Dual Residence:サくら&りんゴ#3
都庁が遠くにそびえ、坂を下ると神田川。
水平線から朝日が昇り、窓辺で水鳥の飛来を眺めるシムコー湖畔。
そんな東京とカナダ・オンタリオの二重生活を綴ります。
人間と植物の間 April 2021
うちの英会話教室の講師に、オープンガーデンをしている家を見に行こうと誘われた。神田川へと坂を下りる手前にある一軒家である。今度中学校に上がる彼女のバイリンガル娘と、彼女のアメリカ人の友、そしてその日本人の旦那さんもやってきた。花冷えで、私はマスクの上に帽子を目深にかぶったいでたちとなり、ちょっとあやしいおばさんである。
こんなご近所なのに、私はそこの住人を知らなかった。
庭には控えめな色ながらクリスマスローズが盛りであった。そして花たちの間に石が置かれていて、よく見るとそれらは野菜や動物の形をした彫刻であった。小屋の上にはつるバラがのび、季節には屋根の上でワインパーティを開いているという。
ひと通り見終わって戻って来るとご主人が
ユニークな方だとお見受けします
そう言って私に話しかけてきた。私たちは英語と日本語取り混ぜの、客の中ではちょっと奇妙なグループだったからかもしれない。でもそれだけでなくご主人は何かを感じたのだと思う。
蘭たちは訪れる客に綺麗ですねと言われるたび、しゃきりと背をのばすんですよ
そうご主人は自慢げに話をつづける。その様子に私は思った。
ああこの人も夫と同じように、人間と植物の間にいる。ご主人はその空間を知っている私を感じて話しかけてきてくれたのだ
人間と植物の間。
その特別な空間。
それを共有できる人。
こんなこともあった。
奈良の実家を更地にして売りに出すことになり、私は片付けのために仕事の合間を縫って奈良と東京を往復した。私が小学校に入ると同時に建てられた家である。
私は夫や友人Kimがしていたように、古い家のものを何かひとつ残して 今いる東京の家に受け継ぎたかった。高価なものでなくていいのだ。
何か心とつながっている物。
色々考えて、家屋からは和室の欄間に決めた。父が気に入っていた物である。それに夫が彫刻好きで、実現はしなかったが、吉野の欄間彫刻の達人を訪れる計画があったのだ。
そして庭からは梅の木とつくばいを選んだ。
梅の木は私と姉が成人した時、それぞれ奈良市から贈られたものである。紅白の花をつけ、去年母はヘルパーさんに頼んで梅酒を作ってもらっている。東京の家にある梅酒もこの梅から作られた7年物である。
ダメもとで、東京で長年お世話になっている植木屋のふじモンさんに相談してみると、なんと梅を東京まで運んでくれるというのだ。つくばいもクレーン車を調達すれば人件費削減、自分一人で作業ができるという。
うまく根がつくか半々ですが、試してみましょう。
そんな経緯で、父が愛した梅はつくばいと、そして苔も一緒に、消えゆく奈良の思い出から抜け出て杉並の地に根を下ろすこととなった。人間と植物の間、いやふじモンさんはプロだから、もっと植物の領域に近いところに住んでいる人かもしれない。
東京の家には、“サくら”に梅が加わった。
時は私を置いて勝手に流れていて、気がついたらもう奈良に帰らなければならない理由がなくなっていた。
さて、カナダの家では向かいに住むJanが クロッカスの花の写真を送ってきてくれた。ドライブウェイまでのアプローチに咲いているものである。夫が選んで私が植えた。玄関横の部屋でベッドの端に座ると、ライブラリーのガラスドアに沿って咲き揃うのが見えるはずである。
ああ、夫はそこにいてクロッカスを見ているのに、私はそこにはいない。ふっと自分の心が夫から遠く離れてしまったような気がした。カナダで夫と暮らしたことが夢だったのではないか。そんなあやふやさにさえ包まれる。
いや、夫と私は確かにそこにいて、ふたりで花を愛し野菜を育てた。
人間と植物の間。
夫は生涯その空間に生きて来た人で、
Nature is his home
という娘の言葉はそれを物語っている。
人間と植物の間
その特別な場所
東京にいるとそれはどんどん狭まり
私の心は苦しくなっていく
息が出来なくなる
でもその空間を共有できる人に出会うと
苦しい狭間から引き揚げてもらえる気がする
心がふっと息継ぎをする
どうしてだろう
その空間に生きている人は
その空間に生きている人を感じることができる
人が生まれて死んで、植物が芽を出してそして枯れていく。ライフサイクルは地球の裏側でも同じように始まり、そして静かにその円を閉じる。
閉じられた円は再び、地球のこっち側で、あるいは宇宙のむこう側で始まっているかもしれない。
夫のキュウリの花のように。
そう言えば、杉並では17年連れ添った車、じゃがこさんに別れを告げることとなった。カナダのドッジ君はフロントガラスにクラックが入ろうが、シフトチェンジに不具合が起ころうが、果敢に雪道を走ってくれた。それに比べてじゃがこさんは、あれはイヤこれはイヤと、わがままなお方であった。
代わって新しくやって来たのは、少し小型になった中古車くんである。
海色であることと杉並ナンバーになったことで”ナミヘイ”と名付けられた。
今日の東京は小雨。ソメイヨシノは散りゆき、代わって八重のサトザクラが満開である。
偶然にも色々な事に終わりが告げられ、次のサイクルが今始まろうとしている。
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