政治の話ではありませんが。Nancy Pelosi
私の周りにはテレビというものがないので、実際にアメリカやカナダ、日本のメディアでどれくらいの頻度で取り上げられているのかわからないが、
最近私の耳を捉えているのが
Nancy Pelosi (ナンシー ペローシィ)
アメリカの権力第三のポジションである下院議長である。
少し前から台湾へ公式訪問することでさらに彼女の名前を耳にすることが多くなった。
しかしここではそんな政治の話をするわけではない。
彼女の名前のことである。もっと言えば名前の色のことである。
つまり、以前にもどこかで書いたが、私には幸か不幸か
いや
幸も不幸も全く関与しないレベルで
共感覚と言うものがある。
字を見ると色を感じるのだ。
最近思うのは名前などの音についても色を感じる。それが音からなのか知識としてある字からなのかちょっと不明ではあるのだけど。
さてこのNancy Pelosi さん、私の中ではちょっとグレーかかった茶色のNancyと灰色と濃い藍色の間のようなPelosiと認識されている。
そしてそれが私の中で
飯田時子という名前とピッタリ来てしまったのだ。
Youtubeで台湾を訪問している姿を見ると飯田時子氏台湾訪問という感じである。その顔かたちや立ち姿ももはや(私の中で)飯田時子である。
白いスーツの下のウェアとパンプスが美しい青でコーディネイトされた様子は名前からの色イメージと程遠いが、Nancy Pelosiと聞こえてくるとやっぱり飯田時子さんだと感じるのである(笑)
この共感覚は母を通して遺伝するらしく娘のアーニャも持っている。感じる色はそれぞれに違って、どんな色に見えるか言い合わせたものである。
そしてその見えてくる色はきっぱりした赤とか青とかではなく、大抵とても24色クレヨンでは示せない色である。
どれも混じり合ったような曖昧な色。通常の言葉で表せるのがきっぱりとした色と言うのだとしたら。
だからかもしれない
湖や空が生み出す
きっぱりとした名前ではない色に
どうしようもなく魅かれるのは
私たちは目でこんなにも微妙な色合いを認識できるのに
単語にしたその瞬間
その曖昧な混じり合った色合いの美しさが
すーっと失われて行く
それが時折
とても残念に思う
日本とカナダの子供たちのために使いたいと思います。