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不自由な月

トロントに住む友人に会いに行った。

最近そこに引っ越してやっと落ち着いたと。
ずっと会いに行きたかったのに
車がない。

夫ジェイが亡くなり、
おんぼろバンを子供たちのプレイグランドに寄付して以来私には車がない。
この田舎町で車がないと不便である。
不便というより不自由だ。

限りなく不自由である。

ずっと昔、日本にいた頃の話。
私とうんと歳の離れた友人が自動車免許を持っていなくて。
彼女の若いころの日本では、女の人が車を運転するのはまれだったのかもしれない。

あるとき私が家族の誰かを車で迎えに行かなくてはならなくなって。それを横で聞いていた彼女が、
そんな風に使われるから嫌なのよね、免許持っていると
と言ったのである。
私はふ~んと思った。
そして本当は免許が欲しかったのかもしれないなあと思う。

そんな送り迎えに使えるなんていう利点よりもっと
人に頼らず自分で運転できるって
すごく自由だと思わない??

でも東京にずっと住んでいてそんなこともすっかり忘れていた。
それほど車を必要とする状況がなかったし
東京では車がかえって不便だったりすることもあって。

それが
ああ~この田舎町にいて
車がないのは
不便である
免許があるのに不自由である。

そんなことを考えていて

ふっと自由であることについて思った。


かつてなく私の人生で
限りなくいちばんに
自由かもしれない。

日本にいた頃の
こうすることになっている、ことから
これをやらなくてはいけないという焦りから
私の行動に対する
姉の非難から

24時間一緒にいた夫ジェイの緩和ケアの日々から
そして
明日、いや1時間後にジェイが死んでしまうかもしれないという不安から

体に巻き付いていた紐の結び目が緩んで
知らない間に
私の体は自由になっていた。



そうだレンタカーをして
友達に会いに行こう
Honda civicを借りて
90kmの道をかっとばして
逢いに行くことにした。


外の世界では(笑)
知らない間にトウモロコシたちが背を伸ばしていた。

空が低い

空のもとまで広がる農場の緑

この後、久しぶりの404の高速道路に乗って山間やまあいの道を走る。
街のビルが見えだすDon.Valleyのハイウェイに繋がるまでの間
そのスピードがなんとも気持ちいい。


日本の外から日本を見ると
特に女性
もっと自由にできるのに
そう思うときがある。

でもその自由が
不安
あるいは
ちょっと怖いのかもしれない。

そんな気持ちもすごくわかる
かつての私がそうだったから。

でも今ここに住む周りの人を見ると
かつての不自由さを知っている私から見ると
なんとも自由に生きているように見える。

人間関係や
夫婦関係や
仕事や
遊びや
あらゆる場面で

自由にしようと思ってしているのではなく
それが当たり前みたいに。



トロントでベトナム料理を食べておしゃべりをして
そしてまた
90kmの道を戻って来る。

家に着いて間もなく隣人から
今宵はブルームーンだとメッセージが来た。

湖側の外を見ても空は雲に覆われていて何も見えない。
ところがしばらくすると

雨の日も風の日も晴れの日も、太陽と同じように地球の私たちの夜を見守ってくれる月。

必ず昇ってきて
必ずそこにある。

それに安心していたけど
ひょっとしたらあなたって
そこにいることしか出来なかったりする?(笑)

もちろん広い広い宇宙の空間だけど
ひょっとして
地球の周りをぐるぐる回ることしかできなかったりする?

地球を飛び出して月に行くことができるようになった人間の方がうんと自由かもしれない。



自由って
小さいころから自由を知らないと
うまく使えない気がする

今も私には
自由であることは
素敵だけど
ちょっと不安で
ちょっと怖い

でも私は自由であることが
とても好き

自分が不自由であることに
そして自由を手にできることに
気づいていない人が
沢山いる気がする



日本とカナダの子供たちのために使いたいと思います。