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ブレークファストクラブ

自己紹介:妻の海外赴任を機に福祉施設の施設長を退職し、持ち家も処分。当時13歳の娘と家族3人で2023年夏に日本を出てオーストラリアに移住の48歳。現在子育てと家事全般を行う完全専業主夫。ワーホリのタグ付けをしているが、ワーホリではなく働く予定も特になし。一応、社会福祉士だが外国ではなんの意味もない。吉本芸人チャド・マレーンがオーストラリアを「ラリア」と呼ぶことに感銘を受け、そのまま使用する。


今日のラリア 313

◆今日の「ブレークファストクラブ」

今日、娘14歳の卒業式だった。この学校の卒業式は卒業証書の授与だけじゃなく生徒のダンスあり歌ありですごく楽しめるものだった(´∀`)

その中で年間の各最優秀賞なんかも発表されて、娘は副校長賞なんかも貰ったりしてた(´∀`) チミ、副校長賞なんかもらうの?すげーな🤣 えらいぞ14歳♡

たかだか10ヶ月だけど、その10ヶ月はものすごく濃いものだったことは想像に難くないよね。俺なんかの中学高校時代の安穏とした日々とは全く違った10ヶ月だったと思う。

実は去年の9月。初日に登校したあと、2日目3日目は学校に行くことができなかった。朝、俺と一緒に家を出るものの緊張と不安で学校のある駅で降りることができず引き返してきた。いつも天真爛漫な彼女のそんな姿を見たのは初めてだった。駅からの帰り道、泣きじゃくって「パァパ、ごめんね」と言った。

4日目にも俺が学校のロビーまでついて行ったけど、教室へ足を向けることができなかった。二人でしばらくロビーのソファーに座っていた。

その時一人の先生がやって来た。

毎週金曜日は生徒と先生が始業前に軽食を食べながら意見交換をする「ブレークファストクラブ」というものがあって、その日(金曜日)も奥のホールで開催される。まだ少し時間があるけど軽食のホットサンドを作るのを手伝ってくれる?とその先生が娘の肩を抱いて優しく聞いてくれた。娘は目に溜めていた涙を拭きながら頷いてホールに。俺は不安なまま娘の後ろ姿を見送ったんだよね。

その日以来。娘は1日も学校を休むことなく、長期休暇のたびに新学期を待ち侘びるようになった。

卒業証書授与、パフォーマンスも終わり、いよいよ卒業式も終わりに近づいた時、最後の表彰があった。

SRC(学生評議会。生徒会のようなもの)が選出する年間を通して最も優秀だった生徒一人に送られる最優秀学生賞。顧問の先生が「みんなの手本となりリーダーシップを取り、学校に貢献した生徒に贈られます」なんて説明してた。

顧問の中でも一番偉そうな先生が資料を見ながら言う。「この生徒は常日頃からアクティブでさまざまな行事でリーダーシップを発揮し、特にブレークファストクラブの準備にボランティアとして参加した回数は私が数えられる中でも20回以上。学校生活を楽しいものにするための手伝いをしてくれました。本当に素晴らしい。ありがとう」

娘の名前が呼ばれたんだよね。

びっくりしたよ。あいつ、あれからずっとブレークファストクラブの手伝いしてたんだ。何も知らなかったよ、俺。

会場の生徒たちもみんな彼女のその行動を知っていたようで、大きな歓声と拍手で娘を祝福してくれた。照れながらステージに上がる娘をみながら思ったよね。

あいつ、もしかしたら自分を救ってくれたブレークファストクラブに、次は自分なりに恩返しがしたかったのかもしれない・・・。


卒業式が終わって出口に向かう時、ロビーを通った。

10ヶ月前、娘と二人座っていたロビー。あの時不安で押しつぶされそうになっていた彼女に声をかけてくれた先生。その一歩を踏み出すきっかけとなったブレークファストクラブ。そしてそのブレークファストクラブを続けた娘。

たかだか10ヶ月前だけど、なんかすごく懐かしくなって写真を撮った。

いよいよ校舎を出る時、副校長先生とすれ違った。お礼と共に「I’m so proud of my daughter!」と言うと、彼女は人差し指を俺に向けて笑顔で

「You should be!」

ってさ(´∀`)

うん、本当にそう思うよ。


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