ショットバー

それでもなお、生きていく。

「オトンと一緒に風呂入っててん。そしたらオトンがふと『いいか、これからはお前が母さんと妹達を守って行くんだぞ。』って言うてんやん。小学生の俺は意味も分からんまま、『うん。』て答えてんけどな。」


彼の父はその翌日自ら命を絶った。借金苦を理由に。


ほろ酔いの中で、少しだけ笑みを浮かべながら淡々と語る彼の口調。

俺は黙ったまま大粒の涙を流しただけだった。しばらくの沈黙の後、彼の方から話し始めた。空気を重たくしてしまったのは俺の方だった。


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毎日の様に取り立てに来る借金取り。玄関先で暴言を吐き、わめき散らす。残された遺族の事を想うと、あまりにも心が痛む。どんな気持ちだったのだろうか。どれだけ怖い思いをしただろうか。

当時小学生だった彼を始め、その妹達は、理解に苦しんだ事だろう。


・何が起こっているんだ?
・そしてそれはなぜだ?


案の定、しばらく理解できなかったそうだ。

それでも彼等は、「今」を懸命かつ真摯に生きている。

夫の死後、彼の母は水商売を始めた。それで生計を立て、何とか「生き凌い」だ。借金を背負いながら。どれ程の苦労があっただろうか。どれ程辛酸を舐めてきただろうか。想像し難い上、安易に労うことすら憚られる。


今回の物語の主とは、もう約10年の付き合いがある。同年代という事もあり共通の話題も多く、懇意にして頂いている。これまでも沢山お世話になったと思っている。今でももちろんだ。

彼は今、自営で飲食店を経営している。様々な人間模様が溢れる夜の世界。良い事ばかりではないが、己の腕一本で商売を続けている。

そんな彼を、俺は心から尊敬している。


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彼は元々裕福な家庭に育った。父親はそれなりに大きな事業を展開し、当時新聞の一面を賑わす事もあったそうだ。

何不自由なく、幸せな生活が続くはずだった…

彼もきっとそう信じて疑わなかっただろう。だが、人生何が起こるか分からないとは正にこの事。事業が傾き、再建を図るも負債が膨らむばかり。その重圧に耐えきれなかったのだろう…彼の父は自ら命を絶った。冒頭の言葉を彼に残し…。

その後の彼は、絵に描いたように捻くれた。若くして人生に落胆し、周囲への羨望が自己への怒りと転化していく様子は想像に難くはないだろう。

「なぜ、俺だけ…」

学業成績は抜群だったにも関わらず、彼は地域でも評判の「ヤンキー」となった。警察に何度もお世話になったそうだ。高校には進学するものの中退。別の高校に改めて進学するも再度中退したそうだ。

だが、飯を食わねばならない。生きていかねばならない。彼は今でも、彼の父が残した遺言を大切にし、忠実に守っている。


『いいか、これからはお前が母さんと妹達を守って行くんだぞ。』


彼は10代で飲食の世界に入り修行後、ワーキングホリデーとして欧米に滞在した。帰国後は彼の母が営んでいたお店を改装し、自身の店舗として経営をスタートさせた。

個人事業や中小企業は、創業後1年でその大半は廃業してしまうという統計データから鑑みると、創業以来10年以上が経っているという事実は称賛に値する。

圧倒的なコミュニケーション能力を武器に、彼の店を訪れるロイヤルカスタマーは絶えない。俺もその一人だ。

彼は「場」を創るのが本当に上手い。顧客同士の接点を見つけ、会話を繋ぎ、顧客同士の関係性を構築する術に非常に優れている。地頭も良く、お笑いからシリアスな人生相談まで、その射程範囲は広い。


何を隠そう、僕は彼の店でのスタッフ第一号だった。商売のイロハと、万人に対応できるコミュニケーション能力は、間違いなく彼から授かったものだと思っている。

彼自身、もちろん苦手なタイプのお客様もいるようだが、誰でも分け隔てなく接する優しさと、相手の話を親身に傾聴する能力は抜群だ。

元々の人柄もあるが、とにかく想い遣りに溢れている。店を出ていく顧客は必ず笑顔で店を後にする。皆に愛されているお店であり、悪評の類を聞いたことがない。


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僕自身も在日であるが故の悩みを、つらつらと聴いてもらった事がある。単なる肯定でも否定でもなく、極めてニュートラルに話を聴いてくれた。

「俺の方が不幸だ!」とマウントを取ってくることもない。言葉の一つひとつに感情移入しながら、適宜相槌をしてくれながら、丁寧に話を聴いてくれた。一連の話を聴いてもらった事自体に、今でも感謝している。


どうして、こんなにも優しいのだろうか?


そんな風に考える事もある。彼の優しさはいったいどこからやってくるのか。理不尽な事も多々あるだろう。だが、彼はいつもニコニコと、誰にでも優しく接する。商売だからという理由以上に。

ここからは僕個人の勝手な憶測だ。

その要因を一言で表せば、

「死生観」

だと考えている。身近な人間の死は、その逆の「生」について考える機会にもなる。極めて哲学的な問いだ。

・生きるとはどういう事か?
・「良く」生きるとはどういう事か?
・その為に何が必要か?
・どうすればその状態足りえるか?

こうした問いに、一つひとつ丁寧に思考を積み上げていく。自身の内面を掘り下げ、自問自答を繰り返す。もちろん一朝一夕に回答などでやしない。だが、その過程を通じて徐々にその輪郭が形成されてくる。

「自己分析」と安易に一括りには出来ない。

俺はそう思っている。より「深淵」な、ある意味誰にも理解され得ないモノだと思っている。

彼とそこまで突き詰めて問答をしたことはないが、彼にはきっと彼なりの「死生観」がある。その死生観が、彼の人柄や人格を形成している。そんな風に俺は思っている。



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幸か不幸か、これまでの記事達でも述べてきたとおり、年齢の割に多くの「死」と俺は遭遇してきた。後悔する事もない訳ではないが、彼等に託された命を以って、「今」を生きるしかない。だが、社会的な存在である人間は、他者の存在なくして生きる事などできない。

だからこそ、他者の「良く生きる」を支援することで、俺は生かされていると思っている。その積み重ねが、自身の人格修養にもなると思っている。


・何故・何の為に、俺は生きるのか


その問いに対する答えは既に明確になった。関わる人達の「人生経営」を支援する為。綺麗ごとに聞こえるかもしれないが、俺の中では綺麗ごとではない。誰が何と言おうと構わない。好き放題言えばいい。

精神的にも経済的にも、可能な限り関わる人達を守りたいと切に願っている。その為の自己研鑽であり、自己修養だろう。


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そんな俺自身も、一人の弱い人間である事には間違いない。そんな時、たまには彼に会いに行こうと思う。

「いらっしゃい。まいど。」

いつも変わらぬトーンで声を掛けてくる彼に会いに。その「生き様」に勇気を貰いに。

その彼と同じように、自身の「生き様」を以って、良い影響力を発揮できる人間に俺ももちろんなる。決して、「あなた」を俺は見限らない。


おわり


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