見出し画像

1945年。彼女が見たもの。

自己紹介:妻の海外赴任を機に福祉施設の施設長を退職し、持ち家も処分。当時13歳の娘と家族3人で2023年夏に日本を出てオーストラリアに移住の48歳。現在子育てと家事全般を行う完全専業主夫。ワーホリのタグ付けをしているが、ワーホリではなく働く予定も特になし。一応、社会福祉士だが外国ではなんの意味もない。吉本芸人チャド・マレーンがオーストラリアを「ラリア」と呼ぶことに感銘を受け、そのまま使用する。


6月23日慰霊の日。

沖縄県民にとっていろんな思いがよぎる特別な日で俺も毎年いろんなことを考えるんだけどさ、その中の一つ、ずっと忘れられないことがある。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

もう20年以上も前の話、20代の初めにある特別養護老人ホームで介護職として勤務してたの、俺。

70人のオジィオバア。その中にヨシさんというお婆さんがいて。当時70歳は過ぎていた。

70歳は過ぎているんだけど、見た目は若いの。おかっぱの髪の毛は真っ黒だし、目は黒目が大きくてクリクリっとしてて、肌もツヤツヤで。

でね、喋れないの。聞こえてはいるけれど職員の話を理解しているのかいないのか、何言ってもほとんど反応がない。

ヨシさん!ご飯ですよ、行きましょう!と言っても椅子から立ち上がることはない。手を取るとゆっくり立ち上がって、トボトボと職員の後をついていく。

人と交わることもなく、職員が気がつくと何するともなく廊下の端にぽつんと立っている。遠くからヨシさん!って呼んでも顔をこっちに向けるだけ。近寄って言って手を取ってテレビの前に座ってもらう。しばらくして職員がヨシさんがいないことに気づき辺りを見回すと、次は別の廊下の隅っこでぽつんと立っている。これの繰り返し。何してたんですか?って尋ねても反応はほとんどない。たまに、本当にたまに口をむにゃむにゃ動かして聞き取れない方言のようなことを一言二言。

普段の行動でも歯磨き食べちゃったり汚れた下着を枕に隠したりなんてこともあったんだけど、認知症とも若干違うし特養に来るまでどこかの福祉施設にいたって話を聞いていたから、俺はてっきり知的障害があるもんだと思っていた。

ある慰霊の日。

沖縄では慰霊の日に特番を放送することがよくあってね。沖縄の戦前戦後を特集した番組やなんか。それをオジィオバァが見ていた。中には涙する人もいたし、職員つかまえて当時の話をする人もいる。ヨシさんも見ていたんだよね。特に何の反応もなく。いつものことだけど。

テレビでは戦時中の学生の話をしていた。戦局が激しくなりいよいよ米軍が沖縄上陸となった時、足りない人員を補う為に戦場に駆り出された学徒隊。とりわけ女生徒は戦場での看護業務に当てられた。ひめゆり学徒隊や白梅学徒隊の話は沖縄で育った人間はみんな知っている。

その女学生たちが駆り出される直前の校舎の風景も映し出された。まだ平和な沖縄。まだ若く、未来に希望を抱いた女学生たちがいる。唱歌が流れる。ヨシさんはじっと見ていた。

で、俺気づいたんだよね。いつもと変わらず身動き一つせず、じっと座っっているヨシさんが指先だけトントンって動かしているの、ソファーの端を叩いている。唱歌のリズムに乗りながら。

感情表現なんてほとんどすることない人だからさ、ましてやリズムに乗って指を動かしている姿なんて初めて見たから、俺、嬉しくなって聞いたんだよ、お!ヨシさん、その歌知っているんですか?って。

でもね、彼女は何も反応することなく俺の顔を見ることもなくじっとテレビを見つめていた。

その日は夜勤だったんで、仕事の合間にヨシさんの「個人ファイル」を開けて見たの、俺。そこには彼女の現在の健康状態から出生、既往歴までが全て記録されているんだよね。

看護記録や日々のケース記録の束の一番下、ヨシさんがこの老人ホームに移って来る前の施設、養護院からの情報提供書だった。そこにはヨシさんが施設に保護される前の状況が記されていた。とても古い記録。

〇〇ヨシ 〇〇某の長女 旧××村出身

終戦後に疎開から戻ってきた近隣住民により自宅で発見される。

発見時、自宅にいたのは戦争で負傷した寝たきりの祖父母とヨシの3人のみ。後の調べで父母兄弟は戦死したと判明。

発見した当初、半壊した家は荒れ、病人の世話をヨシが一人で行っていた。栄養状態、衛生状態は極めて劣悪。糞便の始末もされていない状況であった。

隣人の世話により施設に入居。本人が喋らぬため、当時の詳しい状況は把握できず。

なお、隣人によると戦前は学校に通い、兄弟姉妹の面倒を見るなど明朗闊達な女児であった。

戦争のショックによる失語と思われる。

1945年の夏、彼女は全ての感情を封じ口を開くことをやめた。それから数十年間、何も語ることなく何も望むことなく長い時間を過ごしてきた。

過ぎた日々の学生達の歌声に小さく指を動かした彼女の胸に去来するもの。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今でも考える。

明るく賢く兄弟の面倒を見る優しい一人の女の子は、あの戦争を境に全てを捨てた。人をこうまでも壊してしまう「彼女が目にしたモノ」とは、一体なんだったんだろう。

俺には想像することもできない。


#オーストラリア
#シドニー
#専業主夫
#移住
#海外生活
#子育て

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?