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人を承認しない職場

言語聴覚士として働いていた職場を振りかえってみる。言語聴覚士とはリハビリのお仕事で、ときに患者の生命線を担うケースもある。

やりがいがあって誇れる仕事なのだけれど、医療という閉鎖しがちな環境では人間関係の問題が付きまとうことも。

ここでは、ある後輩との体験を備忘録してみた。


「勉強している様子がみられないんですよ」

新天地での面接中、リハ科主任からこう告げられる。どうやら問題のある部下に悩んでおり、その指導を私に任せたいというのだ。

先任の指導者は産休中。そんなタイミングで私がやってきた。主任はこのあとその部下を紹介したいと言ってきたので、しばらく部屋で待つことに。

「あの…よろしくお願いします…」 
「私なかなかできなくて、」

たどたどしい様子で現れたのは、小柄で現代風のアイドルとも似通った風貌の女性。私はひとこと彼女に挨拶をして、主任が戻るまでたわいもないお話しをした。

主任のいう、”問題”とは一体なんなのかは分からないが、彼女には礼節があってコミュニケーションもできる。けれどどこかしら自信なさげな印象を受けた。それと出会い頭に言われた「私なかなかできなくて、」という発言が私の心に残った。


実際に働いてみて分かったことは、彼女の仕事は人よりも遅いということ。

ひとから指摘され聞く素振りは見せるが、メモを取るといった様子はなく、そういった姿が彼女自身の評価を下げている。それに専門分野への理解力も乏しく、これは職能柄として致命的だ。

ここまで低評価の嵐だが、働いているときの彼女の表情はいつも必死だった。雰囲気だけで評価してはいけないが、入職したばかりの私にはむしろ彼女の「どうにかしたい」という熱情を感じた。

それと服で隠してはいるが、彼女の腕には傷がある。人それぞれのエピソードだし、詮索は野暮だろう。


入職して一週間が経過し、主任から声をかけられる。私は自身の業務知識がまだまだ不足していることを告げるが、主任の真意はそこではない。彼女の話題へと流れていく。

周囲も含め、彼女の評価はすこぶるわるい。

なぜ、ここの職場はこうまで彼女を穿って評価するのだろうか。確かに疎かな面はある。でもそんなことは誰でもあることで、それを支え合うのが組織でもあるはずだ。

世のなかには厳しい人もいて「足を引っ張るやつは要らない」と主張するひともいる。個人的には間違った価値観ではないと思っているが、すこし窮屈な気もする。

そういう人はステージが変われば、自分が足を引っ張る側になるかも知れないということを理解しているのだろうか。

お互い様という認識力に欠け、感情的になり、村意識を形成するのは『閉ざされがちな職業にありがちな負の側面』だ。

主任や他のスタッフと接しているときの彼女の表情はひどく強ばる。まるで村八分に怯えた人のように。


昼食のはなしになる。

言語聴覚士は「患者の飲み込み(嚥下)」を扱うために、昼どきはズレやすい。私は彼女との交流も兼ね、何度か昼のタイミングを合わせようとしたが、意図的に回避しているのだろうか。彼女となかなかうまく会えない。

がしかし、ひと月を過ぎたあたりでやっと一緒になれた。ただ、無理に話はしない。会釈をして私は社食を机に置くと、彼女から寄ってきてくれた。

「あの…」
「私たべるのが、難しくて」
「あとこの傷も、」

大体のことはもう分かる。
彼女が言語聴覚士として、今ここにいる理由は紛れもない自己の体験からだろう。

昼の時間は短かったが、彼女とは濃密な時間を過ごせた…そんな気がした。


リハビリ職の新人は年の終わりに「新人症例発表」というイベントに巻き込まれる。皆とても嫌がる(笑)。新人にとって誰もが通るいばらの道なのだけれども、大きな成長になる。

カルテを書くのもままならない彼女にとって、このイベントは震えてならないはずだ。しかし日進月歩で成長している姿を私は見ている。とりわけ食堂での一件からおたがいの交流は増えていて、今まさに学びを深めるチャンスだと思った。

私と彼女は、業務後のわずかな時間を症例検討にあてた。このことは彼女のことを「学んでいない」と嘲笑する連中へのアピールにもなるだろう、と。


症例発表会は病院グループで盛大に行われ、彼女は見事やりきった。諸先輩方からの評価も高かった。

なにしろ、ハキハキと質問に答えられていたのには驚いた。その帰り道、彼女は私にこういった。

「わたし、前に進んでいます」と。


成長した彼女に私ができたことは、少なかった。

私は彼女の行動を見て、自分の思ったことを伝え、あとは質問に答えただけだ。たったそれだけの事が彼女にとって『承認』になったのかもしない。

ひとは承認されることで安心感が生まれ、その安心感が成長を促進させるという。

人はおのずと成長する生き物だが、土台が不健全ではそうはならない。要するに『誰とかかわり、どんな環境にいるか?』にもよるはずだ。


残念なことに彼女は発表会から半年後に職場を去った。

風の便りでは新天地にてよき先輩らに囲まれ、楽しく働けているという。そして、私自身も彼女につづいて退職した。

凝り固まった職場の風土を変えるのは難しい。他人はコントロールできないし、一度形成された風通しの悪い集団意識を変えることはほぼ不可能に近い。古い価値観にしがみつき、変化を受け入れようとしなければ、その組織はいずれは腐る。

その逆に、新たな芽を育てる大切さを理解している組織には「心理的な安定感」があり、全体が活き活きと成長していく。

それは決して難しいことではなく、ほんの些細な『認め合い』からスタートするのではないかと思うのだ。


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