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ポメラ日記65日目 僕は小説家になれなかった

 お久しぶりです、もの書きのkazumaです。久々の更新ということで、ちょっと近況などを綴っておこうかなと。SNS(Twitter)もやめちゃったので、気軽に書けるところはnoteぐらい。

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 「monogatary.com」という小説投稿サイトで公募に出した「51対49の小説」の結果は落選していた。わりかし自信はあったし、他の応募者が誰もやっていないような言い回しをした箇所もあると思ったのだけど、僕の小説の書き方は、プロの出版社から見れば話にならないらしい。一次さえ通らなかった。

 何が駄目なのか、どこを直せばいいのか、ひと言でもコメントがあればまだ参考にできるのだけれど、一次で落ちる作品にアドバイスなどない。それが自分で分からないようなら才能がないし、この先やっていける見込みもない、ということなのだろう。

 十年くらいひとりで小説を書いている。公募に出すたびに自分の名前がないことを確かめる。出すたびに「失敗作」の烙印を押されたような気がする。「公募に出すのが嫌にならないか?」と訊かれて、いいえ、と言ったら嘘になる。

 十年書いて一次にも通らないのだから、僕は小説を書く人間としては落第だ。でも、あんまり後悔はしていない。公募に落ちたからと言って文章を書くことまで嫌いにはならなかった。

 どこかの誰かに作品を否定されたからって、それが小説を書くことをやめる理由にはならない。だって、自分が好きではじめたことだから。他人に言われてやめるくらいなら最初からやらない方がましだ。

 学生だった頃、僕にとっては小説がすべてだった。友達も、家族も、恋人も、教師もみんないらないと思った。ワンルームアパートに文庫本とノートとペンがあればそれでよかった。小説以外のすべてが嘘くさかった。自分の探しているものは虚構のなかにしかないと思った。いまでもちょっとそう思う。

 でも、十年後の僕は小説がすべてではないことを知っている。僕が小説家になれなくても、それで僕の人生が終わるわけじゃない。べつにそんなことは大したことではない。作家志望が一人いなくなるくらい、いちいち誰も気に留めない。今日も、明日も、明後日もフツーに続いていく。明日には会社の記事を書くだろう。

 平気で十年くらいの人生を棒に振った。でも、それが僕の望んだ生き方だった。他の生き方は選べなかったし、選ぶつもりもなかった。

 僕はライターになり、ブロガーになった。文章を書いて誰かの役に立てるなら何だってよかった。

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 ずっと昔に、中井久夫という精神科医が書いた本を読んだことがある。精神の病を持った患者がその後、どのように街で生きていったのか、臨床の見地から綴ったものだ。

 多くの患者が、自分がはじめに望んだ職業には就けなかった。健常者と違って、患者はものすごく遠回りをする人生を強いられる。患者はほんとうに少しずつしか前に進めない。やっと前に進んだと思ったら、後ろに下がる。その繰り返し。

 はじめは家からも出られない、病院の診察室のドアを叩くのがやっと、施設に通うのもまちまちで、街に出ると人の眼が怖くなって、引き返す。ひとともうまく関われない。

 でも、そうやって繰り返しているうちに、患者は少しずつ前に進んでいる。それは、他のひとには僅かすぎて見えない微妙な変化かもしれない。

 快方に向かっていく患者には共通点があって、一進一退を繰り返しながらも、徐々に渦(オリヅルランの形)を描いて患者が目的としていた場所へと近づいていくという。

 そして、ここが肝心なところだけど、患者は「自分が当初、目的としていた地点からズレた位置に、自分の居場所や仕事を見つけていく」というのだ。

 僕は、この話を聞いたとき、ほんとうにそうなるかもしれないと思った。中井久夫というひとは精神医学の大家で、文学や哲学などあらゆる分野に造詣が深く、天才とはこういう人のことを言うのだと思う。辛くなったときはその著作を当たった。

 僕は小説家にはなれなかった。その代わり、ライターになった。いまにして思うと、中井久夫先生の仰っていたことは、当たっていたように思う。

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 そろそろ家を出ることになった。近いうちに僕はグループホームのアパートで暮らすことになっている。家から出て、静かに文章が書けるところならどこだってよかった。僕の望みははじめからそれだけだったから。

 トルーマン・カポーティの「最後のドアを閉めろ」という小説がある。最後の台詞は「Think of nothing things, Think of wind.(もう何も考えない、ただ風が通り過ぎてゆく)」。

 もう何も考えたくない、ただ風のことだけを考えていたい、と書いたカポーティの気持ちが、いまなら、ほんの少しだけ分かるような気がする。

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 小説を応援してくださっていた方はありがとうございました。これからも作品は変わらず書いていきますので、また次の発表の機会に読んでいただければと思います。

 「51対49の小説」はいまのところ、monogatary.comに残しています。noteでも公開できないか考えているのですが、無断転載の被害に遭ったので、今後の小説作品の発表媒体は検討中です。おすすめのWeb小説の発表場所がありましたら、コメント欄にお寄せください。

 文学ブログ『もの書き暮らし』は今後も更新を続けます。最新記事は「村上春樹『職業としての小説家』に学ぶ、オリジナリティの創作術」です。

 僕も創作を続けますので、よかったら一緒に小説を書いていきましょう。ものを書くことを楽しめるブログにしていきたいと思っています。

 2024/03/06 19:16

 kazuma

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