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カレーコンプレックス


インド人「あなたの故郷に象はいますか?」

僕「象はいない」

インド人「虎はいますか?」

僕「虎はいる。大阪なんて虎だらけさ」


嘘の中にもついていい嘘があることは、”カレー風味”のスナック菓子が証明している。

2017年1月1日。僕は、インド北部のリシケシュという街で年を越した。土ぼこりが舞い、牛の糞尿がいたるところに撒き散らされた、ひどい匂いのする街だった。

インドで人口の八割を占めるヒンドゥー教徒は、牛を神の化身として崇めているため、街中では野良犬のように「野良牛」が道を闊歩している。

糞尿の匂いのなか、僕は現地で知り合ったやたらとよく喋るインド人とカレーを食べていた。

郷に入っては郷に従え、食べるのはもちろん素手。トッピングで注文した覚えのないハエがカレーに浮かんでいる。

肝心のカレー(ハエトッピング)の味は、口の中に直接入れる指の塩気、ハーブのような爽やかな香り、ブラックペパーのピリッとした辛味が相まって、なかなかどうして悪くない。

それどころか、後を引いてどんどんクセになってくる。カレー発祥の地で出会ったカレーは、日本で食べるそれとはまったく違う料理だった。


「母親の作るカレーがまずい」それが幼少期の僕が抱えたコンプレックスだった。

給食のこってりと甘いカレー、自然の中で食べるキャンプのカレー、どこで食べてもおいしいカレーがなぜ我が家だけ・・・。

そして、事態をより複雑にしたのは、母親にカレー以外の料理を作らせたら見事な腕前という事実である。

煮物の隠し味に黒砂糖を入れてコクを出し、かけうどんには柚子の皮を散らす、そんな粋な演出をする母親である。

そんな"料理上手な"母親の作るカレーがまずい、この矛盾が当時の僕を混乱させ、同時にカレーという食べ物の不思議に取り憑かれるきっかけとなった。


大学入学と同時に食の自由を手に入れた僕は、カレー屋に入りびたった。

日課のようにカレーを食べ、スパイスを学ぶ。インド料理屋の店主には実はネパール人やバングラデシュ人が多いこと、ナンの食べ放題を提供する店にはハズレが多いことなど、人生でまったく役に立たない知識を増やしていった。

いつの間にか、カレーを食べ、カレーを知ることが僕の人生の楽しみとなった。今でも気がつけばカレーを食べているし、最近は自分でカレーを作るようにもなった。

しんと静まった夜中、よしやるかとカレーの仕込みをはじめる。スパイスの芳ばしい香りと、とろーんとした液体を黙々とまぜまぜする。

鍋のふたを開け、できたてのカレーを味見して夜中にニヤリと笑う姿は、とても他人には見せられない。


「母親の作るカレーがまずい」というコンプレックスからはじまったカレー探求の旅。

カレーは僕という人間を構成するパズルのワンピースとして、今ではなくてはならない存在になっている。

ひょっとすると、コンプレックスは神様が与えてくれる人生のスパイスなのかもしれない。


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