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行先を失ったカード

noterの宮島ひできさんの記事を読んで、私も友人や家族にカードを送るのが好きだったことを思い出した。

日本にいるとき、小学時代からの友人に季節のカードを送ると、滑らかな毛筆書きで便せんに何枚も近況を綴った手紙を返してくれた。
20歳近く年上の友人と手紙や絵ハガキのやり取りをしていたときもあった。隣の区に住んでいると言うのに。

切手も相手に合ったものをわざわざ選んだり。季節の花を押し花にして入れたり。
もちろん受け取るのも好きで、友人のナナが旅行に出ると言えば旅先からの絵葉書を頼んだ。ナナはとっくに帰ってきているのに、遅れて届く絵葉書を手にどんな旅だろうと思い馳せるのである。

先日、お隣の隣からからちょっとご近所さんに引っ越したスーを訪問した時のこと。

ガーリーな物が好きで、と見せてくれた細々したもの。話の端っこに出てきたその言葉で、ガーリーな物が好きだったことも思い出した。

色んなことがありすぎて、かつて自分が好きだったものの事さえ忘れてしまっていた。

そんなわけで、少し自分を取り戻している私はあの引き出しを開けてみた。

出て来るのはパピラス(?PAPYRUS)のカードたち。

こちらに移り住んでからは母や姉にもカードを送っていた。
Indigoという本屋さんがあって、そこにあるカードセクションが好きだった。見ているだけでも楽しかった。本を見に来たのに?(笑)
可愛いのを見つけると誰に送ろうかと考え巡らすのだ。(カードが先で送り先は二の次!(笑))

引き出しの中から残されたままのひとつずつを手に取ってみる。

これはいつも自転車に乗っている友人に。そう思って買ったものだった。

花の中央にビーズ。こんな自転車に乗ると心も春の気分


美味しそうなカップケーキのような。

これは花好きの友人に。花びらがオーガンジーで真ん中にちっちゃなパールがついている。

そしてこれは姉に

Happy Birthday ,Sisterと入っている

ブレスレットに付いたチャームが触れ合って音を立てそうなカード。


そしてカードたちの中に唯一ポップアップカードがあった。

Happy!と飛び出して来る

開くと母の日用のカードで。
あの年、いつも通りのIndigoで見つけたのは、とっても可愛いふたつ。どちらかを決め難くて、翌年のためにと両方買ったことを思い出した。

胸の底がきゅんとする。

その年の夏、母は誕生日の二日前に亡くなったのだ。
翌年の母の日のカードの送り先を私は失っていたわけで。

行先のないカードがあることさえも忘れていた。

母へ送った最後のカードは91歳のバースデーカードだった。

私がカナダに住むようになってから母には、母の日と誕生日に欠かさずカードを送った。昔からガーリーなことにちっとも興味がなかった母は、カードのここが可愛いねとか、そんなことを言うことはなかったけれど。でも受け取ると嬉しそうに毎日のスカイプタイムに報告してくれた。
90歳のバースデーカードはなんと90という数字が花で形どられた素敵な物で。それを見つけた時は私がうれしくなったくらい。
それなのに母ときたら、その花で形どられたのが数字だと気づいてなくて(笑)ほんとにがっかりしたものである。

そんな母が亡くなって日本に急遽帰国し
主のいなくなった奈良の家の片づけをしていたときのこと。

小さな引き出しを開けると和紙仕立ての菓子折りが出てきた。
そっと蓋を開ける。
するとライトグリーンやピンク色が目に飛び込んで来た。
そこに居るには不釣り合いな色合いに思わず手に取ると、それは私が母へ送ったカードたちであった。そしてあの花で形どられた90歳のバースデーカードも元居たカラフルな封筒と共に大切に仕舞われていたのである。

その中のひとつに91歳に向けたバースデーカードもあった。
母は亡くなる前にちゃんと受け取っていたのだ。

私はその菓子折りをそのまま東京に持ち帰った。
考えてみれば自分で書いたもの。
すでに手もとから離れているのにとばかげたことのように思えた。
でもこの持ち主が亡くなって行き場を失くしたカードを、私はどうしても捨てることができなかったのである。

こんなことも何気なく通り越していける人がいる。
いちいち傷つかずに。
きっとその方が楽に違いないと思うのだけれど。

日本の盛夏が過ぎたころ母の誕生日が来る。
体は見えないけれどどこかにいるに違いない母に
お誕生日おめでとうと
声に出して言おうと思っている。

おっと、時差で日付を間違えないようにしなくちゃ。
やっぱり日本時間に合わせた方がイイよね?(笑)


この記事は二日前母を亡くしたナナに贈ります。

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