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蹴球症候群

他分野を通してサッカーを解明し、サッカーを通して他分野を解明する
サッカー、またはサッカー以外の分野から日々何を学んでいて、何に気付いて、何に疑問をもち、どんな風に… もっと詳しく
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2021年6月の記事一覧

外在性について

外在性というものを大切にしているのは、 たぶん小さな頃からで、無論当時はそんな言葉知らなかったわけだけど、僕は比較的「外」にいることを好んだと思う。外で遊ぶとか、そういう話をしているのではなく、何か流れの外にいるとか、そういうこと。天邪鬼といえばいいか、人と違う視点を持つことを好んだ。今は、意識的に外在性を確保するように努めているけれど、それには色々理由があったりする。 外在性について、僕よりもかなりの説得力を持って書いている本がある。 外在性そのものについての本ではな

ポジティブとネガティブ

そんなことは気にせずに、「それは真か偽か」を問うてみればいいんだ。実際、組織の健全さは、ネガティブな考えがどれくらい許容されるかで測れるとも言えるんじゃないか。偉大な仕事がなされる場所では、人々はいつも批評的で皮肉屋であり、決して「前向き」で「支援的」であったりしない。私が知っている、偉大な仕事をなした人は、自分はダメだが、他のみんなはもっとダメだ、と考えている。

コミュニケーション、言葉と身体。

本を読むことが好きだからか、文章を書くことをしているからか、言葉には敏感になっていると思う。言葉遣いがあまりに汚い人は、汚い言葉を意図して使う場合を除いて、その時点でちょっと近づくのをやめたりする。日常会話の中で難しい言葉をサラッと違和感なく使ったり、諺を交えて話す人を見ると、どんな本読んでるんだろうと、興味が湧いたりする。言葉は普段一緒にいる人に影響を受けるから、その人の言葉から仕事場の同僚を想像したりする。 それだけならいいのだけど、僕の場合サッカーという「言葉」が「集

サッカーだろうがなんだろうが。

サッカーを生業にしたいと思うようになってから、かれこれ8年くらいが経って、それ以来ずっとサッカーを考えている。過去の記憶を辿ると、小学生の時からサッカーをしていて、その中で色んな大人と関わってきた。僕は大人をよく観察していた子供だったし、もう、ずっとサッカーに関わる大人たちを見てきたことになる。サッカーに関する文章を書くようになったり、サッカーを文化として追いかけるようになると、ピッチの外でも、様々な形でサッカーに関わっている人たちと出会うようになった。 日本の外に行って、

過去の自分と比べる意味

2度目に人生が始まった時のことについて。 よく、他者ではなく、過去の自分と比べるべきだという言葉を聞くけど、それは本当にその通りだと思う一方で、世の中の全てに言えることだけど、シンプルであればあるほど難しい。だからシンプルには価値があるのだけれど、シンプルとは何かを理解するのは、もっと難しい。 それはいいとして、他者と自分を比べるのが良いか悪いかは知らないけど、過去の自分と現在の自分を比べるのは大切だ、といつも思っている。定期的に行っていかないと、何がだめって、それは、人