決断

決断とは、「決めて断つ」という事

数少ない親友がいる。彼は半世紀近く続く企業の後継経営者としての立場だ。出会いは、近所で行き付けのBARだった。出会ってかれこれ10年。

彼とは全くの同い年で、その点で意気投合したのは間違いないが、出会った当初の印象は最悪だった。

「学歴コンプレックスの塊」

当時の彼を表現するならば、この言葉がぴったりだ。確かに「学歴」で言えば僕の方が上だ。彼は関西の有名私立。僕は旧帝大。

彼と出会ったのは、カウンター越しだった。

この記事でも書いた通り、僕は以前バーテンとして勤めていたことがある。そこのお客さんとしてカウンター越しに出会ったのが、彼との最初の出会いだった。

常連客の集まるお店。彼はその常連の一人。その中でも、彼はどこかとっつきにくく、誰も彼の懐に飛び込むことはなかった。彼もそれを拒んでいたようにも感じた。差し当たりの人当たりは良いものの、当時はとにかく尖った存在だった。僕も当時は、どのようなスタンスで接していいのか分からなかったし、当時の彼も僕の事をバカにしていたきらいはあった。

「学歴はあるが、ただそれだけのやつ。話してもオモンナイ。」

恐らく、彼にはそう映っていたのだと思う。というか、今でもそう言われている(笑)。他のお客さんには極めて上品に接するにも関わらず、彼は僕に対してだけは良くも悪くも上から目線でモノを言う。なんてったって、「経営者」だから。そんな彼に対して、僕は当初あまり良い印象は持っていなかった。

「なんだこの頭でっかち野郎は」

そんな風に思っていた。実際、当時の彼は頭でっかちだった。だが、「雇われる人間」からすると想像できないほどのプレッシャーを彼は感じていたのだろう。その事が今になればよく分かる。

彼は3代目の後継経営者として、彼の父が営む企業で専務取締役という立場を今も担っている。入社の時点で彼は20代。後継経営者の方なら分かると思うが、先代との比較など、彼等は彼等なりの悩みや痛みがある。

その痛みを緩和するためかのように、彼は毎晩の様に僕が勤めていたBARに通っていた。当時の彼はこう言っていた。

「行き詰まった時とか、お酒がストレス解消になんねん。」

その気持ちもとても良く分かるものだ。一人の人間としてもそうだが、自身の職業柄もあるのだろう。後継経営者の気持ちが良く分かる気がする。


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出会ってから3ヶ月後くらいだろうか、ある日カウンタ―越しから彼が誘ってくれた。

「今度一杯飲みいかへん?2人で。」

どんな罵声と暴力を浴びせられるのかと、少々ビビりながらその誘いに応じた。近隣でも有名な焼き鳥屋に彼が連れて行ってくれた。とりあえず同行したものの、正直何を話題に、どのような話をしていいのか僕は分からなかった。ただただ、浴びるようにビールを飲んだ。

それ以来だろうか、彼の態度に変化を感じる様になった。シンプルに言えば「仲良くなった」という事。そんな感覚を僕は感じていた。当時の彼がどう感じていたかは分からないが。

勤務日以外の日も、僕は「お客さん」としてそのBARに行くことがあった。大抵、彼は独りで飲んでいた。僕は彼の隣にいつも座り「つまらない話」を繰り広げた。その「つまらない話」に彼はそれなりに付き合ってくれた。

僕は経営コンサルタントとしての仕事をしている。その事は世間話の中でも彼に伝わっている。「だからこそ」彼は、僕を良くも悪くもいじってきたのかもしれない。


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彼の父が経営する会社に彼が勤め始めた時、マイナス5000万の赤字計上が数年に渡って続いていたそうだ。自己資本率が高いとはいえ、社員200人以上を抱える企業がこの数字を数年に渡り続けている事は、余りに、余りに致命傷だ。

彼はその点についてとても敏感だった。経営者としては当然だろう。だが、彼の父(社長)はそうでもなかったそうだ。

彼は死にもの狂いで勉強し、経営改革に踏み切った。時に父や旧来の社員とも喧々諤々とバトルを繰り広げながら、改革を実行し続けた。

これがどれほどのストレスをもたらすか分かるだろうか。ドラマ半沢直樹の比ではない。既得権益を貪る人間との対決は、あのドラマ以上に想像を絶するものがある。案の定、彼は幾度か心身を壊している。

それでも彼が再起を図り、改革を続けたのは、彼なりの想いやビジョンがあったからだ。それはそれは強い、彼の人柄が反映されたビジョンがあったからだと思っている。

後継経営者としての立場以上に、企業を守る事はすなわち、社員を守る事でもある。社員にも家族がいる。その家族を守る事でもある。

彼は、「守る」為に自身の命を削り奔走していた。だが、いつも出会うBARでは、彼はそのような片鱗を一切見せない。上品で紳士な、若手経営者として周囲には認知されていた。

そんな彼が、僕は好きだった。

「何かっこつけてんねん。」

そう思う事もしばしばだったが、彼は真摯に「経営」に向き合っていた。それは彼の発言を聴けば分かった。彼がどんな思いで経営に従事しているのか。どんな風に会社のビジョンを考えているのか。

その店で出会う唯一の人間として、彼は僕に心を開いてくれていた。


その事が如実に伝わったエピソードがある。

夕方から飲み始め、彼と合流し、朝方4時にいつものBAR。そろそろ帰ろうかというタイミングで、彼は僕を自宅へ招待してくれた。

「もう一杯だけ、俺ん家で飲まへん?」

お互いにアルコールは相当に入っていたが、彼はまるで素面の様だった。



自宅に着くまでは…



彼とは約週に1度ほど出くわす仲だった。お互いに何も約束もしていないのに、まるでお互いがどこにいるか分かるかの様に鉢合わせた。その流れの中で、彼の会社の現状や彼が抱える悩みを聴く日々が続いていた。その日もその延長だった。

もう一度言うが、彼は誰にもそのような話をしなかった。僕が突っ込まなければ、僕が経営支援の仕事に従事していなければ、彼と同年代でなければ、決して聴くことが出来ない話だったと思う。

自宅に着いた彼は、おもむろに未開封の赤ワインを開け、二人分のグラスについだ。そして乾杯をした。

僕は正直、「どうした?」と思っていた。彼から自宅に招かれることなど、ある意味想像もしていなかったからだ。

乾杯をし、一口赤ワインを飲んだ後、彼は僕にこう言った。


「俺、間違ってたんやろうか…。」


彼は泣いていた。

命を削り、自社の経営改革に取り組み、年間マイナス5000万の赤字計上から、年間プラス5000万の黒字計上へと、4年の歳月をかけ達成した。だが、既得権益にすがる旧経営陣(彼の父である社長も含む)からは、極めて残酷な扱いを受けていた。その事を、彼はその場面で僕に吐露した。

一時、専務取締役としての立場も剥奪されたそうだ。

その事に対して、彼は大きなショックを受けていた。考えてみれば当然の事だろう。

「企業の命題とは何か?」

それは企業を存続させる事である。雇用を創出し続け、従業員を守る事でもある。その為に、社会から必要とされる企業でならなければならない。時代の変遷に沿って、環境適応業を体現しなければならない。彼はその点に拘り続けていた。誰が何を言おうと。

「あの」彼が泣きながら、


「俺、間違ってたんやろうか…。」


と言った瞬間を今でも鮮明に覚えている。大した返事はできなかったが、

「そんな事はない。お前さんが守りたかったものは何だ?それが今守れている状況じゃないか。誰が何を言おうとそれは間違いない。お前さんはそんな自己卑下をする必要などない。」

ありきたりな言葉しか俺は返す事ができなかった。だが、彼はその言葉を待っていたかの様に安堵の表情をした。そして、そのまま絨毯の上に倒れた。彼はそのまま眠りについた。

彼の眠りを見届け、俺は自宅に帰った。不思議と酔いはなかった。「あの」彼が、そこまで思い詰める状況だったのだ。長い関係性上、そこまでの事は今までに一度もなかった。よほどの心的ストレスがあったのだろう。


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「決断」てのは、言葉の割にとても重たいものだと思っている。その「決断」を彼はした。そして、経営改革に踏み切った。その結果、既得権益を貪る人間が犠牲になった事は確かだ。だが彼は、会社の中長期的な繁栄を考えて考えて、考え抜いた末に、自ら泥をすする役割を担ったのだ。

こんなに漢前な人間を、俺は他に知らない。誰にも語れない痛みを抱え、独り孤独に、それでも全体最適を常に考え、彼は改革を実行した。

彼の会社は、今も順調に収益を伸ばしている。今では彼のビジョンが浸透し、会社も上手いこと回り始めている。彼の抱えた「痛み」がようやく報われる時期になっている。


今でもその彼とはいつものBARで出くわす。お互い、何も示し合いもしてないにも関わらず。僕の勝手な思い違いだろうが、僕が彼を親友だと思っているように、彼も僕の事を親友だと思ってくれているのではないか。

そんな風に思っている。

彼との10年来の付き合いがそれを証明してくれているのではないか。勝手に僕は、そんな風に思っている。

いつものお店で出会ったとて、特に何を話すわけでもない。


僕:「最近どうや?」
彼:「まあ、ぼちぼちやなあ」


たわいもない話をしつつも、彼との絆を俺は感じているし、彼もきっと感じてくれているのではないだろうか。

そんな淡い期待を元に、今日も彼に会いにいく。


おわり

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