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誰もが「弱者」になりえるこの世界で

人が私を紹介するときに、真っ先に出てくる肩書きが「東大生」だ。
日本社会でくらす人間を「弱者」と「強者」に分類したら、東大生は間違いなく「強者」の方に分類されるだろう。
「東大生」は、将来人を動かす立場につくことが期待される。それだけに、社会的責任も、社会的地位も高い。
私は、東大生であることただそれだけをひけらかすのは嫌いだが、
それでも、その自分の肩書きによって他人から一目置かれること、他の人よりも尊敬されることに、(ある種の悲しさと同時に)喜びのようなものを感じていた。

でも、それは日本の中での話。

私は、ベルリンではただの「アジア系の小さい女の子」だった。

ベルリンでは「東大生」という肩書きはもちろん通用しない。
というか、ベルリンをただ歩いているだけの状態で、そもそも東大生であるかどうかなんて誰にもわからない。
その中で私が感じたのが、言語の壁・性別の壁・人種の壁だった。

「言語の壁」

私はドイツ語を話すことができない。
もちろん英語は通じるけれど、その地域の主要言語が理解できないというハンディキャップは大きい。

標識が読めなかったり、駅員の言っていることがわからなかったり、レストランで注文ができなかったり。
英語に関しても、母国語ではないのでやはり日本語よりも使い勝手が悪い。

幸い何事もなく1ヶ月を過ごしたものの、
たとえばベルリンで災害が起きて避難が必要になったら、外国語で行われるであろう指示に私はきちんと従えるのだろうか。
そんな緊急事態を考えた時に、マジョリティの言葉が話せないというだけでとても心許なくなった。

「性別の壁」

日本は世界でもトップレベルに治安が良く、深夜に出歩いたとしても犯罪に巻き込まれることは滅多にない。
実際、私もバイトの帰りが23時頃になることもあった。

ベルリンは、ヨーロッパの中では治安がいいとされる地域だが、それでも日本に比べると危ないところも多い。
私が滞在していた地域は、ベルリンの中でもあまり治安がよくない地域として知られていた。
実際に、夜に大音量の音楽を流して若者がたむろしていたり、朝方に道端で割れているビール見かけることも日常茶飯事。

夏のドイツは日が長く、21時であっても周りがほんのり明るい。
しかし、ほとんどの店は22時で閉まってしまうので、日が沈むと途端に街は暗くなる。
犯罪に巻き込まれることはなかったが、「外国人」で「女性」で、しかも明らかにひ弱そうな私が1人で歩くのはあまりにも心許なかった。
その一方で、ベルリンの同じ大学に留学していた男子の友人は、夜綺麗にライトアップされた街並みを見に行ったり、クラブに出かけたりしている。

これは、自分が「女性」であること、そしてそれが社会的な「弱さ」をどうしても伴ってしまうことを実感せざるを得ない経験になった。

「人種の壁」

ベルリンは移民が多い都市でもあるので、滞在中にあからさまな人種差別を経験することはなかった。
しかし、どうしても見た目から「ドイツの人じゃない感」は滲み出てしまうのだろう。街中を歩いていると、知らない人から声をかけられることが何度かあった。

コインランドリーで洗濯が終わるのを待っていたら、ホームレスのおじさんにスペイン語でしつこく金銭をねだられたり、
道端で声をかけられた東欧出身と思わしき女性に「子供がいるのにお金がないから、何か食べ物かお金をください」と書かれた紙を見せられたり、

今回は何かものを取られることはなかったが、時には財布や貴重品を盗まれることもあるという。
観光客、特に日本人は母国の治安の良さから他者への警戒心が薄いとみなされ、物乞いや犯罪のターゲットになりやすいそうだ。

日本人であるがゆえに、危ない目に会う可能性が高くなってしまう。これは、人種によって生まれる「弱さ」なのかもしれない。

そして、「物乞いをしている人」も人種の壁を持っている。
私が出会った物乞いをしている人には、移民のバックグラウンドを持っている人や障害を持っている人がいた。彼らも、移民であるが故に、障害を持っているが故に十分なお金を稼ぐことができなかったのかもしれない。目の前にいる人が善人か悪人かを見分ける術は持ち合わせていなかったので、今回はそうした物乞いには一才反応しなかった。しかし、困っている人がそこにいるのに冷たい態度を取るしかないという状況にはなんともやるせなさを感じざるを得なかった。

***

私は、滞在中に「ユダヤ人博物館」なるものに訪問した。
第二次世界大戦期を中心とした、ドイツのユダヤ人迫害についての歴史を紹介している施設だ。

ある日までは、普通のドイツ人として生活していた人々。
そんな彼らが、一瞬にして迫害対象の「ユダヤ人」としてみなされ、
資産、持ち物、住む場所、そして人間としての権利も全て奪われていく。
ドイツに残れば強制労働か死、海外に逃れても、常に不安と隣り合わせの生活。

展示から垣間見えるユダヤ人たちの苦労は筆舌に尽くし難いが、
この博物館への訪問を経て、私はこう考えるようになった。

***

そもそも「弱さ」とはなんだろうか?

***

「東大生」という肩書きが、海外に出た瞬間に通用しなくなるのと同じように、
「強さ」というものは、周りの環境があって初めて成立する。
そうだとすれば、「弱さ」は人間自身に起因するものではなくて、
その人が置かれている環境によって作り出されているものなのではないか。
そして、その「弱さ」は、環境を変えることによって取り除くことができるのかもしれない。

たとえば、
標識が言葉ではなく絵や色でわかりやすく表現されていれば、
夜でも街灯が明るく、店のテラス席が賑わっていれば、
貧しさから犯罪を犯す必要がないくらい、最低限の生活保障がなされていれば、
私が感じた壁は少しでも小さくなるのかもしれない。

そして実際に私は、
レストランでドイツ語しか通じない店員さんに注文を通訳してくれた他のお客さんや、
エレベーターのない駅で重いスーツケースを持って途方に暮れていた私を助けてくれたお姉さんや、
地下鉄の入り口が閉まっていた時に助けを求めたら快く応じてくれたおばさんの存在に
本当に助けられた。

だからこそ私は、環境によって作られてしまう「弱さ」を少しでも取り除いていきたい
これまでもうっすら感じてはいたことだけれど、私が福祉社会学を勉強する理由が、今回の留学ではっきりした。

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