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父親のきもち、息子のきもち。

ぼくには3歳の息子がいます。
通っている保育園の進級が今日おこなわれ、幼稚園生と同じ学年です。
いま想うことを書き留めるため、ここに記します。

昨夜のこと

ぼくは毎日、息子の送り迎えをしています。
昨日も同じように、息子を迎えに行くと、保育園の先生方が1年間の締めくくりとしてご挨拶をして下さいました。
息子にも話しかけているものの、マイペースなのか聞いていない。
なので、ぼくは帰りに抱っこをしながら話すことにしました。

ぼくはゆっくりと切り出しました。大切な話があると。

明日からは進級し、お兄さんクラスになること。
これまでとは荷物が変わって、自分でリュックを背負うこと。
少しずつ、してもらってきたことが自分で出来るようになること。

息子は笑いながら頷いていました。
ところが、家に着いてから少し様子が変です。

マグフォーマーで作った、お気に入りの三角錐を渡すときに、ぼくが形を崩してしまったのを見て、怒って泣いてしまいました。
形はすぐに直して見せたのですが、いつまでもヘソを曲げて泣き止みません。
それに、泣き声が大きい割には表情が釣り合いません。

ぼくは、彼を抱きしめて、抱っこしてみました。

お兄さんになるのが怖くなったこと、もう抱っこしてもらえないのかと思ったこと、甘えられていたことが出来なくなるかと思ったこと。
ひとつずつ思い当たることを聞いて、時には間違って、でも分かりました。

彼は、突然に訪れる変化を予感して、不安になっていたのでした。

それから、ぼくは、彼に説明をしました。
明日からお兄さんクラスになるけれど、急にお兄さんになる必要はないのだということ。
赤ちゃんの自分が少しずつ減っていって、お兄さんの自分が少しずつ増えていって、それがずっと続くと、今度は大人になって、お父さんになって、おじいちゃんになるんだよと。

彼はもう泣いていませんでした。

今日からのこと

息子は甘えん坊で、繊細で、優しくて、自立心があって、おふざけが好き。

自分で言うのは気恥ずかしいですが、ぼくの気質に似たところが多いように思います。
たぶん、どちらかといえば、黙って見守っていてもらう方が好きなタイプ。
となると、積極的に環境を用意してやって、彼が自分で好きなことを見つけ、それに没頭できる環境を用意する・・・の繰り返しかと思っています。

ぼくの父親は、ぼくがやりたいと自分で言わない限りは手を貸さないタイプの人でした。
じっくりと見守られることの大切さ、有り難さは大人になってから理解したものです。
でも、ぼくは、もっと積極的に息子に関わっていきたい。
彼が欲するものを理解し、必要なものを与えられるようにし、足りないものをそっと示してやりたい。
そのために、まずはぼくの父親と同じように、ぼくも父親として、息子のことをじっと見守ることから改めて始めてみようと想う。

彼が、いつか、自分で道を切り開いていけるようになるまで。

息子よ、父は見ているぞ。ちゃんと。

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