見出し画像

「仕事」と「生業(なりわい)」

これも昔から会社で話す内容です。
この話を最初に聞いたのは、独立した25歳くらいだったと思います。
確かにそうだな、、と思い、今も心に留まっている話です。

この2つ、ググると違いについていろいろ出てきます。
いろんな書き方がありますが、僕の解釈では、
■「生業」
今の生活をするため、生計を立てるためにやるべきこと。
■「仕事」
未来の仕事内容や収入のためにやること。
と思っています。

農家が、毎日水や肥料をやったり収穫したりするのが「生業」
来年から生産量を増やしたり新しい作物を作るために、1日の作業が終わってから別の土地を耕して準備をすることが「仕事」みたいなイメージです。

仕事と生業の評価方法の違い

会社における考えとして上記の内容を反映すると、
生業に対する評価は、通常の「給与」だと思います。
やるべき業務があって採用され、それに対して報酬を決める。
ちょっとドライに聞こえるかもしれませんが、それ以上も以下もないのが生業に対する評価です。
会社で働くにあたり、まず本人がしなければならないのは、
自分の給与が発生するための生業とはなんなのか?を理解する必要があります。
そしてそれは、やって当然のことであり、褒められることでもないのです。当たり前のことです。
評価は毎月の給与で既にしてあるものです。

「自分はこんなに頑張ってたのに、全然評価されなかった」
世間でもそんな声を聞きますし、中途の面接でもよく聞きます。
“会社が悪”という世間の風潮もあるので、そういう声を聞くだけで会社を悪と判断しがちですが、僕はあまりそうは思いません。
その人の視座が低い、その人が利己主義すぎる、そんなケースも多いです。会社の人事部とかって、世間の人が思っている以上に“評価の達人”だったりします。結構プロです。会社がどんな人を評価しようとしているかということを、働く側の人が、理解できるレベルに達してない事も大いにありますね。

「この人すごいな!!!」って思わされる人の行動と考えっていうのは、要するに、未来に対する「仕事」をしている人です。
毎日のやるべき「生業」をしっかりやるのは当然です。
会社としては、新しい仕事を任せたり、役職や権限を与えたり、手当を増やしたり、要するに、周りの人とも差をつけるようなものを与えるかどうかの判断が、「仕事」の部分です。

「自分はこんなに頑張っているのに、評価してもらえない!」という人は、「仕事」によって得られる評価を欲しがっているのに、「生業」しかしていないのではないかと思います。
上記のように、この2つは全く別の評価になるので、それを知っておく必要があります。
でも、別に悪いことではないのです。
その自分の給与分のTASKである生業をやっていればそれはそれでいいのです。
でも、それ以上が欲しければ、それ以上のことをしないといけません。

勤務時間だけの業務

成長するために何したらよいですか?と聞かれる時がありますが、だいたい言うことは、「読書したら良いよ」「勉強したら良いよ」「めちゃくちゃな遊び方をしてみたら良いよ」などの話をします。
多分、冗談っぽくいっているような内容(ここでは書けない)もいっていますが、おそらく真面目に聞いてもらえてない気がしますが、結構本気で言っている内容(ここでは書けない2回目)です。
要するに、生業に従事する時間だけで、自分の脳を刺激するような経験なんて、絶対にできない!!ってことです。

読書などに関しては、「勤務後に仕事のためのことをしたくない」という人もいるでしょう。勤務時間以外は、自分の好きなようにしたい!ってのは気持ちはわかります。でもそれは捉え方によっては、「特に成長したくない」という意味と同じかなと思います。
勤務時間中の通常業務で、そんなに人間が成長するんですかね?w
毎日の業務を捌いてるだけで、凄い人になるなんあり得ないと思ってます。
キャッチボールしてランニングしてたら、プロ野球のピッチャーになれるのか!?って感覚です。
何か取り組んだら自分が変化した!とか、前の自分との違いを実感した!とかの経験がないからなのかなと思います。
一度経験すれば変わるのかもしれません。
その1回目を感じられるのかどうか、感じたものに対して価値を感じられるかどうかは、その人のセンスだと思います。
自分の成長を感じれるほど、楽しいことはないと、僕は思うんですけどね。自分に自信が湧くし、なんか凄いことができるような気持ちになれます。
これこそ最高の価値あるインセンティブだと、僕は思います。

見えない時間

凄い人は、誰も見てないところで努力しています。
それを知らない人が多すぎるって思います。
仕事ができる人は、絶対に家で何かをしてます。
綺麗な人やカッコいい人は、家時間や休みの日に、お金も時間も使っています。
「あの人は元々そういう人なんだ、そういうのが好きな人種なんだ」って思っている人いませんかね。
絶対にそんなことないです!
自分の習慣を変えるきっかけになった「何か」があり、その時に「決意」して継続し、それが「習慣」になったはずです。

1日・1週間・1ヶ月のマネジメント

そういった「仕事」に当たる部分の努力は、習慣です。
それが当たり前になれば、当たり前のことのように苦もなくできます。僕もこのnoteは、勤務時間に書いていることはありません。
「何かをする」だけを考えるとなかなか習慣は変わりません。
「1日何分間を何に使う」の方がいいと思います。

この半年くらい、僕が決めている1日のルールは、
15分間以上の筋トレ、60分間以上の読書、30分間以上のPCを触らずに考える時間、60分間(30分×2回)の情報収集。
僕自身が自分を保つためにしているのは、この165分間の継続だけです。1日のわずか11%の時間です。
わずかな時間でも、継続すると何かが得られるという経験を一度できれば、時間の使い方の重要性に気がつくのではないかと思います。

労働基準法による“勤務”って、大体1日8時間とかの勤務形態をいうと思います。
労働基準法は、労働時間・休暇・報酬を定めたものであり、「人の成長」や「将来性」を保証したものではありません。
同じように、会社もその人に対しての「成長」や「将来性」は守れません。
だから、自分の「成長」や「将来性」は、勤務時間外の自分の行動で決まるはずです。
経営者の立場でこんなことを言うのは結構ギリギリですが、現実はこうなんじゃないかと思っています。
業務が終わった後の時間、ボケーっとしたり、ゲームしたり、酒飲んだり、それがダメだといっているわけではありません。
その中に、少しだけ違う時間枠を設けてみたらどうですか?っていうご提案でした!

「でも時間がないからできない・・・」って言う人、、、
「へぇ〜〜〜〜〜」って思いますねww(嫌味っぽくw)
時間は『ある、ない』ではなく、
『決める、決めない』です。

____________________
毎年正月は、フェリーで大洗まで行き、東京の実家で両親を乗せて親の生まれである長野の家まで行き、年越しをしています。年に一度だけ親の言いなりになっています。
ひたすら運転です。
今日は東京の実家に戻ってきました。
そのまま東京で数日仕事してから札幌に向かいます。
今年は昨年以上に移動が多くなる気がします。

札幌・仙台・東京を拠点として動いているわけですが、「出張」って言葉が何を指すのだろうと思ったのですが、

出張(しゅっちょう)とは、社員・職員が業務のために、普段の勤務地とは異なる場所に出向く行為を指す。
wikiより

社長に「出張」はないようです。
全部出勤ですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?