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未来思考の成長戦略を目指して 「ベーシック・インカムの課題潰し」

※本記事は2020年10月27日の一部記事を再転載しています。
全文はこちら。“ベーシック・インカムという成長戦略の世界線へ”


■7万円では生活不可能論

 一番多い指摘がこちらでしょうか。この議論の前にBI(ベーシック・インカム)は前提として“支給額7万円+α(所得)”を可能にしている点、そして貯蓄や資産も容認している点を押さえる必要があります。既存の生活保護では所得分を支給額から天引きし貯蓄は10万円以下であること、そして親族を含めた周囲からの援助も基本的には認められていません。それに対し、BIは+αが可能ですので所得を得ることも周囲からの援助も貯蓄も投資も資産を保有することもでき、 “7万円だけで生活しなければならない”というわけではありません(なんらかの理由から+αの所得が難しいケースについては後述します)。

 この前提を抑えた上で、それでも支給額だけで生活することが著しく困難であるか、と問われると私自身はそうは考えていません。所得を支給額だけに限定した場合、重要となるのは “現行の水準と同じ生活をするには難しい” というものです。家賃が5万〜8万円で、キャリアの通信サービスを用い、月に何度も外食をし、ブランド物の衣服を身に纏う。マイカーをお持ちの方もいるかもしれません。確かにこれでは7万では到底足りないでしょう。しかし、地方の家賃2万円、格安通信5千円、光熱費1万円、食費2万円、日用品5千円、変動予備費1万円であれば7万円でも足ります(因みに家賃は違いますがこの数値は私が過去に行っていた費用を参考にしています)。

 つまり7万円で今の生活を補おうとせずに、収入と支出のバランスを見直して相応の水準にすれば最低限の生活は難しくなく、前提とされる+αの要素(所得、貯蓄、資産、投資、援助)を組み合わせれば尚更です。それよりも生活コストが下がった現代社会で、生活保護の約14万円が正直に申し上げて高いと感じています。職種や立場によっては労働所得並ですし、一部の受給者によるパチンコなどの浪費問題や医療費への負担など多くの欠点も指摘されています。

 更に生活保護は窓口で断る“水際作戦”が行われたり、厳しい貯蓄制限や、親族とトラブルがあるにも関わらず “親族が面倒をみる” と証言すると対象外になってしまったりと、必要であっても受けられないケースが発生することもあります。何より申請型の受給ではプライドや世間体によって受給せず、より重大な犯罪や自殺、精神疾患の発症など社会復帰が困難になるケースも考えられます。

 少ないより多いに越したことはないですが、本質は支給額ではなく、社会課題への影響及び、各個人の豊かさに寄与できるのはどちらなのかまでを含めて議論を進める必要があります。


■弱者切り捨て論 

 前述にあるように、+αが可能な点、そして生活保護は必要だけれど何らかの問題で受給できていない層を漏れることなく救済するという点では、弱者切り捨てどころか社会福祉の裾野を広げて救済枠を増やす施策になるでしょう。

 但し、障害者や要介護者のように経済活動も難しく、生活費に(専用の器具など)特別なコストが付随してしまうケースでは足りなくなってしまうことも事実です。診断基準や、どの程度の予算が必要で対象者が何名いるかなど、多くの調査が必要な内容なので具体的な数値をここでは出せませんが、ベーシック・インカムの7万円とは別途で特別枠を設ける必要はあります。

 財源は行政コスト削減によって前回の概算予算以上を捻出できるとは考えていますがそれは希望的観測でしかないので、所得制限による確定申告での返納処置を設け特別枠の予算とすることも一つの可能性として考えています。

 もちろん、ベーシックインカムは個別対応しないことによる行政コスト削減を前提としていますが、こちらも現行のシステムをベースにするのではなく、行政のデジタル化によるID管理を前提とすれば、返納処置も個別支援への処置も大きなコストは必要としないでしょう。資産状況、就業状況、ヘルスケア状況などがデータとして可視化されると社会福祉のレコメンド機能にも使えますし、ここでも社会的弱者に寄り添う政策が実現可能となります。

 そもそも、ベーシック・インカムはデジタル行政と一体で機能するシステムなので、デジタル上での情報の吸い上げとベーシック・インカムと個別的社会福祉を用いた、弱者救済論は前提に含まれているようなものです。

 つまり、支給額7万円+特別支援(+α)の形式をデジタル管理による低コストシステムで設定し、所得制限などによる財源で補う形であれば弱者救済は可能だということです。この時点で“ベーシック”ではなくなりますが合理的にアップデートするのであれば問題ないでしょう。


■厚生年金受給者は損をする論

 国民年金の平均受給額は約5万6千円ですので代替可能ですが、厚生年金の平均受給額は約14万5千円ですので約7万5千円不足してしまいます。この解決策は年齢別で対策を行う必要があります。

 例えば、受給期間を受給開始の65歳から平均寿命の87歳(男性81歳、女性87歳)までとした場合、その22年間で平均総受給額は約3,828万円となります。この平均総受給額を月々7万円で補おうとすると、46年間(約3,864万円)必要で平均寿命の87歳からの逆算では41歳が損益分岐点となります。つまり、41歳以下は7万円の方が得をするので一律代替可能で、41歳以上は7万円では損をするので積み立てた保険料を保証する必要があります。また、現行の65歳以上に関しては減額のコンセンサスが取れないので受給額を保証することとなるでしょう。少し複雑になってしまいますが、全体最適解を求めるのであれば仕方がありません。
 
 この議論で重要なのは、“国民に大きな損失を与ずに国家の成長という国益も守る必要がある” という点です。ここでも“ベーシックではない”との指摘もあるでしょうが、ベーシックを土台に国民と国家、双方の損益バランスを維持しながらTrade-offで対応するしかありません。

 年金制度が人口減少によって破綻するとは考えていませんが、現行の社会保障制度では国庫と現役世代への負担が増加する流れにあることは明白であり、このまま維持することが成長戦略としての疑念があり、切り替え時の過渡期的負担があったとしても向き合う必要のある課題だと思います。


■ベーシック・インカムの社会主義論

 確かに、社会福祉の裾野を広げる議論に於いてはリベラルに傾倒しますし、他国でも社会主義だとのいう指摘はあります。特に近年の不安定な世界情勢下では、若年層を中心にリベラルな風潮が強くなっていることも事実でしょう。この原因は、大量生産大量消費経済が終わり、経済の中心が「物」からアルゴリズムやコンテンツのような「情報」へ移行したことで、旧来の経済システムを停滞させてしまった点にあります。また、資本主義の成長は人口ボーナスに依存する要素が多く、先進各国が人口減少と向かう現在ではより、経済成長を描き難くい世代が増えているのでしょう。

 しかし、社会主義や共産主義が優れているのか、実現可能性があるのかといえば、歴史を振り返れば明白で、そのような思想を目指すことは現実的ではありません。とはいえ、現行の経済システムが必ずしも最適解である訳でもありませんし、時代の変化に対応して経済システム(制度設計)も柔軟に変化させる方が合理的です。つまり、BIを社会主義と捉えるのではなく、時代の変化に合わせて資本主義社会をより効率的にワークさせるためのパッチ(修正)システムだと捉える必要があります。

 そもそも前提として、BIは再分配の方式を変更するにすぎず、市場経済の廃止や市場原理の否定を行うものでもなく、更に国民を公務員とする訳でもないので、ベーシック・インカム論=社会主義(共産主義)ということには直結しません。また、労働所得にプラスとする制度であることを考えれば “働かなくても同じ”である社会主義とは根本的に全く異なる制度です。それどころか従来の社会福祉とは違い、社会保障の裾野を広げる反面、国家全体はデジタル化によって縮小し、夜警国家(自由主義国家論)に近いものになるのではないでしょうか。

 何よりベーシック・インカム論とは、国家の成長戦略として合理性を軸に行う「政策論」であり、主義思想や感情論から切り離し論じなければ議論が噛み合わなくなってしまうものです。



 本日はここまでです。私自身は、基本的に経済は自走が重要であると考えています。MMT理論などにも懐疑的で、理論上は可能であってもキャッシュの本質が信用であることを鑑みれば国債を積み上げ続ける財政体質は“国際的な信用”を損なう可能性を秘めているように思います。少なくと過度にバランスを失った財政はどこかに歪みを生むでしょう。また、個人の所得を増やすだけであれば“働けば良い”でしょうし、生活に困窮しているのであれば生活保護を申請すれば良いだけです。

 しかしこの論点の本質は、社会保障制度や国際競争力の向上、人口減少対策、行政のデジタル化(省人化)など複合的な社会課題への突破口を作ることにあります

 人口減少でありながら余剰人材が増えるという矛盾を包括し、人材が成長するための余剰時間確保や出産への障害低減、優秀な人材の流動性を高めることなど、日本の市場に横たわる根詰まりを解消するためのツールとして議論が求められる分野です。

 少なくとも、数年前のデジタル化がそうだったように、批判だけが一人歩きをし議論にすら上げない状況よりは、必ず訪れる着地点を見据え、備え、議論や実験を重ねることが有益な戦略なのではないかと思います。

 私達は少ないリソース(人口、税収、高収益企業)を持て余すことなく最大限に利用するための新しい社会システムについて議論する必要があるフェーズに立っているのではないでしょうか。


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