山田 和正
インド人「あなたの故郷に象はいますか?」 僕「象はいない」 インド人「虎はいますか?」 僕「虎はいる。大阪なんて虎だらけさ」 嘘の中にもついていい嘘があることは、”カレー風味”のスナック菓子が証明している。 2017年1月1日。僕は、インド北部のリシケシュという街で年を越した。土ぼこりが舞い、牛の糞尿がいたるところに撒き散らされた、ひどい匂いのする街だった。 インドで人口の八割を占めるヒンドゥー教徒は、牛を神の化身として崇めているため、街中では野良犬のように「野良
12月。クリスマスツリーが目にしみる。 寒い冬の夕暮れに僕はなじみの居酒屋に入って、ビールと餃子を注文する。 この店のメニューには5個、6個、8個、9個、10個入りという5つの餃子の選択肢がある。その昔、「7」にまつわるどんな不幸がこの店を襲ったのだろうといつも妄想してしまう。 「お客さん、ご注文どうします?」 妄想からはっと我に返り、反射的に「餃子5個」と答える。 「餃子5個入りま〜す!」 店員が厨房にオーダーを通したあとで、自分が本当は8個入りを頼みたかったこ
刺身を食べるとき、ワサビを醤油でといてはならない。蕎麦を食べるとき、蕎麦をつゆにドボドボとつけてはならない。 そんなどこかで聞いたもっともらしい知識を日常で実践する自分に気づくと、心の声が「ああ、お前またヤッてんな」とつぶやく。 年をとるにつれ、見栄や体裁など他人からの目線を気にするようになり、見えないルールがどんどん増えていくことにホトホト嫌気が指していた。 ただ、今年に入って数々の食を愛する方々(敬意を評して、僕はその方々を「変態」と呼ぶ)と出会い、僕のなかの何かを
あぶら蝉が暑さをかきたてるように鳴く真夏日。 定時。仕事をいそいそと切り上げると、小走りで酒場へ向かう。体が欲するのは、キンキンに冷えた、黄金色に輝く命の水。 本日のお目当ては、荻窪「煮込みや まる」。 お店に到着し、さっそく「とりあえず、生!」と威勢よく注文しようとした瞬間、目の端に何かを捉えた。 はて、何だろうこれは? お品書きに書かれているのは、日本酒の銘柄と女優の名前。 「辨天娘(松田聖子) 600円」「竹鶴(樹木希林)600円」……ワケガワカラナイ。
ずぶりずぶり。もがけばもがくほど、深く沈んでいくのが沼というもの。 僕はいま、沼の中にいる。沼に片足を突っ込むどころか、いつの間にか首まで突っ込んでしまい、沼の水面からようやく顔だけ出して呼吸している。沼の名は「ぬた沼」。 野菜、山菜、魚介類を酢味噌で和えた、あの「ぬた(ぬた和え)」である。そもそも、ぬたの語源は、酢味噌のドロっとした感じが「沼田」に似ているということで、「ぬまた」がなまって「ぬた」になったそうだ。名は体を表す、ぬたは生まれもっての沼属性。 あのねっとり
天かす。天ぷらの残りかす。これが大好物である。 天かすとの出会いは小学生の頃。両親が外出しており、家には祖父と僕の2人きり。もう亡くなってしまったのだが、この祖父が俳句と麻雀の好きな呑兵衛で、なかなか粋な人だった。 昼時になり、祖父が出前でも取るかと蕎麦屋に電話をかける。しばらくすると、2枚の天ざるが食卓に並んだ。二人は特に何かしゃべるわけでもなく、蕎麦をズルズル、天ぷらをワシワシと食べる。あっという間に食べ終わり、席を立とうとする僕に、祖父が「腹に空きはあるか?」と尋ね