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Dual Residence:サくら&りんゴ #20

え?元カノ呼ぶの?
北米文化の人間関係

これは北米の文化なのか私の周りの人たちだけなのか、カナダで知り合った人々はいたって物事にオープンである。
例えば家庭や個人的な事情を、日本でいえば昨日の夜ごはんメニューのように話してくる。

ご近所に住むある友人は、夫が識字障害であったことや最近では娘とのいざこざを事細かに説明してくる。おかげで私は娘のことだけでなく、娘の前夫や最近のボーイフレンドの性格まで把握できている。
別の友人は、小学生の娘がADHDで薬を服用していると話す。ところがおばあちゃんちに泊まりに行っている間に、薬なんて飲まなくていいと言われて止めてしまったのだ。すると落ち着かない彼女のために生活がカオスと化し大変だと言う。夜眠らないらしいのだ。
また別の友人は用事に来たついでに、妻との破局のいきさつを語る。まだ若いカップルで夫と私は彼らの結婚式に出ていたのに。
そしてココだけの話、今回の彼の話が実は私にも衝撃であった。

もともと妻の方には、ずっと前に付き合っていた男性との間に女の子がいて、友人はその4歳になる子を引き取り結婚したのである。日本でなら親戚のおばさんがこっそり「連れ子なのよ」と耳元でささやくところである。しかしここではいたって普通にあることで、今回そこはポイントではない。
ふたりの間には2歳になる女の子がひとり。
夫もこの家族を招いて、一家はしばしば湖に遊びに来ていた。
友人が初めて悩みを話したのは1年ほど前だったろうか。
それは、最近ちっともセックスしてないんだ、と始まったものだから、え、そんなこと言うの?と私は驚いた。しかしさらに聞くとどうやら妻の浮気を疑っているらしかった。相手が彼女の元カレ(ずっと前のカレではなく)であることもわかっているという。当の彼女は一緒に泊まったけど何もしていないと言っているらしい。
そりゃないだろうな、と思いながら、でも彼女がなかったと言うならそうかもねと言っておく、その時は。一応の慰めに。
そんなことがあって今回久しぶりにその友人がやってきた。その後どうなったのかなあと思っていたら、すでに別居になっているという。
そして衝撃の告白である
彼女にその元カレとの間で妊娠したといわれたらしい。
そして今や彼女はその元カレの家に住みついている状態。
飼っていた犬もつれて。
なんたること!
私はかける言葉を失った。
一体こういう時どんな英語を使えばいいのか、経験値がなくて適切な単語を引っ張り出すことができない。
彼のショックを思いやると気が遠くなりそうである。
怒りの余り精神科にかかり安定剤を服用しているという。
父親の違う子供が三人。
どうやって育てられていくのだろう。
友人はまだ若いし、フィッシングやハンティングとアウトドアに費やしてきた時間が多そうではあったが、子供たちの世話をする働き者のパパである。彼女が勝手にポニーを買って怒った話も、家族で来たときに笑いながら話していた。しかしその時はまだ、離婚されちゃうかと思った!と彼女が言っていたぐらいで、結局友人は許してその馬小屋や餌代まで払っていたのである。

そんなわけで、湖畔界隈の友人たちが大かれ少なかれ何かしら困難な事を抱えていることを、私は知っている。人々はそれを乗り越えて、あるいは受けとめて生きている。何の困難もないことなどあり得ないわけで、それが人生である。
それなのに日本にいるときは、自分以外の人は大した問題もなくスムーズに暮らしているように見えていた。カナダに住む人たちにはなぜ、色々な困難が多いのだろうとまで思ったが、実際そんなわけないのだ。日本では、うちには何のトラブルもないのと、周りに思わせているだけである。だからどこかのおばさんがこっそり、あのお宅の‥と耳打ちしてくれない限り、人んちのトラブルは見えてこない。(平和な日本においては実際にトラブルがないのかも知れないけれど)

この地の人々の人間関係におけるオープンさは、私が夫と付き合い始めた頃に気づかされた。その考え方の違いが夫との間でトラブルとなった。
夫が平気で元カノの誕生日パーティに行ったり、元カノとその彼を家に呼んだりしていたのだ。

北米では再婚時の結婚式にそれぞれの前妻や前夫も呼んだりするのさ。
夫はあっけらかんという。
誕生日を祝ってあげて何が悪いんだ?別にセックスをするわけじゃなし。
そして、日本はあまりに秘密主義だと付け加える。

そんなわけで私と結婚した後も変わらず夫は、一年に一度は元カノとその彼をこの湖畔の家に招待した。私たちも呼ばれてエチオピア料理を食べに行ったことがある。きっと私にとって珍しい料理ではないかと元カノが考えてくれての選択である。
だからはじめは怒っていた私も、だんだんそんなものかなと思えてくる。
しかし、こういうことにすっかり慣れてしまうと、日本では顰蹙を買いそうであぶない。
なんせ私の姉夫婦は娘たちに、結婚が決まった相手でなければ家に連れてくるなと言うほど、こちらの人から見たら化石のような考え方なのだ。

亡くなった母は、私が離婚をしたあと再婚してその相手とカナダに住んでいることを、友人や親せきに一切話してこなかった。私の子供たちはとっくに成人しているというのに、育児放棄であるとまで騒ぎ立てた。
母の中で 夫婦は添い遂げるもの、子は障害なく生まれてくるはずで、健康に育て、そして結婚して独立するまで親はそばで子供を見ていなければならない、そうすることが当たり前で正しいことなのだ。離婚はコッソリ耳打ちの話で表立ててはいけない。なんせ母は家の中にいても、近所に住んでいた私の同級生の離婚話を小声で話していた。そんな母だから娘が
子供の結婚もほったらかし親が再婚するなどもってのほか。
というわけである。
この母の話を夫の娘Jenniferにしたことがある。
日本では夫婦関係より子供の方が大切で、仲が悪くても我慢して離婚せず子供の結婚を祝うというわけなの。
するとJenniferが、子供の結婚が大切ならお母さんの子どもであるあなたの再婚も大切なはずなのにね!

確かに!

夫の存在を認めない母の態度は、私への刃という以上に夫を傷つけることを知っていたから、私は夫に本当の母の気持ちをはっきりとは伝えていない。日本語が分からないし、表面をうまくとりつくろえる母に夫はすっかり騙されて、夫は母の事をとても気に入っていた。母の家に行くと、何かしてあげられることはないかと探して、門扉のペンキの塗りなおしまでしてくれた。
一方母は、近所の人にそんなところを見られたら大変とソワソワしていたのを私は知っている。

姉もつい最近まで、私への郵便物に前夫との姓を書き入れていた。

あるひとつの価値観の中で育ち生きてくると、
大人になって違う価値観に出会っても、
持っている価値観の中でしか判断できないから、
言葉の意味はわかっていても
その違う価値観を本当のところで理解するのは難しいのだろうと、

今ならわかる。

窓を開けると白い朝である。
ゆるやかな霧が太陽の光を通して湖をミルク色に変えている
昨夜の雨が嘘のように
湖面は凪いでいる
ヒュルルルという遠くの声はカーディナルに違いない

裸足になってひとり
いつものアーシングに出る
太陽がゆっくりとのぼり
湖は少しずつ色を取り戻していく

何が、という具体的な言葉のない
しあわせな時である

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日本とカナダの子供たちのために使いたいと思います。