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資本主義のゲームルール「ファイナンスリテラシー」

※本記事は2020年7月12日の一部記事を再転載しています。

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。以前(「日本よ、目を背けるな」 4/4)より日本が直面していて尚且つ、口当たりの良い対処方法へ逃げてしまっている課題について考察を行ってきました。安全保障問題、ジェンダー問題、社会人幻想論、選挙制度の形骸化など、ジャンルは多岐にわたりますが、通底する課題が存在します。それは “少子高齢化” です。

 安全保障と向き合い東アジアでのアライアンスを構築することで、減りゆく人材や資源などのリソースを獲得することが出来ますし、ジェンダー問題は少子高齢化の歯止めと女性の社会進出による人材の最適化へと繋がり、大量生産大量消費時代の社会システム(雇用制度、社会保障、リカレント教育環境)を改善することで省人化後の個人生活を守り、選挙制度を改革することで若年層の影響力が高まれば社会全体の硬直化を緩和できるでしょう。

 これらのテーマは身近でありながらも深い議論はなされず、口当たりの良い主張で蓋をされていましたがその実は全て、日本のグランドビジョンに関する重要なテーマということです。とりわけ選挙問題は若年層の待遇改革の文脈ではなくDXに直結する課題で、デジタルネイティブである若年層の社会参画は、業務(行政)のデジタル化への強い力となり、巡り巡って “漏れのない税収” “税金コストの削減” “福祉対象へのレコメンド”と老若男女問わず国民全体への恩恵となり得るものです。(もちろん、改革しないことで有利な既得権益も多く存在しますので、国会がアナログであり続ける限り、そう簡単ではないでしょうが。)

 しかし、若年層票の価値が増すと当然ながら、安易なバズワードによるパフォーマンスで煽動しようとしたり、耳障りは良いが具体性のない感情論を流布するケースや、学校教育という社会から隔離された空間でバイアスを植え付けてしまうケースなどのリスクが想定されます。そうならないためにも、社会システムのアップデートと合わせて教育システムのアップデートを行う必要があります。

 今回は、“実践的社会リテラシー教育”を軸に義務教育課程で身につけておきたい内容を考察します。


■資本主義のゲームルール「ファイナンスリテラシー」

 このテーマは昨今、多くの書籍や番組、動画などでも取り上げられている問題ですがあまり広がりをみせません。それは根底としてファイナンスリテラシーの重要性を理解していない点にあるように思います。その要因は、義務教育のカリキュラムに資本主義ないしエコシステム論が存在しないこと、そして教育者の多くが公務員(Labor/Consumer)でファイナンスリテラシーをあまり求められない職種であることなどが挙げられます。また社会人の財務意識への影響として、源泉徴収型の納税方法を用いることで、(サラリーの場合は)企業が徴収処理を行ってしまい、各個人の税金に関する意識が薄れていることも関係するでしょう。

 ファイナンスリテラシーの影響は単純に“儲ける知識”という意味ではなく、資本主義社会のシステムを学ぶという “生活水準や価値観に直結するリテラシー”として本来は義務教育課程で教える必要があるテーマです。例えば、キャッシュフローといえば多くの方は働いて稼ぐ “労働所得” をフローさせるイメージを持たれますが、本来は資産を投資することで発生した “不労所得” をフローさせることで生活費を補う事を意味しており、労働所得を生活費として動かし続けようとすると、仕事が辞められずまた失業=生活難のリスクを抱えるいわば “自転車操業”の状態に陥ってしまいます。

 つまり、生活に必要な限界費用は “不労所得(又は複収入)” で補い、資産構築を+αの“労働所得”で補う構図が資本主義経済として健全なキャッシュフローです。これこそが、近年謳われる“好きなことをして生きる”という価値観の前提条件に存在します。

 他にも、貯蓄は可処分所得を再回収し戦争費用に充てるために奨励されたシステムであり、戦争経済ではなくなった資本主義社会では、キャッシュを貯蓄するのではなく、投資(自己投資を含む)により流動性を与え続けることが個人や社会の経済的成長へと貢献します。更に、この経済活動の過程では大きく、“労働者” “経営者” “投資家” の三層に分けられますが、義務教育では労働者教育を主軸とした一元的教育となっています。これは現代の義務教育が1804年プロイセンで従順な徴集兵候補を育成するために策定された義務教育プログラムに起源を持っているため、兵士=労働者を効率よく育成することに特化しているからです。

 本来の義務教育とは “社会活動に必要な教養と、専門家になるための素地を養う教育” なので、旧態依然の軍事制度ではなく現代社会に寄り添ったシステムへのアップデートは必須です。この乖離はファイナンスに必要な数学でもみられ、江戸時代の寺子屋では田畑の計算や複雑な年貢の計算に用いられる“和算”という日本独自の数学を学び武士や農民までもが“幾何学” “数列”など世界的にみても高度とされた計算に対応していたように、最低限の税収のシステムや財務管理に必要な知識をベースにしつつ情報処理や統計学へなど必須となる分野を軸にカリキュラムを再構築する必要があるでしょう。

 高付加価値産業の要である芸術家やエンジニアでも財務意識が全くなければ、経済成長期の作業員(労働者)としては成立するかもしれませんが、今後の“個”が意識される社会では淘汰され、産業全体の競争力を阻害してしまいます。学校教育で、将来の夢を語らせるのであれば、夢を実現させるための “ゲームルール” についても学ばせなければ、社会全体の成長は持続できないものです。

 本日はここまでです。次回はデジタルリテラシーについて触れたいと思います。


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Top Image by Nattanan Kanchanaprat from Pixabay

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