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卒業式は、終わりのようでいて始まりなんじゃないかな。

今は卒業式シーズン。最近はコロナ禍で卒業式も簡素化されてるんですかね。それ、本当に悲しい事ですよね。

とあるフォロワーさんの、素敵な記事で、ハッとしました。
私もこれから親として、学校の卒業式に関わるんだと思うと、感慨深いものがあったので。

そんなわけで、今回は私の小学校&中学校の卒業式の時の思い出を振り返って、感じたことを書こうかと思います。

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小学校の卒業式

小学校6年生の時の担任って、今でも忘れられないくらい印象深い。だいぶ前にも記事にしたんですが、新任の女の先生だった。今までになく、生徒と先生の距離がかなり近く、楽しく過ごせたっていう思い出が残っている。

6年生の3学期になると、卒業式の練習が始まる。確かステージに立って、1人ひとりが短い言葉を言う練習をしていた。あと、歌の練習。もう練習の時点で、この新任の担任の先生は涙を流していた。

本番では、私たちは中学校の制服を着て、先生がひとりずつ名前を呼んで、卒業証書の授与をする。先生だけが泣くのを堪えて、すごく頑張って呼んでいるのがとても印象深い。

これは、先生がよほど皆と深く向き合っていた証拠なんだと思う。小学校の頃は、大人や先生が泣くということが珍しく、そしてどういう気持ちなんだろうと考えていたのか、よく覚えていたんだと思う。

中学校の卒業式

3年生の3学期が始まる前日、担任の先生から連絡があった。私は学級委員に任命された。男子の名前も聞いた。たぶん受験前だから、皆で決めるというプロセスは省略されたのだろう。

そして、もう何でかは覚えていないが、その学級委員の男子と席が隣になった。小学校でも中学校でも、ほとんど関わらなかった男子だ。会話すらできそうになかった。でも、前の席の女子が明るく接してくれたせいで、その男子と少しずつ会話できるようになっていた。

中学の卒業式は、まず高校受験という難関を乗り越えないといけない。高校受験の前日、私は熱を出した。風邪じゃなくインフルエンザだった。私は心配性だったのか、勉強はたくさんした。受験校も自分の実力で十分行けるところで、背伸びをしなかったんだけど。

あの頃は多少熱があっても受験させてもらえてので、試験は無事終わった。田舎の高校だから、倍率も1.2倍くらいで多分合格するんだろうと思っていた。翌日には、卒業式前の「3年生とのお別れ会」があった。ただ、インフルエンザなので学校にはいけず、明日は休むと学校に連絡した。

すると、あの隣の席の学級委員の男子まで、インフルエンザだったのである。私たちの学級委員としての仕事は、そのお別れ会のくす玉を割るくらいしか仕事がなかった。でも2人で休むことになった。

それから、卒業式も休んだ。このまま、卒業するのかなぁと思っていたけど後日校長室に呼び出された。あの男子と2人で、校長室で卒業証書をもらった。

もっとも、この後第二ボタンを貰った、なんて言ったら面白かったんだろうけど、そんなオチはなくてごめんなさい(笑)。ただ学級委員二人で、校長室の卒業式となったのが、印象深くて(笑)。

2人とも高熱で受験し、無事に別々の第一志望の高校へ行った。

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どの卒業式でも、私は悲しくて泣いた、という覚えはない。(覚えている限りでは…笑。)それは、卒業式って、終わりのようでいてこれからの始まりのような気がして、期待する気持ちの方が多いからだ。

学校だとしても、小学校だったら、次は中学校があって、その次は高校で。高校の次は大学で、大学の後は社会人で。

卒業してから次のことを考えると、すごい期待を感じ、明るくなる。根拠なんてないけど、新しい区切りやスタートって、人を明るくさせる力を持っているんだと思う。それはちょうど、卒業という時期が、春が始まる季節のせいかもしれない。

この春、卒業や入学をされる方々、おめでとうございます。学生に限らず、社会人や大人になった方で生活が変わるという方も。

卒業と言う区切りがない人でも、3月で一旦卒業と考えて、4月からまた新たなスタートと考えれば、明るく過ごせるかもしれないですよね。

皆さんは、どんな卒業式を経験しましたか?



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