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Dual Residence:サくら&りんゴ #16

都庁が遠くにそびえ、坂を下ると神田川。
水平線から朝日が昇り、窓辺で水鳥の飛来を眺めるシムコー湖畔。
そんな東京とカナダ・オンタリオの二重生活を綴ります。
杉並のサくら、Innisfilのりんゴ、つたない言葉で。

シェィバースナ、ヨガのポーズで。

木曜夜はInnisfilのヨガクラスである。
1年前に申し込みをしていきなりオンラインクラスとなった。しかしおかげで東京に戻った時も、クラスを続けることができる。

講師のJoannaはいつも通りの笑顔で登場して先週の不在を詫びた。代わりの講師は難しいポーズを要求して、私たちは筋肉痛になっていた。
それを聞いて笑いながら、いつもと変わらない柔らかい口調で、欠席の理由は兄弟が亡くなったからだと告げた。
彼女ははじめtransitionという単語を使ったので、私はてっきり入院中の兄弟が病院を移ったのかと思う。
しかしそのあとpassingと言いなおしそれは彼自身が決めたのだと説明した。
装置を外す日が決まって、彼の死がこのヨガクラスの日にやって来るかもしれないと。だからクラスを休んで、最後の数日を彼と一緒に過ごすことにしたと。

ちょうど先週のこの時間だった。最後の最後まで会話ができたの。そして彼は穏やかに違う世界へと移って行った。
病から解き放たれて。
本当によかった。

そう言って彼女は幸福そうな安堵の表情を私たちに見せたのである。

もちろんこれから大泣きするかもしれないし、それは分からないけれど、彼が望んだ死を穏やかに迎えることができて、私もとても穏やかな気持ちなの。皆さんも私の不在を許してくれてありがとう。さあヨガを始めましょう。準備ができた人からシェィバースナのポーズです。

ヨガマットの上に仰向けになって、私は涙がでてきた。それはもうどうしようも止まらなくなった。
彼女の兄弟は、どんな思いで飛び立って行ったのだろう。そう考えるとこの一年に私が直面した死たちとの一瞬一瞬が、次々とよみがえってきたのである。悲しいのか苦しいのかわからない。あるいはそのどちらでもないような感情があふれ出てくる。

ずっと、あなたはどこへ行ってしまったの そういう思いが私を悩ませてきた。そこにいるとわかっているのにと。
しかしJoannaの幸せな笑顔は私の中で新しい気づきを呼び起こす。

ヨガマットの上で目を閉じる。彼女の穏やかな声に導かれ、つま先からふくらはぎ、おなか、そして頭へと順番に自分の体を解き放って行く。

私もいつかはこの肉体から離れていくのだ。
その先精神は何処に行きつくのか、行く先があるのかもわからないけれど。飛び立つ命はそんなことはお構いなしに、
自由に伸びやかに新しい世界に向けて出発していくようにも思える。

心理カウンセラーのSheilaが、死んで行く人がその時を選んでいると感じる、そう話した事。
Dr.Emersonが、大丈夫安心して。きっと穏やかに亡くなりますから、そう言ってくれたこと。
それらは、たった今私にかけられた言葉のように、
生々しく胸に舞戻って来る。

ふっと、私たちは生きるためではなく死ぬために生きているのかなと思う。だから生あるものが最後にその目的を果たせるということは、周りの者にとってもある意味安堵を伴うことなのかもしれない。

そう思うと散らばって収まらなかった感情のパズルが、やっとあるべきところに納まったような安心感に包まれる。

そうか、そういうことだったか。

死ぬために生きている。

この世界にある体の痛みも苦しみも
胸にくぐもる悲しみもつらさも
そしてお腹の底から湧き出る喜びも幸せも
私たちはそれを持って逝けるるわけでなく
みんなほっぽり出して
心臓は勝手に鼓動を止める

結局死とは、亡くなって行く人とは関係なく、残された者への課題なのかもしれない。

そんな風に考えた夜、ほんとに偶然に、姉からラインメッセージが来た。

奈良の家から持って帰ったピンク色の帯。ゆいの結婚式に留めそでに合わせました。折りぐせがすごくついていて、ママが一番使った帯だと思います。
ママも式に出席して見てくれていたと思います。

孫の婚約を知ることなく亡くなった母。私は着物を着ないからと姉が受け取った桜色の帯である。帯は知らず知らずに、でもちゃんと意味のある人のところへと納まっていたのである。

そしてこちらも偶然時を同じくして、東京の金曜クラスの講師からビデオが届く。
それは裏庭にある鳥の巣箱の様子であった。ひなが誕生したのである。
子どもの英会話クラスでは先月からLife Cycleというプロジェクトを組んでいて、裏庭の柿の木の下にあるシジュウカラの巣箱を観察してもらっている。冬に東京に戻った時、その巣箱の扉が外れて地面に落ちていた。新しいねじで修復したが、人の匂いがするともう鳥は入らないかもしれないと、あきらめていたところだった。

新しい命が地球の反対側で誕生していた。

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こんな風に、私の中で関連付けられる事が一時に偶然起きることも、不思議なことだなと思う。この日はヨガのクラスが始まる直前まで、あまりの孤独感に暗澹としていたのだ。Lenoreが誘ってくれたこのヨガのコース。私はクラスの中で少しずつ、でも確実に自分を取り戻しつつあった。

そういえば全くのヨガ初心者だった私は、はじめシエィバースナと言われて何のことやらわからなかった。英語でポーズの説明をされていたのに、私はしっかり聞き逃している。目を開けてパソコン画面を見ると生徒全員画面から消えていたのだ。慌てて私も姿を隠す。

つま先の次はふくらはぎ。そこに注目してそして解き放ちます。

画面から講師の声が聞こえてくるが、一体みんなが何をしているのかわからない。空っぽになった部屋が映し出されている。オンラインクラスの不便な所だ。仕方がないので私はその15分、ただヨガマットの上で寝ころがっていた。
シエィバースナとは屍のポーズだとわかったのは、それからひと月くらい経ってからの事である。仰向けになって全身の筋肉を緩める。緊張から解き放たれた死んだ人のようになって。心身をリラックスさせる究極のポーズらしい。レッスンの初めと終わりに、必ずこのポーズを取る。1時間15分のレッスンで合計30分近くも横になっているだけなんてどゆことと思っていた。しかしその意味が分かってからは、肉体と精神が違うことに気づかされ、私にとってかなり大切なポーズとなっている。

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ヨガの翌日ガラス戸を開けると、湖は昨夜と変わらぬ穏やかさで朝を迎えていた。苦しい時も悲しい時も、うれしい時も幸せな時も、湖は変わらずそこにある。カモが一羽、私の気配を察してか岸辺を離れていくのが見えた。
水面に二つの線が描かれて行く。どんなに進んでもその扇形の頂点にカモがいる。
そしてそのクリーム色を帯びたブルーグレイの湖水は、まさにリビングの壁に塗ろうとしているペンキの色であった。船首をヒントに視界が湖に向けて広がるよう夫が設計した湖畔の家。私がみずうみ色を壁に追加して、湖畔の家は湖上の家となるかもしれない。

マガジン:キュウリの花



日本とカナダの子供たちのために使いたいと思います。