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志望校に受からなかったからこそ2

 ところが、結果は不合格。理由はもちろん知らされませんでしたが、私はひそかに、面接や作文で自己主張しすぎたから、自由学園に入るには自由奔放すぎたから落ちたのではないかと思っています。

 人生初めての挫折。がっかりした、なんてもんじゃありません。

 仕方なく進んだ府立高校での生活は、もちろんそれなりに楽しかったけれど、私は三年間、自分が送るはずだった寮生活や広い芝生の庭や小説をめぐる議論の授業を思い描きながら、とことん後ろ向きな気持ちで過ごしていました。

 今思うに、自由学園の教育は、自立した生活者を育てることを目標としたもので、大学受験を視野に入れたものではなく、進学先としては専門学校扱いの最高学部しかありませんでした。高3で北大を受験していたら、きっと一度では受からなかったでしょうし、それとも、3年間の高校生活で価値観が変わり、大学進学をやめたかもしれません。それはそれで面白い展開になりそうですが。
 
 というわけで、3年生の6月末にソフトボール部を引退すると、受験勉強を始めました。翌年1月の共通一次試験(当時)まで、残すところ6か月半、3月初めの国立大学の二次試験まで7か月半が、私に与えられた時間でした。

 私の高校は、専門学校進学や就職希望者の方が断然多く、クラスメイトの7割が就職希望。学校を休んだり、出席しても学校外へ抜け出したり、授業中もお喋りか編み物をしている生徒が多かったです。

 高3の1学期の英語の授業で、クラスメイトの男子が先生に「playって何ですか?」と質問した瞬間、私の心は決まりました。冷静に考えて、それまで通り高校の授業に出席していては、受験勉強でやるべき範囲が終わらず、現役合格は望めない。卒業に必要な授業時間数を計算して、授業を欠席しよう、と。

 翌日から、学校を休んで家で受験勉強を始めました。それまで塾に行ったことがなかったのですが、苦手な数学をなんとかするために、大学生だった従姉妹に家庭教師を頼み、あとは通信教材や模試の問題の解きなおしを何度もやりました。私は割と意志が強いほうで、目標を立てると何が何でもそれを達成しようとする性格です。睡眠と食事を除いて、1日13時間くらい勉強しました。

 それまで通学や部活に費やしていた時間を全部自分の好きなことに使えるのは良い気分だったし、自分の立てた計画に従って勉強するのは、高い山を様々な角度から少しずつ制覇していく感じがして、とても楽しかったです。自分はつくづく他人が決めたルールに従うのが嫌いなんだなぁ、と思います。

 気分転換にたくさんの本を読みました。初めて英語の本を1冊読みとおしたのもこの時です。アガサ・クリスティの『鳩の中の猫』という推理小説で、語彙力が全然足りませんでしたが、「1ページに一つだけわからない単語の意味を調べてよい」というルールを作って、わからない単語は文脈から類推しました。秋の夜更けに最後まで読み終えたときは、本当に嬉しかったです。この時の喜びや、「わからない単語があっても文脈から類推すればよい」という気づきが、もしかしたら今の通訳・翻訳の仕事につながっているのかもしれません。

 家庭教師をしてくれた従姉妹は、京都市内の大学に通い、今でいうシェアハウスに住んでいました。そこで勉強を教えてもらう時には、彼女の部屋の本棚に並んだ大人っぽい本を、よく借りて帰って読みました。中根千枝『タテ社会の人間関係』とか江藤淳『漱石とその時代』、小林秀雄『無常ということ』など、内容は難しくてあまり理解できなかったけれど、大人の世界をそっとのぞき見している気分でした。

 高校には放課後に行って、わからないところを先生方に質問。運動不足にならないように、体育の授業と家庭科の調理実習だけは出席する。今思えば、ずいぶん自分勝手な生徒でした。時々、担任の先生から電話がかかってきて、「出席時間数の計算を間違えないようにしろよ」と言われました。一度父が電話に出て、「お前学校を休んでいるのか?」と驚かれ、「このまま通学していたら浪人決定だから、家で自分で勉強することにした」と答えて、なんと言われるかドキドキしていたら「そうか、頑張れよ」とぽつんと一言。ほっとした記憶があります。

 この半年ちょっとの受験勉強期は、今思い返しても、自分が知的に成長できた、貴重な時期だったなぁ、と思います。結局翌春、幸運にも北海道大学に合格するのですが、受験の後、「落っこちたらもう来られないかもしれない」と、札幌や東京の友達の家に泊めてもらい観光を楽しんでなかなか帰宅しなかったので、心配した親から「あんた一体どこで何してるの?」と電話がかかってきたのを覚えています。その時は「もう十分勉強したから、これで落ちたら、浪人せずに北海道の牧場で働こう」と、なかば本気で考えていました。

 高校受験で志望校に受からなかったからこそ、私は自分で勉強することの面白さに目覚めることができたのかもしれない、と思うと、「志望校に受からない人生には、また違った面白い展開があるよ」と、すべての受験生に伝えたい気持ちになるのです。

(写真は色丹島穴間湾)

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