保育っつうのは、、、(省察の夜)
子どもたちがドングリを拾ってて、見上げると枝にくっついたままのドングリが。
あれこれとしたやりとりの後、枝にくっついてるドングリがよく見えるよう、僕が一人ずつ「えいっ」と持ち上げることに。
案の定、「僕も」「私も」となるわけです(腕はプルプルです)。
次々集まる全員を持ち上げ一息ついてその場を離れたとき、「私も」と小さな声で後ろから僕を呼ぶ女の子。
「よっしゃ!」とその子を持ち上げ、その子は(たぶん)満足して去っていきました。
その日の夜。
「ノーテンキに『よっしゃ!』じゃないやろ」と反省。
「僕も」「私も」と言えなかったけど、その場から離れた僕を追いかけ、勇気を出して「私も」と表現したその思いを、まず受け止めるべきだったのではないか。
その子の勇気を言葉にして認め、僕自身の喜びや行動・表現することの尊さを伝え、自己有能感を育むチャンスだったのではないか、と。
保育っつうのは、一日の終わりのこういう省察が次につながっていくんだよなあ、と思う秋の夜長。
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