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気候変動と大量絶滅(遺伝子決定論は正しいか? ⑦)

気候変動と大量絶滅


 太古代(始生代:40~25億年前)はじめに100℃近い熱水の中で誕生した生命は、次の原生代(25~5.41億年前)には一転して2度に亘る全球凍結(スノーボールアース)に見舞われ、 絶滅の危機を乗り越える度に、真核生物そして多細胞生物を進化させてきました。硬い殻を持ち高い運動能力を獲得した多種多様な海洋動物が一斉に進化してきた顕生代(5.41億年前~現在)に入っても、 地球は劇的な気候変動に見舞われ続け、生物はその度に絶滅の危機に直面してきたのです。そして絶滅の危機を乗り越えた直後に、地球環境の改善の中で生き残った生物たちが、大量絶滅によりガラ空きになった生態系に一斉に適応放散し、新たな生物を進化させると共に豊かな生態系を再建してきたのです。

 下の、図36)「顕生代の地球表面温度の推移」を見れば、地球が如何に激しい環境変動を経験して来たか良く分かります。しかも上のグラフを見ると、地球は周期的に大変動を繰り返して来た様に見えます。さらに、下の新生代を拡大したギザギザのグラフでは、安定期らしきものも無く、ごく短期間に気候が激変を繰り返しています。地球の気候システムは、我々の感覚とは異なり極めて不安定で、1億年から数千万年といった長期の周期に、数万~数千年の短い周期が重なって、激しく揺れ動いてきたのです。

 氷河時代として知られる、新生代第四紀の更新世(洪積世)の 258万~1.17万年前を下のグラフで見ると、気温が低下すると伴に変動が激しくなっている事がわかります。以前は、氷河時代とは氷に閉ざされた単に寒いだけの時代と考えられていましたが、実は氷河期は気候変動の激しい時代でもあるのです。そして人類(ホモ・エレクトス)は、この氷河時代に登場し急速に進化を遂げてきたのです。つまりヒトの進化は、温暖期と寒冷期を繰り返す氷河時代の厳しい気候変動が生み出したものなのです。

 また、次の完新世に入る約 1万2000年前頃からグラフが水平になり、振幅も小さくなって気候が安定期に入った事も分かります。人類は約1万2000年前に農耕を開始し、その後文明を発達させてきた訳ですが、それが可能だったのは、この1万年ほどの期間が、地球史の中では例外的に気候が安定した時期にたまたま当たっていた為だったのです。我々の文明は、不安定な地球気候システムの数少ない安定期に遭遇したという、危うい僥倖の上に成り立っている訳です。地球が繰り返し経験してきた地質時代の激しい気候変動を考えると、今後人類が急激な気候変動に巻き込まれるのは、それが何時になるかは別にしてほぼ間違いのない事なのです。

図64)顕生代の地球表面温度の推移(下のグラフ横軸:左半分は100万年単位、右は1000年単位)

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(出典:ウィキメディア・コモンズ )

図29)「顕生代の海洋生物の多様性」(再掲)

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(出典:ウィキメディア・コモンズ )

 図36)の上のグラフを、前々回に掲載した図29)「顕生代の海洋生物の多様性」と比較すると、気候の急変動が起こっている時期と、大量絶滅の時期が重なっている様に見えます。ビッグファイブと呼ばれる5度の大量絶滅の内、オルドビス紀末(O-S境界:4.44億年前)と白亜紀末(K-Pg境界:6600万年前)の絶滅は、気温が急低下したボトムの時期に丁度当たっています。オルドビス紀末の史上2番目と言われる大規模な大量絶滅では、突然の寒冷化により莫大な量の水が南極付近の陸地を覆う氷冠として閉じ込められ、海面は数十メートルも低下したと言われます。また巨大隕石の衝突が、恐竜を絶滅させたと喧伝されている白亜紀末も、気温が急低下したボトムの時期に当たっているのです。

 一方、デボン紀後期(F-F境界:3.74億年前)とペルム紀末(P-T境界:2.51億年前)の2回の絶滅では、気温が急降下した直後の急上昇の時期になっています。三畳紀末(T-J境界:1.996億年前)だけは、気温低下がボトムへ向かう途中で絶滅が起こっている様に見えますが、全体として気温が急低下してボトムを付け、反転して気温が急上昇するタイミングで大量絶滅が発生していると捉える事ができます。そして、こうした気温の急低下と直後の急上昇は、地球規模の大規模火山噴火を考えるとうまく説明する事が出来るのです。実際、この5回の大量絶滅の全てで、大規模火山噴火が起こっていた様なのです。

  海にすむ生物種の96 %、陸の生物種の4分の3が死に絶えた、史上最大の大量絶滅と言われるペルム紀末の絶滅は、巨大なマントルの上昇流である「スーパープルーム」によって発生した大規模な火山噴火が原因と言われます。火山ガスには水蒸気、二酸化炭素、メタン、硫黄化合物などの温室効果ガスが大量に含まれています。さらにこの時は、深海底のメタンハイドレートが崩壊して、温室効果が二酸化炭素の25倍と言われるメタンの大量発生で、温暖化が一気に加速しました。この急激な温暖化により、噴火から100万年後には海水と土壌の温度は14〜18℃も上昇し、赤道の海水の表面温度は40度にもなったと言います。200万年以上続いたこの巨大噴火は、ウラル山脈の東からロシアの東側を半分を覆う 300万立方キロもの溶岩を流出させ、中央シベリア高原を中心に、シベリア・トラップと呼ばれる洪水玄武岩の階段状高原地帯を形成したのです。その面積は 700万平方キロメートルにも及び、この巨大噴火で少なくとも 14.5兆トンの炭素が放出されたと言われます。これは地球上のすべての化石燃料を採掘して、燃やした場合に放出される炭素量の 2.5倍に相当します。

図62)シベリア・トラップの範囲(青線内、紫:溶岩地帯、赤:凝灰岩地帯)

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(出典:ウィキメディア・コモンズ )

図63)中央シベリア高原、プトラナ台地

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(出典:ウィキメディア・コモンズ )

 恐竜が絶滅した白亜紀末にも、巨大噴火が有った事が分かっています。それは、インドのデカン高原を形成したデカン・トラップです。これはシベリア・トラップと同じく、マントル・プルームの上昇による巨大噴火が作り出した洪水玄武岩の階段状高原で、100万年を超える期間に約56万立方キロメートルもの溶岩が流れ出し、2000m以上の厚さと 50万平方キロメートルの面積を覆っています。しかし、元々はインドの面積の半分に相当する、150万平方キロメートルに達していたと考えられています。しかもその噴火時期が、恐竜を絶滅させた巨大隕石の衝突時期とピッタリと一致するのです。デカン・トラップの巨大火山活動は、隕石衝突の約40万年前に始まり、白亜紀の終わりから約60万年後に終息したと言います。 つまり恐竜の絶滅は、隕石衝突ではなくインドでの巨大噴火が主原因であった可能性が有るのです。 実際、衝突でできた地層からは非鳥類型恐竜(鳥類とは無関係の恐竜)の化石は見つかっておらず、巨大隕石衝突時には既に絶滅していた可能性があると言います。

図64)デカン・トラップ

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(出典:ウィキメディア・コモンズ )

 三畳紀末の絶滅では、地球上のすべての生物種の76%が絶滅したとも言われ、これを契機に恐竜が一気に適応放散を開始し、その後1.35億年にわたり地球を支配する事になります。この三畳紀末の大量絶滅も、巨大火山噴火が原因と考えられています。実は、ペルム紀から三畳紀にかけての約3億~2億年前まで、全ての大陸が1つに集合したパンゲア超大陸が存在していました。パンゲア大陸は赤道をはさんで三日月型に広がり、三日月内部の浅く広大な内海のテチス海では、多くの海洋生物が繁殖していました。ところがパンゲア超大陸は、三畳紀末の大量絶滅の時期に分裂を始めるのです。このパンゲア超大陸を分裂させたのが、中央大西洋マグマ地域(CAMP)として知られる、地球最大の巨大火成岩区を形成した巨大噴火です。火山噴火は、約2.01億年前に発生して約 60万年以上続き、流れ出たマグマの量は約 200~300万立方キロ、火成岩区は約1,100万平方キロメートルにも達します。現在、この巨大噴火による洪水玄武岩地域は、アフリカ北西部、ヨーロッパ南西部、北アメリカ北東部と南東部、北大西洋中央部周辺の広大な地域に広がっています。この巨大噴火が、南北アメリカ大陸をアフリカ・ユーラシア大陸から分離し、大西洋を誕生させる事になるのです。

図65)パンゲア超大陸と中央大西洋マグマ地域(CAMP)

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(出典:ウィキメディア・コモンズ )

図66)パンゲア超大陸の分裂(右上:2億年前)

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(出典:ウィキメディア・コモンズ )

 また、ペルム紀末( 2.51億年前)の大量絶滅を引き起こしたシベリア・トラップは、シベリアがパンゲア超大陸に衝突した時期に当たっています。つまり、ペルム紀末と三畳紀末の2つの大量絶滅を引き起こした巨大噴火は、どちらもパンゲア超大陸の形成・分裂の過程に関係していた事になります。

図67) 石炭紀後期(約3.1億年前)、ローレンシア大陸とゴンドワナ大陸が衝突してパンゲア超大陸が誕生(S:シベリア、NC:中国北部、SC:中国南部、PA:パンサラッサ海、PT:古テチス海/赤:造山帯、黒:沈み込み帯/約2.5億年前にシベリア(S)がパンゲアに衝突)

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(出典:ウィキメディア・コモンズ )

 残りの、オルドビス紀末とデボン紀後期の大量絶滅でも、 巨大噴火が起こっていた可能性が指摘されています。 実は、この時代の地層から高濃度の水銀が検出されており、火山の大噴火が地下のマントルに含まれていた水銀を噴出させて、世界中に堆積したと考えられるのです。つまり、ビッグファイブと呼ばれる5度の大量絶滅の全てで巨大噴火が発生し、それが原因で絶滅が引き起こされていた可能性が高いのです。

 このような地球規模の巨大噴火は、地球の奥深くから沸き上がるマントル・プルームによって引き起こされたと考えられます。プルームとはマントル内の大規模な熱対流運動の事で、特にマントル最深部の深さ2,900kmにまで達するものをスーパー・プルームと呼んでいます。 これには、大陸プレートと衝突した海洋プレートが海溝からマントル中に沈み込み、落ち込んで行くコールドプルームと、深さ2,900kmの核との境目から高温になったマントル成分が上昇するホットプルームが有ります。コールドプルームが、外部マントルと内部マントルの境目の深さ670kmの部分でいったん滞留した後、まとまって一気に核まで落ち込んで行くと、スーパー・コールドブルームが誕生します。 このコールドプルームの落下は、周囲の大陸を引き寄せて超大陸の形成を促進すると考えられます。また、スーパー・コールドプルームの核への落下は、その反動としてスーパー・ホットプルーム誕生の契機となります。現在では、スーパー・コールドブルームはユーラシア大陸のアジア大陸側の下に存在し、スーパー・ホットプルームの方はアフリカ大陸と南太平洋の下に存在して、大地溝帯(グレート・リフト・バレー)と南太平洋に点在する火山を形成しています。

 シベリア・トラップ、デカン・トラップ、中央大西洋マグマ地域(CAMP)などの広大な洪水玄武岩地域は、地表にまで到達したスーパー・ホットプルームにより形成されたものなのです。 そして、こうした巨大なスーパープルームは、 超大陸の周期的な形成と分裂に深く関与していると考えられています。

図68)ホットプルームとコールドプルーム

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(出典:ウィキメディア・コモンズ )


 ホットプルームによる巨大噴火で形成される洪水玄武岩の溶岩は流動性が高く、噴火を繰り返すことで階段上の高原や台地を形成したと考えられています。また、玄武岩質熔岩の噴火においては、火山灰の噴出量が少ない反面、大量の火山ガスを出す事例が多い事が知られています。そして、この大量の火山ガスが、地球環境に深刻な影響を及ぼす事になるのです。マントルの熱対流が生み出すマントルプルームは、地球内部の熱を宇宙空間に放出する働きをしています。そして、地球は大陸移動と関連しながら、脈打つ様にマントルプルームの活発な活動期と鎮静期を交互に繰り返して来たのです。そして、地質時代に幾度と無く繰り返された、マントルプルームの活動によって形成された、広大な洪水玄武岩の巨大火成岩岩石区が世界中で見つかっています。

図69)洪水玄武岩の巨大火成岩岩石区

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(出典:ウィキメディア・コモンズ )

 マントルプルームが活動期に入り、地球深部から巨大なホットプルームが上昇してくる直前の時期は、火山活動が全般的に低下して二酸化炭素などの温室効果ガスの放出量が減少し、気温が低下し続けていたはずです。しかし、突如として巨大噴火が始まると、大量の温室効果ガスが放出され、気温は一転して急上昇を始める事になります。これが、気温が急落してボトムを着けた時、あるいはその直後の気温の急上昇期に、大量絶滅が起こっている理由と考えられます。また、二酸化炭素とともに二酸化硫黄ガスが大量に放出されて成層圏で硫酸に変化し、この硫酸が浮遊微粒子(エアロゾル)になって太陽光を遮断して、一時的に寒冷化が進行した可能性も考えられます。まず、最初の急速な寒冷化の中で多くの生物が絶滅し、寒冷化に適応して何とか生き残ったものは、今度は正反対の急激な気温上昇に見舞われて対応出来ず絶滅して行ったのでしょう。図54)「顕生代の地球表面温度の推移」に見られる様な、気温の急低下直後の急上昇といった地球環境の激変に巻き込まれて、多くの生物が絶滅したのだと思われます。

 つまり、マントルプルームに見られる地球内部の熱対流の自律的な脈動が、地表での周期的な気候変動を引き起こし、それが生物の大量絶滅を繰り返し発生させていた訳です。ここで明白なのは、多くの生物が絶滅したのは地球環境の激変の結果であり、進化論者が喧伝する様な同種内での生存闘争などとは全く関係が無いと言う事です。もし、環境の急激な悪化に見舞われて、仲間内での闘争にうつつを抜かしている様な愚かな生物がいるとすれば、環境変動に巻き込まれて真っ先に絶滅する事になるでしょう。つまり、生物が生き残り、子孫を残して行く上での最大の課題は、地球環境の激変に如何に対応するかであって、仲間内での生存競争などでは無いのです。

 そして 40億年前の誕生以来、幾度となく絶滅の危機に直面してきた生物が、いつ襲ってくるか分からない環境変動に対応する為に取った対策が、多様性を拡大しておく事だったのです。激変する環境に対応する為には、今は役に立たない無駄と思えるもの、自分とは異質な存在も、排除せずに受け入れるという寛容さが不可欠だったのです。真核生物が、役に立っているとは思えない様な、意味不明の大量の DNA 配列を保持し続けているのも、多様性を維持する為のコストなのでしょう。ダーウィン進化論の言う生存闘争や適者生存は、多様性とは相容れないものです。この理論は、現在の環境に最も適応した個体が生存闘争に勝って生き残り、形質が子孫に伝えられる事で種が進化して行くと言うものです。しかし、これでは現在の環境に最適化していない為に、生存競争に敗れた他の様々な多様な個体を排除する事になり、種の多様性を著しく毀損する結果になってしまいます。こうした排除の論理は、ダーウィン進化論から派生した優生学が、精神疾患や障害者を「生きるに値しない命」として抹殺しようとした事に典型的に表れています。しかし誕生以来、地球環境の激変と闘って来た生物は、ダーウィン進化論や優生学とは正反対に、無駄に思える様なものも切り捨てる事なく大切に保持し、多様性を最大化する事で繰り返す絶滅を生き残ってきたのです。

図70)ナチスの月刊誌「Neues Volk」の優生学ポスター(「6万ライヒスマルク、この遺伝性疾患に苦しむ人が生涯にわたって地域社会に負担をかけるものです。市民の仲間、それはあなたのお金でもあります。」と書かれています)

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(出典:ウィキメディア・コモンズ )

 もう一つの生物が取った重要な対策が、生存闘争とは反対に互いに助け合う事です。生物は環境の激変を乗り越える為に、生存競争ではなく反対に互いに協力し合い、助け合う事によって、絶滅の危機を乗り越えようとして来たのです。その典型的な例が、真核細胞を誕生させた細菌間の細胞内共生と、異種間での遺伝子の水平移動です。つまり、生物は常に変化し続ける環境への適応を強いられる中で、互いに共生し、遺伝子を交換し合い補い合って、助け合い協力し合いながら進化し生き延びて来たのです。

(つづく)

① 遺伝子とは何者か?
② 個体発生は系統発生を繰り返す
③ 生存闘争は進化を推進するか?
④ 生命は多様性を目指す
⑤ 激変する地球環境の下で生命は誕生し、進化してきた
⑥ カンブリア爆発:捕食者の出現

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