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サくら&りんゴ #44 街の音。気持ちが解き放たれたから聞こえるのかな

環七のそばに住んでいたことがある。
環七こと環状七号線は、環六つまり山手通りの外側を走っている。マンションがあったのはその内回り側(内回りという表現が懐かしい!)で、朝などは特に南行きのトラックが連なる。
5階であったが、窓を開けることはできなかった。空気も悪いがとにかく騒音がひどかったのである。
ちょうど前に信号があるので、一瞬静寂になりそしてまたすぐ轟音が始まる。文字通りごおぉぉぉと言う音である。

引っ越したばかりの頃は気が遠くなった。こんな所に長く住めない。

しかし人間の耳は不思議である。

友人からひと月もしたら慣れるわよと、慰められたと思っていたが
本当にひと月もしない間にその轟音は聞こえなくなったのである。

あるいは当時、
生活に忙しすぎたせいかもしれない。


夜明け前にGo Rtain(ゴートレイン)の音がすることに気づいたのは、ここカナダの湖畔に住んでずいぶん経ってからである。
単線の線路が通っているがこの町に駅はない。車で北に20分ほどのところBarrieにかろうじてある駅はトロントと往復する通勤客用で、朝夕にしか電車はやってこない。

そのGo trainの音は、風に乗って来るのだろう、
ある時は遠くある時は近い。
冬場の朝七時はまだ真っ暗で、車内灯で黄色い窓の列車が通り過ぎる様子をベッドの中で想像した。

住み始めたころはそんな音も聞き逃していた。

新しい文化に目が奪われて
耳を澄ます余裕がなかったのかもしれない。

この町で聞く音には
木々の音もある
森林浴がいいのはマイナスイオンというより、木々の葉のこすれる音が体を癒すのだと、ある科学者が言っていた。
このあたりでは住宅街を歩くだけで、葉っぱの音を堪能することができる。
なんせ道を歩いても家が見えない地域である。

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ビバリーヒルズの豪邸街とはちょっと違う意味で。。。

歩きながら聞く葉擦れの音
それは波のように向こうからやって来る
クレシェンドになって
そしてゆっくりと通り過ぎてゆく

風がやんでもカサコソと忙しそうに鳴るメイプルの木は、リスが潜んで種を食べているせいである。


しかしここに住んで何より私が愛するのは、

湖の音

風は吹いていないようでも
一定のリズムで波の音がする
それは海よりも
やわらかい

でも時には激しい音だったりもする
たとえば
遠くでモーターボートが通り過ぎたり
あるときはジェットスキーヤーが滑って行ったり
そんな時の荒だった波音はモーター音より少し遅れて岸に到達する

ある時は嵐と呼応して
今にも吞み込まれそうな波を生む
でもそんな音もまたいずれ鎮まって
一定のリズムに戻っていく


実際にないのに聞こえてくる音もある。
幻聴ではなくて頭が覚えている音。

輸血→レイシックス(利尿)→生理食塩水(多分)を1セットに2サイクル行われたあの夜。
カタカタカタ。
夫の病室で夜通しその点滴の機械音は続いた。
眠るのに邪魔にならないほどの音だったのに頭にとどまって、
翌朝自宅に戻っても離れなかった。
カタカタカタ
カタカタカタ
バックミュージックのようにずっと流れていた。
そしてそのカタカタ音はとうとう
時折混じっていたザッーという点滴液を送り出す機械音とともにボリュームがアップし
その夜の私を眠らせなかったのである。

そんな音も次第に薄れて今は、一日の多くを湖の音を聞いて過ごしている。
水鳥が渡ってくる時期はその鳴き声が聞こえてくる。
グースたちの鳴き声が近くなるとしばらくして着水音が、
やけに騒がしくなった後は、一斉に飛び立つ音が聞こえる。

グースたちの着水音

そんな音の存在を考えたこともなかった、
東京で暮らしていたときは。


この湖畔の町で
色々な音が聞こえるようになったのは
時間があり余るせいかもしれない

東京に居るとき
自分が勝手に考えていた
こうしなければならないという事から
すべて
解き放たれたせいかもしれない


あるいはただ
予想外の事があまりに起こりすぎて
安らぐ音を心が探しただけのことかもしれない


人間の感覚ってこんなに曖昧なものだったんだ
勝手に作り上げたり削除したり

あなたには見えないけれど
わたしには見えて
あなたには聞こえているけれど
わたしには聞こえない

だからそれが本当に存在するのかどうかも曖昧である


しかし、年齢と共に聴覚が失われていくのは確かなようで
二十代にこのに町にいたら聞こえていた音があったかもしれないと

ちょっと残念に思っている


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