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キミはホームランを打ったか#3 国境で

すざまじいとさえ言える夫の怒りはいったいどこから来るのだろう

それまでのいきさつ↓

私はアメリカ・バモントの山あいの公園で
取り残されてしまった
そこから見渡せる大きさの公園に人影はない
街灯がぽつんと立ってあとは暗闇である
公園と言ってもすぐ裏は崖になって林が続いている
遠く町のあかりが木々の隙間から見えた

興奮の後だったが私の心は妙に落ち着いていて
とりあえずそこにあった石のベンチに腰を下ろす
夫はすぐ戻って来ると思っていた

それまでも夫は怒り出すことがあったが
こんな風にタガが外れたような怒りは初めてである

アメリカでもう一泊するかカナダに戻るか
それだけのことだったのに

ベンチでしばらく待つ
行ったと見せかけるだけだと思ったのに
夫のバンは戻って来ない

はあ?

さらに待つ
バンのヘッドライトは見えない
辺りはしんとしている

これはここから脱出する方法を考えた方がいいのではないか?
そんな思いがかすめる
気付くと自分がどこにいるのかさえ正確にわかっていない
丘の上の公園、それだけ
しかもアメリカだし…

朝まで野宿?
国道に下りて夜のヒッチハイク?
カナダのように治安がいいとは言えないアメリカである

もし運よく乗せてもらったとしてもどこまで行けばいい?
パスポートとクレジットカードがあるのだから
アメリカから日本に帰国したっていいのだ

でもそれらはどれも非現実的に思えた
夫が戻って来ないはずはない

だから今ここを動いたら
夫は私の事を見つけられなくなる
なぜか夫が戻って来ることが
私にとって疑いない当然だったのである

それで関係が終わりになっていたとしても何の不思議もなかったですね
そう後にカウンセラーに言われた状況下

それからさらに待って
ようやく
丘を登ってくるバンのライトが見えた
ほっとして
でも小憎らしい私はベンチの影に隠れた

戻って来ると信じてたわ
なんて言うものですか!

夫は私の姿が見えず
バンをゆっくり動かし
ヘッドライトで公園の中を照らしていく
この時夫はどう思っていただろう
ここで見つけられなかったら
私を見つけることはもうできない

実際のところ
そうだったのだ
連絡を取ることさえできなかっただろう
だってその時私のバッグには
スマホが入っていなかったのだから

失くしたことに気づいてなくて

だからあの一瞬を逃して
もし夫のバンが行ってしまっていたら
私は間違いなく本当の窮地に陥っていただろう

そうとは知らないながらも私は
バンが折り返す寸前にベンチの下から這い出した

夫は私を見つけ
私が隠れていたと知るとまた怒りだしている(笑える、今だと)
それでも私がバンに乗り込むのを夫は待っている

私を乗せたバンは丘を下り
そしてやはりカナダとの国境へと向かうのだ

私はもう何も言わない
夜通し運転するのはどうせ夫だ

アスファルトを走るタイヤの音だけが騒がしい車内


しばらくするとバンのスピードが少しずつ落ちていく
国境が近づいて来たのだ
長いテールランプの列が見え始める
私たちはずっと押し黙ったままである

止まったり進んだりを繰り返し
そして国境まであと5台といったころだったか
パスポートを出そうとして気づいた

スマホ!

私はおもわず声をあげる
シートベルトを外してそこかしこを探す

ない!

決まっているじゃない
バンから引きずり出されたところで落としたのだ
私たちは同時にそう思ったと思う

しかし国境へ向かう車列はびっしりと詰まって
Uターンする場所などない
私たちにはそのまま進んで
アメリカを出国するしか道がなかった

あきらめるしかない

そう頭をよぎった時
カナダの永住権申請中であることを思い出す
近日中に本人確認の電話かテキストメッセージが
移民局から来るはずだった

本人確認が出来なかったらどうなるのだろう
私がつぶやくと

とりあえず出国してまたアメリカに入国しよう

両手をハンドルにのせ
前の車列を見たまま夫が言った

そして

絶対見つけるから

そう付け加えた

あの凄まじい怒りにとりつかれていた夫は姿を消し
暗がりの中の横顔は

いつもの
穏かな
湖色みずうみいろの目に戻っていた
あの
深い灰緑色の

勝手にそう見えただけだけど


さていつもカナダからアメリカに入国する際、日本パスポートだけだった当時、私はボーダーをすぐ越えられず必ずオフィス行きとなる。車のキーを渡してまず荷物チェックである。オフィスで簡単な質問があり日本への戻りの航空券を示して$6余りを支払う。待ち時間含めて小一時間かかる。何もしなくていいアメリカ国籍の夫は横でいつもイライラして待っていた。
結婚しているのに何故ワイフだけそうなるんですかね?
もちろんボーダーの審査官には問答無用である。

これよりも前にカナダからアメリカへボーダーを越したときのスタンプ

また入国かと気持ちが萎えている私
ようやく順番が来て夫はウィンドーを落とし
ブースにいる審査官と話をしている

するとその審査官はブースから出ると
バンを誘導しそのままUターンさせてくれたのである

バンは一気に丘の上の公園に向かった
私には場所の見当もつかなかったが
夫にとってそのあたりは地元のようなものだったのである

そして私たちが確信していた公園でスマホは・・・

見つからないのだ
私は愕然とした

ベンチの下に隠れた時落としたのか
そのまま林の中に滑って行ったとしたら
この暗闇ではもう見つけようがなかった

途方に暮れた私の横で夫は
バンの中からフラッシュライトを出し
闇の中を探し続けている

私はここでも諦めかけていた
夫より先に(笑)

その時である
Find my iphoneを思い出したのは
このアプリのことを忘れていたとは

私たちはバンに戻り
WiFiを使うためにモーテルを探した
最初に見つけたモーテル前にバンを止め
チェックインの手続きを夫に残し
私はすぐ部屋のベッドの上でパソコンを広げる
そのアプリを実際に使ったことがなかったし
果たしてスマホにバッテリーが残っているのかどうか

ようやく出てきた地図をスクロール
するとなんと
光るマークが出て来たではないか
ピコピコとありかを示している

あったあ!!
私は声をあげた

でもどここれ?

夫は地図をちらりと見て

大丈夫分かるから

それは公園ではなく
一度目にバンを降りた
高速ランプの脇だったのである

私を乗せて夫は一直線に’現場’に向かう
少し迷いながらも側道を見つけてバンを止めた
私たちはバンを下りてランプの脇を高速に向かって歩いて探した
そして20分は経ったろうか
果たしてアスファルトから少し外れた雑草の中で
スマホを見つけたのである
見覚えのあるチャームのついた黒いケース

ひょっとしたら車に轢かれたかと思ったが
スクリーンにはヒビひとつ入っていなかった

少し離れて探していた夫に向かって
私は高々と手を挙げた
見つけたばかりのスマホを振って見せる

夫は大きくうなずいて
そして
私に向かって
ゆっくりと歩いて来た

Unreasonable anger(理不尽な怒り)
この時から私は夫の突然の怒りをそう呼ぶようになった。

人には誰だって暗い面と明るい面があるのさ

夫はそう認めながらその暗い面と生涯格闘しなければならなかった。
怒りの根はベトナム戦争かもしれないし
生みの父親から何かしら気質みたいなものを受け継いだのかもしれない。
でも一番の根っこはそのどちらでもないと思っている。

生みの母親を見つけて電話をした時のことを話してくれたことがあった。
イギリスに戻っていたその母は電話越しに

もう連絡しないで

そう言ったらしい。

だから私は
夫のunresanable anger, 理不尽な怒りは
そういうことなのだと

自分ではどうしようもない理不尽に対するもの

でも母をも含めたこれらいくつもの理不尽が、夫を信じられないくらいの強さにしたのだと私は思っている。
いくらでもホームランが打てるくらいに(笑)。


incredible(信じられないくらいすごい)

そんな風に夫の事を言う人がいた。
夫の能力に対して
そして
ひどい怒りを揶揄して(笑)


さてこの夜私たちはもう国境に戻らず
そのモーテルで一泊した
ふたり真っ裸になって
ブランケットに入って
お互いの体温でぬくぬくしながら
特に何ともない話をした
夫からは
高校時代バスケットをしていた話
養父とフィッシングに行ったときの話

その時の夫の目は確かに
穏かな
灰緑の
湖の色をしていた


ヘッダー写真はアメリカ・バモントの国道で。
月が行く先に現れた時、私たちは同時にWow~と声を上げた。
国道がこの世界の果てまで連れてってくれるような気がした。

*私たちが泊まったモーテルは高速インステイツ89と並行して走る国道7号線のスワントン(Swanton)今google mapを見ても私が取り残された公園がどこだったのかわからない。

カナダとの国境にあるアメリカ側の標識
カナダ側
アメリカの高速インステイツ89を北上してカナダに入るとそこはケベック州である
標識がフランス語にかわる

日本とカナダの子供たちのために使いたいと思います。