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デイヴィッド・ホックニーさんとサム・フランシスさんを愛でにー東京都現代美術館

立秋を過ぎて送り火が終わっても陽射しが強く、何よりも南の海から届く湿気に夏が主張する8月18日。夏の美術館巡りは続きます。
お目当てはデイヴィッド・ホックニーさん。正直、以前から展覧会が開催されていることは知っていたものの、それほど積極的に観たいとは思っていませんでした(失礼)。あまり原色や強い色調の絵は好まないということもあります。色という意味では、こちらも間もなく終了するアンリ・マティス展さん方がまだ好みだったのですが、逆にこちらはその表現があまり好きではない。
と言うことで、消去法的に(本当に失礼。。)ホックニーさんの展覧会を目指したのでした。結果、食わず嫌いはやはり良くありませんね、ということとなったのですが。。

鉄道駅としては清澄白河駅が一番近いようですが、せっかくなので往路と復路で異なる道を歩こうと往路は木場駅で下車。

木場公園
木場公園内 都市緑化植物園
木場公園内 都市緑化植物園

広い芝生があるくらいで特に特徴があるわけでもなく、炎天下で人もまばらな木場公園。ただ、小さなスペースですが、植物園には暑さに負けずに可愛らしい花が日差しを跳ね返しており、目を楽しませてくれます。
とはいえ、わざわざそこを目的とする場所ではありませんけれどね。

押上のテレビ塔を望みつつ北に歩を進めると、洗練された建物が見えてきます。
実は東京都現代美術館を訪れるのは初めて。

西側の入り口から涼しい館内へ。
今回、デイヴィッド・ホックニー展と共に「MOTコレクション 「被膜虚実」「特集展示 横尾忠則―水のように」「生誕100年 サム・フランシス」(三テーマ?)」が併催されており、チケットはセット割はあるものの別々。せっかくなので、両方観ることに。
まずはデイヴィッド・ホックニー展へ。
3階と一部2階、そして1階という順番で観覧するのですが、1階のみが写真撮影可能。

いつものように、素人の私が惹かれた作品だけをピックアップして感想を並べてみたいと思います。

「ウェザー・シリーズ」 雪
山々と竹のような葉の木に深々と降り積もる雪。朧月夜(月は描かれておらず私の勝手な空想)にぼた雪が空を一面にゆっくりと舞い降りる。
日本の浮世絵のような姿のせいか、この作者にしては色を抑えてモノトーンに静謐な情景を描いておられるせいか、雪景色のせいか。。私が惹かれる理由は様々ですが、好きな作品でした。

「窓からの眺め」
iPadで描かれた作品が、並べられた三つの高精細な縦長のモニターに次々と映し出されます。その中には、制作の過程がそのまま再現される絵も多数。描かれる同じ窓の景色が、私好みでは無いはずの強めの色で描かれているのに繊細に季節を映し出しつつ描かれ心に染み入る。おそらく二周りするくらい30分ほど前から離れられず、見入っていました。このデジタルコンテンツが欲しい。。時々リモートワークをする書斎にあったら、ずっと観ていて仕事にならないかもしれませんが。
ピカソが生涯において画風を度々変化させた創造性に強い印象を受けたようで、そのせいかもしれませんが、iPadを含む新たな道具を使うことによって、表現が変化することに積極的であったようです。
その時ふと思い出したのが、「弘法は筆を選ばず」という言葉。これは、どのような道具であっても書の達人である空海さんであれば、同じように美しい字を書かれるという意味で、今回の事例とは逆の例え。そういう意味で言うと、自由な表現が尊ばれる前提にあった時、空海さんは筆の違いによりどのように新たな作品たる書を生み出されたのか、そんなことに興味が湧いたのでした。
画集には、この「窓からの眺め」の内の一部しか収められておらず、好きな作品が無かったのは少し残念でした。

「木」
視野の広がりというテーマの部屋。龍安寺を含めた写真も使った作品がある部屋にある作品です。全く異なる表現の作品が複数の額に収められ、それが根、幹、枝、葉というように木のあるべきところに配置され、8枚の独立した絵が一本の木の作品を構成されています。何という斬新さ、表現の妙と感心しつつも、単に物珍しさが主張してくるのではなく、観ていると妙に優しい気持ちになる作品でした。
作品単体でも、例えば根を全く異なる画風で描いた二作品には、いずれも強い印象を以って心に残っています。
邪魔にならないよう少し離れてずっと観ていましたが、素通りされる方が多く、単に私が木が好きなので惹きつけられただけなのかもしれませんが、是非とも現地で実物を見て感じてみていただきたい。

「四季」 ウォルドゲートの木々
豊かな森の中の車道、同じ場所の四季が映された写真作品が部屋の四面の大型モニターで写されている部屋です。
作品としてどうかというよりも、やはり私は、冬→春→秋の順に好きで、夏にはさほど惹かれないことを再確認。

「春の到来、イースト・ヨークシャー」の部屋の全ての作品

左から「1月29日」「3月25日No.1」「5月4日」「5月11日」

本来であれば私の好みでは無いはずの強すぎる色使いなのですが、なぜか穏やかな気持ちで作品世界に没入できます。

春の到来 イースト・ヨークシャー ウォルドゲート 2011年
左から「5月16日」「5月30日」「5月31日」「6月2日」


「ノルマンディーの12ヶ月 2020ー2021年」
横に長大な作品です。別に一枚に繋げなくても良いのでは無いかと思う部分もあるのですが、そんな中で私が気に入ったパートは次の通り。


「池の水蓮と鉢植えの花」

こちらもデジタル作品で、筆を足していかれる過程が再現されているコンテンツです。絵そのものよりもその色が足される中で絵の表情が豊かになっていく様に惹かれたのかもしれない。こうして写真になった静的な作品としてはそれほど惹かれはしませんので。。

この「池の水蓮と鉢植えの花」が最後の作品で、ホックニーさんの作品に特化したショップも含めて再入場はできない仕組みになっています。
画集とステッカー、クリアファイルと分けて頂いて開放的なロビーに出ます。

ロビーの記念撮影スポットw



さて、ロビーの奥に進んで次は「MOTコレクション 「被膜虚実」「特集展示 横尾忠則―水のように」「生誕100年 サム・フランシス」」へ。

MOMATコレクション展へのアプローチそのものが魅力的。
いや、このアプローチだけではなく、現代美術館の建物だけに、建築そのものが非常に洗練された目と心を楽しませてくれる空間となっています。それは最後に少し写真でご紹介します。

MOMATコレクションの中では、私の拙い美術のセンスでは理解できない作品も多く、例えば主要テーマとなっている横尾忠則氏の作品などは、理解できないだけではなく生理的に受け付けられないものではありました。ただ、度々くどく書いていますが、あくまでも美術に関して素人の私の感受性の問題なので、絵の客観的な良し悪しや巧拙は私には分かりません。
そんな中で惹かれた作品をいくつか。

伊庭靖子氏作 「Untitled 2009-02」

ぱっと見た感じは、クッションの部分を拡大された作品。いや、じっと見ていてもクッションの部分を拡大された作品なのですが。。その画面から、柔らかな洗練と、気品すら感じられてしまい、しばし絵の前で佇んでいました。デイヴィッド・ホックニー展と異なり、こちらのMOTコレクション展は人が少なかったこともあり、絵の前でゆっくりできました。


「生誕100年 サム・フランシス」
サム・フランシスさんという作家は今で存じ上げなかったのですが、この作品に出会えただけでも、さほども期待せずにセット割チケットを購入して良かったと思えました。

広々とした部屋の四面に大きな抽象画が展示されています。

元来、抽象画や前衛的な作品はさほど好まない私ですが、この作品空間は妙に心地よくしばし中央の椅子に腰掛けて豊かな時間を過ごしました。人がいなかったせいもあるのでしょうか、一見荒々しい筆使いの作品のようでありながら、目にしていると、心が波ひとつない水面のように静かに落ち着くのでした。我ながら不思議です。
機会があれば、この方の他の作品も愛でてみたい。


さて、両展示を堪能し、ミュージアムショップで、なぜか山の稜線に見えて惹かれたタイルを文鎮がわりにしようと衝動買いし。。

他に置かれていたタイルを見る限り意図してそう描かれた訳ではないと思いますが、岩の鋭峰と稜線に見えたタイル

しばし初めて訪れた美術館の建築そのものをそのもを堪能します。

素敵な心地よい建築ですね。

美術館を後にして、清澄白河に多数あるカフェの内、 Allpress Espresso Tokyo Roastery & Cafeでしばし余韻を楽しませて頂き。

清澄公演、清澄庭園に寄り道をして、清澄白河駅から帰路につきました。

清澄公園の枯れた紫陽花の花
清澄庭園
清澄庭園の隅っこに咲いていた女郎花
清澄庭園

例年は夏も乗るロードバイク。本来ならこんな好天の日はロードバイクで汗まみれになっています。しかし、先日炎天下に負荷を高めに走った際、暑気順化が不十分だったせいか軽い熱中症にかかり、完全回復にやや時間がかかった反省から今年の夏は控えています。混雑する山は盆の期間中は元から控えているということもあり、自然と美術館巡りが多くなった夏でした。美術品保護の為もあり空調は万全な美術館。今年の満足に味を占めて、美術館巡りを夏の恒例行事にしても良いかもしれませんね。

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