです。

 しかし、本来この医療と経済のバランサーを担う国家が、法的根拠やシステム上の問題、必要以上に煽られた国民感情によって、出口を定められない状態で大胆な対策だけをとってしまっています。それは、何処までの自粛を行い、何処までの経済活動を行い、どの程度の感染症を許容するのかを“国民頼り”にしているということです。これでは日本人の悪平等意識が強く経済合理性を嫌う価値観の元、ディストピア的選択になってしまっても仕方がありません。つまり、少し乱暴な表現になってしまいますが、出口戦略を構築すべき組織が機能不全を起こしている限り、永遠と経済も医療も逼迫した状態を繰り返し、国民の不満は高まり続け、国力は著しく低下していく可能性を内包しています。

 だからこそ、せめても私達国民は過度な不安に煽られず、悪平等意識による“弾圧”をするのでもなく、医学的対策を無視した“身勝手な高リスク行動”や“陰謀論”に流されるのでもなく、社会全体が少し冷静になって、"長期的に持続可能な社会活動をどのように構築するか" を考えることが、求められています。

 繰り返しになりますが、長期化が現実問題として存在する中で、ポジショントークとは分け、現実的な出口戦略を意識しなければ自らディストピア的出口へと向かうだけでしょう。


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