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Dual Residence:サくら&りんゴ#14

都庁が遠くにそびえ、坂を下ると神田川。
水平線から朝日が昇り、窓辺で水鳥の飛来を眺めるシムコー湖畔。
そんな東京とカナダ・オンタリオの二重生活を綴ります。
杉並のサくら、Innisfilのりんゴ、つたない言葉で。

Earthing と朝のコーヒー

起きて一番にすることは
コーヒーカップを持ってアーシングに出かけること。
裸足で湖の岸を歩く。

昨日とうって変わって
今日は穏やかな風
柔らかい太陽のひかり

裏庭へのガラスドアを出て
夫が仮りで作りつけた木製はしご階段をおりる。
庭の雑草交じりの芝生は足の裏に少々痛い。

なんせ人々の体格だけでなく芝生まで日本の物よりがっしりしている、この地では。

ビーチに出るとひんやりした砂。
優しく吸い込まれるような感触が足の裏から伝わってくる。
見えるのは湖と水鳥と対岸の島、そして空。
太陽が昇り、空はその蒼を奪われ薄黄色にまぶしい。
聞こえるのは水音と鳥のさえずり
そして私が大地を踏む音。

朝でも日に焼けるから日傘がいるとか、
裸足で歩いたら家の中に砂が上がるとか、
かつてはそんなことを気にしていた。
ある時は夫に
きみはしゃべりすぎだ
と指摘された。
デッキに出て、二人で朝のティータイムを過ごしていた時の事である。

ほら、キングフィッシャーが餌を取って行ったよ。

私はその水音を聞き逃していた。

そんなかつてを思い出すとふっと笑える。
だから今朝の私は、湖岸の石に座って
コーヒーカップを持ったまま耳を澄ます。
暖かいコーヒーが私の体の中をゆっくり下りていく。
香ばしい匂いが鼻の中を上がって行く。

風はほとんどないのに
湖岸を叩くみずおと。
遠くでカナダグースが仲間を呼んでいる。
目を閉じていても世界は明るい。

おしゃべりで失ってしまうもの
耳を澄ませて得られるもの

ふっと人間関係もそんなところがあるなと思う。


しかし気づいたら
母が亡くなるまでは、毎日スカイプで日本語を話していたけれど、
今や全く日本語を話す相手がいない。
もともと、日本にいる友人や仕事関係はすべてラインやメールで、
自分で日本語を話しているつもりでいたが
実は頭の中だけのことである。

こんなに日本語を話さなかったら、日本語を話すための筋肉が失われて行くかもしれない。
しかしもともと英語ネイティブでないのだから、
日本語訛りの英語で話す以上、日本語のための発音は保持されたままかな。
そんなことを考える。

アーシングの最後は裏庭に戻ってリンゴの木のチェックである。
花は終わり、そして秋に向けて小さな小さな実をつけ始めている。

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家の中に戻るともう一杯コーヒーを入れて一日の始まりである。

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