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目の見えない「雀士」との出会い
ずっとまえに秋葉原の某雀荘で働いていたことがある。
そこは世界にひとつだけのユニークな店で雀荘ならぬイベント系のお店だった。令和の時代、VTuberらが麻雀の配信を行っているが、そういったパイオニア的な産業だったと思い返せる。
大人気麻雀マンガ「咲」の麻雀大会も行われたことがあって「アキバでも人気のお店が咲とのコラボ!?」なんてことで大会は瞬く間に満員御礼に。咲のOPを歌ったユニット?(うる覚え)が司会進行を務めるほどの盛大な大会になった。
そこで今でも忘れられない出会いがあった。
それは”弱視”のかたの参加だ。
弱視といっても全盲に近かったらしく、場内では麻雀の案内も含め、私が誘導することになった。
視力以外はまったく健常だったので、雑談をしながら卓にご案内。同卓者らにはこの方の事情を説明し、牌を捨てる時にはそれぞれが麻雀牌の名称を呼称してもらうようにした。
たとえば「東」と書かれた牌なら「トン」、「二萬」なら「リャンマン」といった感じだ。
サポートをしていて感じたのは、弱視での麻雀は「とてつもなく難しい」ということ。当たり前のように聞こえるが、対戦相手が3人もいる麻雀では、ほかの遊戯と違い、記憶すべき情報量が格段に多く、それに進行もはやい。
それでもこの方は、相手の呼称した牌のほとんどを記憶していて、進行こそ遅いが、その姿はまさに「雀士」と呼ぶに相応しい打ち手だった。
しかし戦況がもつれ込むと弱視ゆえのミスにより、あがり放棄になることもあった。となりに居る私は思わず「あっ…!」と声が出そうになったが、サポート以上の介入は許されない。
結果、第一回戦でその方は敗退となったのだが、ご本人は大好きな「咲」の大会に出れたことへの感動と、リアル麻雀を打てたよろこびを私に伝えてくれた。その威風堂々とした参加に、わたしは深く敬服した。
対戦相手の方々も、なにひとつ嫌な顔をせず、真剣に戦っておられた。
ここで思ったことがある。
麻雀というゲームは”情報量が少ない”という特性があるのだが『目をつぶった瞬間から一気に情報量が多くなる』という気付きだ。
どのゲームでもそうだろうと思われるが、麻雀は囲碁や将棋と違い、目下にすべての情報が開示されているわけではない。ゲームの進行に沿って情報量がどんどん増え、自分をふくめた”4人分の情報”をさばくことになる。しかも局が終われば前局の記憶は使えない。
それに点数の把握も必要になるので、視覚が頼れない分、点数状況を伝えてもらい、これもまた記憶する必要がある。
まさか目をつぶることで「情報量の少ない」と言われていた麻雀が、実は情報量の多いゲーム(かなり視覚頼り)だったというのは、自分のなかの常識が覆る発見であった。
出会いというのはつくづく貴重だなと思う。
よく、「モノの見方を変えるだけで世界が変わる」なんて言葉があるけれど、きっと、こういう出会いがないと気づけないこともある。
もし何かに悩んだとき、目を瞑ることで”見えて”くるものがあるかも知れない。
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