見出し画像

サくら&りんゴ #108 ウクライナの青空

ウクライナの国旗の青は空を、黄色は小麦の育つ大地を表していると知って、あっと思った。

夫が亡くなった後、カナダ湖畔の家で建築道具の整理をしていた時である。湖畔の家は夫の手作りで、取り付けるつもりであったのだろう新品の浴室用シャワーヘッドやハンドルなどの箱たちが積み上げられたままだった。その下の方の箱から写真屋さんの袋の束が出てきたのである。

開けてみるとネガも入ったその袋には、何とも私の興味をそそらない写真があった。

それはどことも知れぬ広い農場だったり、そこに植えられている作物だったり。それもかなりのピンボケである。私にはそれらが何の農産物なのかまるでわからなかった。
しかしその中のひとつ、手のひらに乗って大きく写されていたもの。それは即座にわかった。

麦の穂であった。

その写真をまた元の位置に戻したか、あるいは捨ててしまったか覚えていない。
しかし今思うとそれらの農場はウクライナの大地に違いなかった。

夫は一時期小麦の貿易に携わっていて、ウクライナにも度々訪れていた。アルゼンチンや中国も貿易相手国で、その頃飛行機の中に住んでいたと言ってもいいくらい移動していたと話していた。
私と知り合うずっと前の事である。

私はそのピンぼけ写真を見つけた時は余りに興味がなくて、その地がどこであろうと全く関心を持つことができなかった。しかし覚えている範囲で、その写真が中国でもアルゼンチンでもないと言えるのは、小麦の写真の間に出て来るその地の人々の様子である。

夫がウクライナに小麦の買い付けに行った時のものに違いなかった。

無知な私は、今の今までウクライナの肥沃な土地の事に考え及ばなかったのである。


その土地を人々は今、守り抜くことができるのか・・・
この戦争状況を知ったら夫はなんて言っただろう。


キミはなんて守られた人生を歩んで来たんだ。

Your life is sheltered

夫は度々そう口にした。

そんなことないよ私だって。。。と言い返しそうになるたび、夫との喧嘩ではいつだって負けずと言い返していた私だけれど
夫の人生を想うと

この言葉にだけは言い返すことはできないと
とっくに悟っていた。

そうなんです。

My life is sheltered.

私の人生は保護されていました。それもかなり厚く。

カナダのニュースでは、ウクライナにルーツを持つ政府関係の女性が声を詰まらせ悲痛な思いでコメントしているのが報道されていた。そしてウクライナでの爆撃音を伝える動画。



しかし私はスマホの二重線を触ると爆撃音の停止が出来て、この地での変わらぬ日常に戻ることができる。

だから私は、春も近い温かい陽射しの今日、青空の下を散歩に出かけるのである。
そこには昨日までと同じ日常が繰り広げられているとわかっている。
そして明日もその明日も続くものだとばかり思っている。

🌸

五日市街道を渡り青梅街道を越すと、駅へと続く古くからのアーケード商店街が始まる。そこが今日の散歩の目的地である。

その商店街にはいる間際だったか、いつもはジャズ音楽を流している古い電気屋さんがあった。

今日そこから流れてきたのは


戦争が終わって~僕らは生まれた~♪
戦争を知らずに僕らは育った~


そう言えば子供の頃この曲を繰り返し耳にした。
そんなことを歩きながら思い出す。

私はあまりに子供であまりに無知で
戦争とは歴史にある過去の事柄だとばかり思っていた。
この歌が流行っていた時もなお、世界では戦争をしている地があることを知らなかったのである。
だからもちろん、その頃悲惨さを極めていたベトナム戦争に、将来夫となる人が二十歳になるかならないかの若さでドラフトで招集されていたことなど考え付きもしないのである。

My life is sheltered

🌸🌸

先週カナダの弁護士からメールを受け取った。
去年の夏始まった、湖畔の家を持ち続けるための奮闘がまだ終わっていなかった。

夫のデザインした家
私たちの結婚記念樹が植えられている裏庭
そしてそこで育ち始めているリンゴの木たち

しばらくは無理をしてでもこの家を持っていたい。

それはとても感情的なことだった。
感染症拡大のため、トロントより人の少ない湖畔へと移動する人が増え、住宅価格が高騰していることを考えると、手放すのが賢い方法であった。

それでも私の心に迷いはなく、維持するための方法にだけ心を割いてきた。


そしてそれは奇しくもここ数日で、もっと確固たるものとなったのである。
以前から何となく考えていたことではあったのだけれど
手放すことだけが賢い方法ではない。
世界情勢がどんどん変わる中で、日本以外の生活拠点を選択肢として残しておくのは決して悪いことではないと。
いや、かなり重要な事ではないかと。
私が生きている間はまずそんなことないだろうと思っていたし、そうかもしれない。
しかし予期せぬ戦争の勃発である。予期せぬとは私が知らなかっただけだろうけど(笑)
何がどうなるかわからない

あなたならどうする?

私は夫に問いかける

あなたなら明日弁護士とどんな話をする?

日本時間の真夜中に湖畔の家について弁護士ジェイミーとミーティングすることになっていた。


私は青空の下を歩きながら
戦争を知らない子供たちを口ずさむ。
そして夫への問いかけを録音する

カナダの湖畔でも東京に帰国中も、散歩のときはいつも夫と話して、その録音がもう優に二百を超えていた。
夫と話しながら困難な状況になるかも知れない将来に思い馳せる。


アーケード商店街の最後のところで散歩の一息をついた。

お店の外のテーブルで

チョコクロコーヒータイム。

総武線の黄色が見える。
駅前は休日の人通り
休日のバス

そして
ウクライナにも続いている
青空
(ヘッダー写真)

日本とカナダの子供たちのために使いたいと思います。