見出し画像

数年ぶりの荒浜海岸(被災地を振り返って)

僕がここに訪れたのは2011年3月に起きた東日本大震災の1ヶ月後だった。


当時は震度7を観測した史上初の大地震ではあったが、全国からの支援や自衛隊とアメリカ軍の「トモダチ作戦」と呼ばれる救助活動など、様々な支援活動や行政・地元企業における復旧作業が行われたことにより予定よりも早くライフラインは回復した。特に仙台空港の復旧は僅か2〜3日程度で滑走路が使用可能となった(但し救助目的で飛来する航空機・軍用機のみ)。


1 行こうと思ったキッカケ

特に明確な理由はなく、何となく海を眺めたいなと思っていた。

自転車があって且つ手軽に行ける場所(といっても自転車で1時間程度)だったことと、震災以降一度も訪れてなかったので、思い切って行ってみようと決意した。


今年上旬に帰国してからは何の目的もなく、仕事を探すもいまいちやりたいことも見つからず、一旦決まった会社に入るも職場環境とその他全てが肌に合わず辞めてしまったりと、今まで以上にうまくいかない日々に苛立ちを感じていた。

特に今年はコロナの影響でどこにも行けない状況が続いているので、県内で且つ公共機関を使わずにいけるところはないかなと思っていた時に「そうだ!荒浜海岸へ行こう」と思ったのがキッカケである。


2 実際に行ってみて

現在もまだ一部現場は工事中ではあるが道路や避難所的な場所など、思ってた以上に整備されていた。

海岸付近も近くに行くことは可能。(但し遊泳は禁止となっている)

画像2

海岸近くに建てられた慰霊碑


画像3


画像4

奥に見えるのが「避難の丘」と呼ばれる高台。海岸の反対側に作られた避難目的の場所。


画像5

荒浜海岸付近

画像6

画像7

画像8

この日は風が強かったので波の勢いもやや強めではあったけど、久々の海というか波風・波の音がとても心地よかった。

この日は平日だったが、意外と荒浜海岸に訪れている方々を何人か見かけた。ある人は釣りをしていたり、ある人はサックスの練習だったりその他は僕と似たような目的で海の景色・波の音を求めてこの海岸に来ていた


画像1

当時津波の被害があった仙台市立荒浜小学校。現在は震災遺構として残されている。この日もツアーか何かで訪れている団体を見かけた。屋上には中学生らしきグループがいるのが見えた。



3 当時を振り返って

当時僕は山沿いの団地に住んでたのでさほど被害には遭わなかったが、沿岸部付近の情報は殆ど得られなかった。震災直後は電気水道ガスが止まってたのでTVも見れないネットも見れない状態だった。

父がカーナビでTVをつけて見ていたが「かなり大きな津波が発生したらしい」という話を聞き、後日地方紙である河北新報が大急ぎで作られた1〜2枚程度のページ数の新聞を見た時、衝撃を受けた。


その後毎年3/11はこの海岸で追悼式が行われている。(但し来年はコロナ禍もあるので、例年どおり開催されるかは不明)


年数が経つにつれ、当時被災した時の記憶が薄れていくのは心苦しい限りではありますが、だからこそこの地球規模で起きた出来事を風化させてはならないと僕はそう考えます。


もしこの海岸へ訪れたいという方がいましたら、ぜひお越しください。


最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。

今後ともよろしくお願いします。

Thank you for reading this to the end.

よろしければサポートをお願いします❗️