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最後の鉄の蝶、落ちた。

自己紹介:妻の転勤の機に福祉施設の施設長を退職し、持ち家も処分。当時13歳の娘と家族3人で2023年夏にオーストラリアに移住の48歳。現在子育てと家事全般を行う完全専業主夫。ワーホリのタグ付けをしているが、ワーホリではなく働く予定も特になし。一応、社会福祉士だが外国ではなんの意味もない。吉本芸人チャド・マレーンがオーストラリアを「ラリア」と呼ぶことに感銘を受け、そのまま使用する。


6年前に死んだ親父はロックのCDなんか一枚も持っていなかったの。ビートルズもツェッペリンも全く知らなかった。

ただ、2つのグループの熱狂的ファンだった。

一つはサンタナ。ブートレッグも含め目についたものはCDと言わずLDもDVDも全部揃えていた。それこそ百枚近くある。海賊版も含めてだからね・・・。俺、子守唄はサンタナの〈Gitano〉だった。マジで。

んでも方一つがアイアン・バタフライ。コレも親父からことあるごとに「昔、アイアン・バタフライっていうバンドがいてよ・・・」って聞かされていたものの、ずっと廃盤で入手不可で聞いたこともがなかった。

今みたいにYoutubeなんかないもんね。

高校生の時、友人宅で友人親父の古レコードを見つけて「コレ!これくれ!」って貰ってきたものを親父に持って帰った記憶がある。

後年再発されたCDで初めて聞いた。18歳くらいの時。さらにその後Youtubeで映像を見つけて親父に見せると「初めて動いているアイアン・バタフライ観た!」って興奮してたのを思いだす。

親父、好きだったな、アイアン・バタフライ

https://www.youtube.com/watch?v=e5mRsu_y_jY


だって自分の経営する喫茶店に「大喫茶 ガダ・ダ・ヴィダ」って名前をつけるくらいだもの

写真は姉貴と叔母。

俺は生まれてないとこを見ると1974年あたりか?復帰直後の沖縄・コザ。

いい写真だと思う。

「俺はロックが好きなわけじゃない。サンタナとアイアン・バタフライが好きなだけだ」が偏屈者の親父の口癖だった。

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