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結婚という人生の節目に思うこと



先ほど、ついに入籍しました。たくさんのお祝いのメッセージありがとうございました。小木曽ファンには申し訳ない気持ちでいっぱいなのですが、来世で出会えたら結婚しましょう。


さて、この人生の節目に、今の気持ちを忘れないようにログを残して置きたいと思います。私の気持ちなんて誰も興味はないとはおもいますが、結婚直後のアラサー男性の気持ちが知りたい方は読んでいただけると嬉しいです。

自分の人生の選択

昨年プロポーズを行い、無事入籍も完了したので、いよいよ私はパートナーと共に人生を歩んでいく事になります。


これまで全く別のレールを走ってきた2人が1つのレールを走ることに関して、不思議な気持ちはありますが全く違和感はないです。


そもそも同じレールと言っても、各々がやりたいことをやっていくことには変わりません。プライベートも大切にしつつ、仕事も頑張ります。お互いを尊重して、一番近い存在として支え合い、育んでいきます。



恐らくこれまでと変わる点は、自分1人だけの人生ではないことを自覚して優先順位を決めていく、ということだけです。優先順位といっても、これまでのような私個人の優先順位ではなく、家族としての優先順位を明確にしていく必要があるでしょう。



ちなみに私は昔から意識高い系界隈によく出没していたので、「家族も所詮他人。自分の人生を生きろ」「自分のやりたいことを優先するべき」といった尖った意見を耳にすることが多々ありました。言っていることはわかりますしほぼ同意です。



ただ私の場合、自分の人生を生きる上で家族の存在がとても大切なので、家庭に身を捧げること自体が自分の人生を生きることに繋がります。そのため、しっかりと家族を大切にしつつ自分の人生を生きていきます。



特に私は、自身による意思決定を放棄して家族や環境を言い訳に他人の人生を生きるのだけは嫌なので、自分の選択には責任持って生きていきます。その上で、家族というものをしっかりと守っていきます。


パートナーと価値観のOS

パートナーとは付き合いだした当初から「この人と一緒になりそう」だと感じていました。フィーリングってやつですかね。一緒にいて違和感がなく、素のままでいられる相手でした。心理的安全安心ってこういうことを言うんだなと、しみじみ感じています。


安全安心が感じられた理由の1つとして、価値観の同じであることが考えられます。私はこれを「価値観のOS」と表現しています。


正直30年も全く別の人生を歩んできたのだから、意見が食い違うこともあるし、小さなことで喧嘩もします。


ただ、喧嘩の種となるのはあくまでソフトの部分であり、人間としての価値観のOSは同じなので、ソフト面のアップデートでお互いに改善が可能です。どちらから譲歩し、謝り、改善を繰り返しています。そのサイクルがお互いに早いので、特に問題なく過ごせている気がします。



システムと同じで、バグが全く起こらないように頑張るよりも、バグが起こる前提で備えているほうが人間関係も良くなると考えているのですが、まさにそのような関係を築けています。



だからこそ安心して、お互いの弱いところも許容しあえている。余裕がなくなるとイライラしてしまうこともあるけど、自覚があるからお互いに補えています。

自分の人生を振り返って

自分の人生を振り返ると、それほど立派な人生を歩んできた記憶はありません。むしろ、太宰治風に言えば「恥の多い人生」を歩んできました。そんな私の人生ですが、多くの言葉に救われてきました。


特に、中学の担任の先生が卒業の際に書いてくれた手紙のことは今でもよく思い出します。せっかくなので抜粋しますね。

『お前はなんて誠実な男なんだ。
お前の姿を見るといつもそう思っていたよ。間違ったことが嫌いなんだよな。嘘をつけないんだ。ただ哀しいことに大人になっていくにつれ、正しいことばかりじゃ生きていけなくなる。だがしかしだ、胸の中にはいつも正しいことをしっかりとしまっておくんだぞ!流されても良い。ダマされてもいい。でも自分を失っていはいけない!
肩の力を抜いてありのままで生きてゆけ!背伸びしなくて良い。ありのままでいい。ありのままのお前を理解してくれる人は必ずいる!誰かが必ず見てる!

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いつ読んでも、心が救われる手紙です。


社会に出ると理不尽も多く、荒波に揉まれ自分らしさを失ってしまう人もいるでしょう。私も何度も心が折れそうになるような経験をしています。



ですが、本当にありのままの自分を見てくれる人に出会え、自分らしく生きてきてよかったと思えます。自分を曲げずに現代社会を生き抜くコツもつかみました。この手紙を書いてくれた先生には、いつかどこかでそのことを伝えたいです。



先ほど、「恥の多い人生を歩んできた」と書きました。でも、こうやって一つの分岐点に立って、全てが繋がっていると考ると感慨深いものです。そういった意味では、過去は全て意味のある過去だと言えます。



きっとこれからも、自分の失敗に落ち込むことがあるだろうし、心が折れそうになるくらい辛いこともあると思います。でも最終的にはよくなるのを信じて前向きに生きて生きたいです。自分らしさを失わずに、これまで通り頑張っていこうと思います。



身近にいる人をきちんと幸せにできるように、仕事にも家庭にも尽力していくつもりです。


良い恥と悪い恥

先ほど、恥の多い人生でも意味のある過去だった、という話をしましたが、そうはいっても後悔をしている過去だってもちろんあります。


例えば幼少期、弟が友達にからかわれていたところを助けてあげなかったこと。いつも私についてくるのが鬱陶しく感じて、冷たく当たってしまったこと。弟のゲームを弟よりも早くクリアしてしまったこと。


振り返れば最低なことをたくさんしていて、今でも当時の弟の気持ちを考えて申し訳ない気持ちになることがあります。最後のゲームの下りは半分冗談ですが、ヘルプのシグナルを出しているときは助けてあげるべきでした。もっと優しくして上げることもできたはず。


でも当時の私は自らの保身に走って、それをやりませんでした。私自身の話だから当時の気持ちや立場的な話もわかるのですが、、今だったらもっと寄り添ってあげられました。


そして今、弟と合うと喧嘩ばかりしています。普通にコミュニケーションはとりますが、何か一枚壁がある気がして、多分もう取り返しはつかないところにいるんだろうなと思ってしまうくらいです。


社会人になって、仕事で初めて部下を持った時もそうでした。もっとメンバーに寄り添い守ってあげられたのではないか?と思うことがいくつもあります。


ただ当時は余裕がなかった。のしかかる数字、会社の空気、理想と現実のギャップ、違和感。正直私には余裕がなく、きっと辛辣な言葉で傷つけてしまった人もいます。本当に情けない話で、後悔しています。


恥の多い人生を送るのは良いのですが、他人軸の恥は減らしていきたいです。誰かを不必要に傷つけたとか、大切な人を守れなかったとか、気持ちや努力次第でどうにかなることとか。そういうのはもうなくしたい。


敵を作りたくないとかそういう話ではないです。敵を作らないのは無理です。でも守ってほしい人がいたら守ってあげたい。少なくとも身近な人には言われなくてもそうしてあげたい。


だからこそ自らがもっともっと洗練された強い人間にならないといけないですし、良い恥はたくさんかいて、悪い恥をどんどん減らしていきます。

人生において大切なもの

人生において大切なものは人それぞれです。何を優先にするかもその大切にしたいものによって全く違います。


少なくとも私は家庭を大切にしたいし、できるだけ多くの人を幸せにしたいです。そして、どんな時でも人を信頼して生きていきたい。


私は誰かを信頼するかどうかは全て自分次第だと考えています。七つの習慣という本に「愛は動詞である」という言葉がありますが、信頼も同様に「動詞」であり、自分が相手を信頼するかどうかを「決めるだけ」なのです。


だからこれからも自分の意思でパートナーや家族、そして関わる人を信頼していきます。そして、精一杯相手のことを思いやり、幸せにしてあげることを考えていきていくつもりです。なぜならそれが私の幸せだから。

結びに

今のこの気持ちを忘れないように、ちゃんと言語化しておこうと思ったので、柄でもなくプライベートの記事を書きました。もしかしたらこの記事は黒歴史になるかもしれません。



でもそれも含めて自分の人生です。



ちなみにこの記事はパートナー自身も100%読みます。何を思うかは本人しかわかりませんが、、聞かないでおきます。ただ価値観のOSは同じなんで理解してくれるんじゃないかと。


ということで、明日からはゆるふわにプライベートの記事も書いていくのでよろしくお願いします。


ちなみにプライベートの話は以下のアカウントで更新していきますので、是非ともフォローのほどお願いいたします。



そろそろ締めます。
人生はいいものですね。頑張って生きてきてよかったです。小さい頃から修羅場もたくさん経験してきたけど、本当にしんどいこともあったけど、結果的に今の人生と人格形成に繋がってるから全てよかった。



これからももっともっと人を大切にして楽しく人生を育んでいこうと思いますので、何卒よろしくお願いいたします。



今日はこの辺で。



小木曽

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