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"キャッチアップリテラシー"で未来が決まる時代

※本記事は2020年12月26日の一部記事を再転載しています。
 全文はこちら。“民主主義を溶かす 3つ の幻想「溶解する民主主義。」

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。スマホと通信システムの普及によってSNSには情報が氾濫し、世論はSNS情報で右往左往してしまっている印象を受けます。これがSNS上だけで完結しているのであればまだしも、実生活や国家の成長戦略にまで影響を及ぼしているとなると、対策を考えざるを得ないものです。

 今回はインフォデミックという幻想と、将来的な人生差を生む “キャッチアップリテラシー” について寄稿します。


■幻想のインフォデミックとキャッチアップリテラシー

 インフォデミックの影響は世論や政治と、広範囲に亘って作用しています。以前も取り上げた不要不急論は、政治的には曖昧で便利な言葉として使い易さがある反面、一部事業者(飲食、イベント、観光)の生活や仕事までも“不要不急”であるかのような疎外感を与える言葉であり、更にそれらの業種には非正規雇用が多い傾向にあるので、少数派として生きにくさを与てしまっています。また、他業種が生命活動に於いて不要不急ではないのかといえばそうではありませんし、不要不急だったとしても、人が人として生きる上で、学問、文化、コミュニケーションのどれが欠けても成立しないものです。

 他にも、疫学的には行動制限による感染症対策は効果を示しますが、出生率低下問題や現役世代の失業、そしてそれらに伴う日本の空洞化を鑑みれば、Trade-offだとしても損失が大きすぎるように思います。一時的な問題であれば、このTrade-offも成立するのかもしれませんが、人間のみの感染症である天然痘の撲滅に13年間(撲滅期間のみを換算1967-1980)を費やしたような世界線で持続可能な対策を構築する必要があります。それは核となる医療リソースを整えつつ、戦略的にインセンティブを与え、経済、精神を可能な限り疲弊させないことにあります。

 勿論、このようなことは専門家の方々も重々、検討なされていると思いますが、これまでの過剰な恐怖扇動によって発生している慣れや疲れを指して、“協力的ではない国民” “意識が緩んでいる”のような表現には疑問があります。撲滅の幻想や、生物として本来は存在しない意思力に頼るのではなく、緩急やインセンティブ、具体的なKPIと直結した数値を示さなければマネジメントはできません。

 インフォデミックにはメディアの視聴率という経済的側面民主主義の多数決問題受信者(視聴者、読者)のリテラシー問題に大きく分けられます。多数決問題は、選挙方法を改善しない限り難しいですが、メディアとリテラシーによって、世論の多数派を動かすことは可能でしょう。インターネットの普及によってシステム上は、専門家や公的機関の情報をストレートに届けることは可能ですが、それを実現する媒体がなく、利益優先のプラットフォームを通してしまうと、正しい情報をキャッチアップできるのかが、個人のリテラシーに依存してしまいます。つまり、このキャッチアップリテラシーを高めることがインフォデミックを予防する解決策となります。

 ただこちらは、メンタリストDaiGoさんが研究論文に基づく知識共有メディア(Dラボ)を自身で立ち上げられているように、キャッチアップリテラシーの高低差が実生活の格差へと繋がると気がついた一部の層によって、今後は公的情報(一次情報)に基づく専門家の情報発信を如何に吸収するのかという需要と、それを満たすためのプラットフォームの勃興が進むと考えています。

 この知識共有メディアのスタイルは政府も有効に用いる必要性があり、政府発信情報の歪曲防止や教育の質向上など国民への恩恵は多く、民主主義がSNS情報によって左右される時代だからこそ、喫緊の課題でもあります。

 とはいえ、ゴシップ的メディアは売れ続けるでしょうし、SNSでの石の投げ合いや既得権益による情弱ビジネスも後は立たないように思います。しかし、ゴシップをキャッチアップする層と一次情報をキャッチアップする層の収入や幸福度、生活水準が大きく分かれる分水嶺でもあり、何より国家運営に大きな影響を与る弁慶となるでしょう


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Top Image by IvanPais from Pixabay

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