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ご先祖を辿ってみたら500人を超えてしまった話

最近家系図作成が静かなブームらしい。
家系図にどんな魅力があるのか?
それは人それぞれだと思うのだが、個人的には3つのおもしろさがある。

①歴史にリアリティを感じられる

学校で習った日本史や世界史。どうしても遠い別世界の話のような気がしないだろうか。だが、家系図を調べていくうちに、「高祖父が生まれた年に安政の大獄があったのか。」「曾祖父と歴史上の偉人は同級生なのか」などと、歴史と自分の先祖を比較できるようになる。そうして、壮大な歴史の中で自分の先祖たちが生き抜いてきたことが分かり、歴史が身近に感じられるようになるのだ。

②たくさんのご先祖様によって自分まで生み繋がれてきたことに感動する

「感動する」とかちょっと小学生の感想文みたいなのだが、本当にただただ感動する。私の場合は約200年ぶんのご先祖様が判明したのだが、ざっと500名超。これほど多くの人々が関わっているとは夢にも思わなかった。
中には、結婚して子供を産んだらすぐ結核で亡くなった人がいたり、戦死した人がいたり。自分が生まれなかったかもしれないひやっとする瞬間が少なくないこともわかる。よくぞ繋いでくれたという思いだ。

③ご先祖様からのメッセージを読み解く面白さを感じる

名字や生年月日、出生地と死亡地などの情報がわかるのだが、それらを分析すると興味深いことがわかるかもしれない。ほとんど同じ地域で暮らしていたり、結婚相手となっている家が限定的だったり、何らかの意図を感じる養子縁組や突然の移住など。その時何が起きたのか?一族のミステリーを読み解く面白さがある。

ではどのようにご先祖様を調べることができるのか。
私が実施したのは下記の6つの方法である。

・戸籍の調査
・墓石の調査
・寺院での調査
・国立国会図書館、郷土資料館や郷土史での調査
・靖国神社での「御祭神調査」(幕末以降の戦没者の場合)
・兵籍等調査(旧軍人・軍属の場合)

①戸籍の調査

やはり最も効果的かつ数多くご先祖様を知ることができるのは戸籍だ。
戸籍とは東アジアの国々に特徴的にみられる家族を政府が管理する制度で、645年の大化の改新の際に作成された庚午年籍など、日本でも古くから用いられている。
明治維新によって日本が近代化した際に制定した戸籍法に基づき、1872年に壬申戸籍が作られたのが、現代につながる本格的な戸籍だ。だが、壬申戸籍には旧身分や病歴・犯罪歴なども記載されていたため現在では非公開となっている。そのため、私たちが現在取得することができるものは、1886年に作成された明治19年式戸籍だ。
これらの戸籍は各地方自治体が保管しており、現在の戸籍法では、150年間の保存義務がある。そのため、1886年作成の戸籍は2036年まで保管義務がある。だが、2010年以前は80年間の保存義務しかなかったため、1930年以前の戸籍が廃棄されている可能性もあるのだ。
なお、戸籍を請求できるのは直系の子孫に限られるのでその点も注意が必要だ。

私の場合、両親ともに高知県土佐清水市で育っており、先祖も高知県土佐清水市で暮らしていた人が多かったため、比較的調べやすかった。
申請の順序は下記の通りだ。

①自分の戸籍謄本を申請
②その市町村で辿ることができる先祖まで辿る
③別の市町村を本籍地とする先祖が見つかった場合は、その市町村で申請
④上記をひたすら繰り返す

私の場合、父方である谷村家と母方である吉岡家は戸籍が残っている明治初頭までずっと高知県土佐清水市を本籍地としていたため、一気に遡ることができた。

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高知県土佐清水市の位置

だが、父方の曾祖母の家系とか、母方の高祖母の家系とかとなってくると高知県土佐清水市以外を本籍地としている家もある。その場合はその家の本籍地がある市町村に申請を出す必要がある。
私は最終的に、下記の市町村に申請を行った。

【高知県】
・土佐清水市、宿毛市、本山町、大月町、大豊町、土佐町
【愛媛県】
・宇和島市
【宮崎県】
・串間市、国富町
【大阪府】
・寝屋川市                    (計9市町村)

なお、高知県土佐清水市の市役所には直接出向いて申請したのだが、他の役所にも全部出向いていると、膨大な時間と費用がかかってしまうため、郵送での申請を行った。
ちなみに郵送での申請の場合は、下記の5点の資料を準備する必要がある。

・申請フォーム(各市町村所定の書式)
・申請人の本人確認書類
・申請人が対象者の直系の子孫であることを証明する資料
・定額小為替
・返信用封筒(切手も)

・申請フォーム
各市町村役場のホームページから申請フォームがダウンロードできるようになっている場合がほとんど。そのフォームを印刷して必要事項を記載する。内容は、申請人の個人情報、申請理由、誰の戸籍が必要かなど。まれにフォームがなく、他の市町村のフォームを参考に自ら作成した場合もあった。
ちなみに申請理由は「家系図の作成のため」で基本的には問題ない。だが、1箇所だけその理由では受付できないところがあり、役所の方のアドバイスで「先祖の供養のため」に変更して許可を得た。
また、誰の戸籍が必要かに関しては、現時点で判明している「その市町村が本籍地となっている先祖の名前」と「その本籍地の住所」を記入する。また、「その市町村で辿ることができるすべての先祖の戸籍の請求を希望する」と備考欄などに記載すると一気に申請できる。

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土佐清水市の申請フォーム

・申請人の本人確認書類(運転免許証など)
本人確認書類の住所が以前の住所のままなど場合で、返信用封筒の住所と一致しない場合、返送してもらえないことがあるので注意。

・申請人が対象者の直系の子孫であることを証明する資料
直系の子孫しか申請できないので注意。基本的には対象者から自分までの戸籍の写しを添付する。ちなみに血縁は求められないため、ご先祖様に養子がいた場合は、義父母の家系の先祖も辿ることができるし、法的な両親の家系の先祖を辿ることもできる。

・定額小為替
郵便局で購入する。一般的に除籍簿という古い戸籍だと750円/通。その市町村で何通の戸籍があるかは調べてみないとわからない。そのため、自分の場合は毎回3,000円分を送って、過不足があったら返金してもらったり、追加で送金したりしていた。

・返信用封筒(切手も)
自宅の住所を記載し、切手も不足がないように多めに貼っておく。

私の場合はざっと2ヶ月くらい調査にかかっただろうか。戸籍で辿ることができる先祖はすべて辿り尽くしたと思う。結果は下記の通り。

・判明したご先祖様 572名
・判明した名字 谷村、吉岡、谷口、川村、濱田、松本、野老山、西村、沖見、日高、山岡、宮崎、下村、和田、上田、藤原、澤田、徳久、壬生、西尾、所谷、箕輪、鎌倉など。
・取得した戸籍謄本 43枚
・費用 申請費用と送料で40,000円程度

なお、戸籍を読み解くには知識が必要だ。古い戸籍だと、旧字体で記載されていたり、毛筆で書かれていて文字が読み取りづらかったりする。
また、元号で書かれているため、西暦との変換もしなければいけない。
調査の際に私が参考にしていたサイトを下記に紹介する。

・旧字体(数字)
http://www.natubunko.net/kotoba02.html

・元号と西暦の変換(幕末~明治)
http://www.natubunko.net/rekishi02.html

・元号と西暦の変換(明治~平成)
http://www.natubunko.net/rekishi03.html

戸籍を調べてわかったこと

・判明した最も古いご先祖(誕生日が分かる方限定)

戸籍が現存する明治初頭まで辿ることができるため、明治初頭に生存していたご先祖様、つまり幕末生まれのご先祖様までを知ることができるのだ。
おそらく私が辿ることができた最も古いご先祖様は1817年(文化14年)4月5日生まれの川村松(母方の高祖父の祖母)さんと、同年10月2日生まれの谷村六さん(父方の高祖父の曾祖母)だ。同級生は小説家のトルストイや、薩摩藩藩主の島津久光など。この年はイギリス船が浦賀に来航したり、解体新書の杉田玄白が亡くなったりした。

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川村松さんの記載がある除籍謄本

・平均寿命(直系に限定)

父方:62.9才 母方:70.2才 全体:65.5才
祖父母世代:75才(母方の祖父母は健在なため参考記録)
曾祖父母世代:58.9才(父方37.2才、母方80.5才という極端な結果に)
高祖父母世代:58才
高祖父母の親世代:83才(全体の半数しか生年月日不明なため参考記録)
高祖父母の祖父母世代:75.3才(全体の1/3以下しか生年月日不明なため参考記録)
日本人の平均寿命は年々延びているが、明治初頭の平均寿命は40代前半だったという。そう考えると参考記録とはいえ、高祖父母の親・祖父母世代の平均寿命は異常に長いと思う。日本人の平均寿命が50才を超えたのは1947年なので、高祖父母世代や曾祖父母世代の数値は平均的だと思う。むしろ母方の曾祖父母世代の平均寿命は驚きの長さだ。

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最も長生きだったのは母方の曾祖父である吉岡千代松さん93才だった

・夫婦間の子供の数
平均:2.8人 最多:10人
日本人の出生率は1925年に5.11という今では想像もできない数字となっている。1974年を境に2.00を下回っており、2019年には1.36となっている。そんな中、私たち家族の場合は私の兄弟も含めて3人兄弟のケースが非常に多かった。ちなみにギネスブックによるとロシアに69人の子供を産んだ方がいらっしゃるとのこと。日本の最多記録は不明だが、13人というケースが2020年にニュースとなっていた。

・こどもでの死亡率
12%
1955年の乳児死亡率は39.8%。2019年は1.9%となっている。
家族全体でみると12%なのだが、生まれたこどもの90%以上が亡くなっている家族のケースも存在した。

・できちゃった婚
48%
この数値は少々驚いたが、昔の方がどうもできちゃった婚が多かったようだ。なお、この数値は戸籍上の入籍日と第1子の誕生日を比較して算出している。ちなみに、2010年の統計ではできちゃった婚が25.3%となっている。

・戦没者
4名(父方の曾祖父、父方の曾祖伯父2名、母方の大叔父)

・その他
いとこでの結婚・・・血が濃くなってしまったのか、子供の多くが若くして亡くなったいた。
姉妹で兄弟に嫁ぐ・・・兄の妻と弟の妻の旧姓が同じだったことで気になった調べたところ、姉妹セットで嫁いできていたことが判明した。
叔母と甥が養子として入家・・・叔母が養子縁組して結婚した人と、甥が養子縁組して息子となっているケースがあった。
遠い親戚との婚姻や養子縁組・・・たまたまなのか、血縁を重視したのか、数世代前の血が繋がっている人と婚姻したり養子縁組したりしている事例があった。
戸籍には存在しない正妻・・・我が家で高祖父吉岡寅吉さんの妻として知られている女性「さく」さんだが、我が家の墓にもしっかりと名前と死亡日が記載されているのにも関わらず戸籍上全く記載がなかった。なお、その期間に戸籍上は別の女性と結婚していることになっていた。

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高祖父母である吉岡寅吉さんとさくさんの墓

他にも、ある有名人との親戚関係をほのめかす記録が出てくるなど、戸籍を読み解いていくとなんとも興味深い家族の歴史を知ることができた。関係者がすでに亡くなっているため、理由などまではわからないが・・・。

ちなみに、こうして調べてきた記録をまとめるのに便利だった家系図アプリを紹介する。下記からダウンロードできるので興味がある方はぜひ。

https://apps.apple.com/jp/app/familysearch-%E3%83%84%E3%83%AA%E3%83%BC/id885982973

②墓石の調査

私の両親が育った集落は共同墓地となっているため、その集落で亡くなった方はほとんど特定の墓地に埋葬されている。
そのため、戸籍で辿った先祖の名前などが頭に入っていると、古い墓石にその人の名前が出てきた時に気づくことができる。
その墓石の近くに、戸籍には記載がなかったご先祖の墓がある場合がある。

父方の高祖父の曾祖父である谷村寅蔵までは戸籍で記載があったのだが、共同墓地で調査した結果、谷村寅蔵の伯父である岡崎竹平さんという方の墓を見つけることができた。その墓はちょうど私の祖父や曾祖父の墓の隣にあり、その一帯を調べると谷村一族のご先祖様たちの墓がまとまっていた。

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高知県土佐清水市爪白にある共同墓地

岡崎竹平さんは1861年(文久元年)8月28日に亡くなったと墓石に記載があった。この年はアメリカで南北戦争が始まり、日本では公武合体を目指し、皇女和宮が徳川家茂との結婚のために京都を出発した年でもある。幕末のお墓がそのままになっていることに驚いた。当時は土葬だったはずだから、もしかしたらこの墓石の下にはご先祖様が眠っているのかもしれない。
ちなみに、この岡崎竹平さんの墓石の隣に寄り添うように多田寅助夫妻の墓と書かれた墓石が立っている。墓石には他にも文字が書かれていたが読めなかった。だが、墓石の位置関係を考えると、ご先祖様である可能性は高いと思われる。

③寺院での調査

故人の戒名や死亡年月日などを記載する過去帳と呼ばれる書類が寺院には存在する。寺院ではなく本家が自ら持っている場合もあるようだ。
そこからご先祖様に関する情報が手に入る場合もある。
私の場合は、西南戦争に参加したとの言い伝えが残る高祖父について調べるために、宮崎県国富町の本籍地にある唯一の寺院で調査をお願いした。

歴史の長い寺院の場合は江戸時代まで記録が残っているようで、その寺院の住職さんも江戸時代の古い記録まで調べてくださった。

④国立国会図書館、郷土資料館や郷土史での調査

各地の旧家や大庄屋、地域の資料館や図書館などに「宗門人別帳」と呼ばれる書類が保管されている場合がある。これは、江戸時代に戸籍のような役割を果たしていたものだ。また、先祖が武家の場合は「寛政重修諸家譜」という武家の系譜をまとめた資料が残っている場合があり、図書館などで閲覧できる可能性がある。私は、宮崎県国富町で母方の高祖父の調査をした際に、その地域の庄屋のご子孫の方に調査していただいたことがある。

また、どこまで関係性を見いだすことができるかは不明だが、国立国会図書館に所蔵されている「○○一族」シリーズ(日本家系家紋研究所)を閲覧すると興味深い。私は「谷村一族」と「吉岡一族」を閲覧したが、全国の谷村姓のルーツや、宮崎県の吉岡姓のルーツなどを知ることができた。
また、高知県土佐清水市が発行している郷土史「土佐清水市史」によると、こちらも直接のつながりまでは不明だが、高知県土佐清水市三崎(父方の谷村家が幕末以来住んでいるエリア)に谷村右衛門という武将が中世にいたことが記録として残っていた。

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土佐清水市史に記載がある「谷村右衛門」

⑤靖国神社での「御祭神調査」(幕末以降の戦没者の場合)

戸籍の調査の結果、私のご先祖様に4名の戦没者が存在することが判明した。部隊名など詳細は戸籍では不明だったので、靖国神社での「御祭神調査」を行うことにした。
靖国神社は、明治以降の日本の戦争・内戦において政府・朝廷側で亡くなったした軍人らを祀っている。そのため、ご先祖様が第2次世界大戦や日清日露戦争などで戦死している場合、御祭神として祀られている可能性が高い。その確認をするための調査を靖国神社に依頼することができる。

靖国神社で申請書類を記載し、提出してから1週間ほどで郵送での回答があった。
予想通り、4名は第二次世界大戦で戦死しており、御祭神として祀られていた。
父方の曾祖父である谷村進章さんは海軍に所属し、グアム島で玉砕した。また、進章の兄である松本杉光さんは陸軍に所属し、ポートモレスビー攻略戦の際にパプアニューギニアで戦死した。

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靖国神社から送られてきた御祭神調査の結果

父方の祖母の伯父である日高智さんも陸軍に所属し、インドネシアのサワラティ島で守備についていたが、戦病死した。この島では食料が不足し、多くの日本兵が餓死したと記録に残っており、彼もその1人だったのかもしれない。
母方の大叔父である吉岡靜雄さんは軍艦妙高の機関兵として活躍した。海南島上陸作戦に始まり、フィリピン攻略、インドネシアのスラバヤ沖海戦、珊瑚海海戦、ソロモン海海戦、ミッドウェー海戦などに参加した。ミクロネシア連邦トラック諸島に向かう途中の輸送船がアメリカ軍の攻撃を受け戦死した。

ちなみに、以前ハフポストで書いた祖父についての記事を書いたのだが、当時の祖父の話の裏付けもこの「御祭神調査」や「戸籍の調査」ですることができた。

⑥兵籍等調査(旧軍人・軍属の場合)

靖国神社での「御祭神調査」では概要が判明したが、詳細の軍歴を調べるためには旧日本軍の兵籍等の資料を取得するのが一番だ。
海軍の場合は厚生労働省社会・援護局が、陸軍の場合は各都道府県庁が旧日本軍の資料を継承している。
なお、都道府県によって申請できる人が6親等以内の親族と広く設定されている場合もあれば、ごく近親者に限定されている場合もあるので注意が必要だ。
参考に、前述の母方の大叔父である吉岡靜雄さんについての兵籍等の資料請求をした際の記事を別で書いているので参考までに。

まとめ

ご先祖様を調べる中で、単に先祖を知るだけでなく、その背景となる時代状況を知ることができたり、その地域についても知ることができたりとこの2ヶ月間だけでも一気に知識量が増えた気がする。
また、親戚とのコミュニケーションも増え、様々な先祖に関するエピソードを知ることができた。何もしなければ、誰にも語られることも記録されることもなく埋もれていった小さな歴史をたくさん見つけることができた。

自分という存在が500名を超えるご先祖たちによって支えられているような前向きな気持ちになった。今回の調査を通して新たにできた様々な地域や歴史や人々との関わりを深めながら、今後の未来を築いていこうと思う。

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