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卒論が終わりました

はじめに

「文章って難しい」

これは、先週のnoteと卒論を通して感じたことです。

先週の「SOTSURON」のいいねは「2」でした。
面白い文章が書けたと自信を持っていたわけではないですし、2名の方がその文章を「いいね」と思って下さっただけで嬉しい話ですが、それでも多少ショックだったりもします。



文章力

文章力という言葉がありますが、noteには面白い文章を書く力が必要です。
しかし、論文では面白い文章ではなく、正しい文章が必要だったことをこの一か月で学びました。

僕は大学生になってから書くことが好きになり、このnoteも継続的に書いてきたので十分な自信を持って挑んだのですが、思うような文章が書けず、論文を書き始めた初期はかなり苦しみました。

これまで無闇にインプットしてきた知識・情報を論理的な文章に落とし込むことは想像を絶するほど難しいもので、一回出来上がった文章も次の日に読み返せば論理が破綻したものであったことに気づき、また書き直しては、破綻して、また書き直して、を昨日の今日までひたすら続けてきました。

それも一人の力ではブレイクスルーできるものではなく、先生やゼミ生たちからフィードバックを受けながら日々論文を作り上げてきました。


実は、卒論は本日17日の16時に締め切りだったのですが、昨日の夜に有志を募ってお互いの卒論を校閲する会を開いたことで、そこに参加したゼミ生たちは昨日から今日に掛けて多くの修正をすることになりました。

論理が破綻していて、形式もぐちゃぐちゃで、誤字・脱字だらけで、提出の仕方も分からなくて、「これまでお前は何してきた!?」と友人たちの論文を読んで驚いてしまったほどです。

こんなことを書かれたら周りのゼミ生は憤りを感じるでしょうが、卒論を通して、学生間の力の差が露呈したと思っています。

それは、「これまでの大学生活4年間で何をしてきたか」の差なのですが、もう一つ鍵となる力の差があると思っています。

それは、想像力です。



大学で何をしてきた

僕が所属するゼミにおいては、意図されてかは分かりませんが、頻繁に書くことが求められます。

2年生からいくつもの課外プロジェクトに参加し、授業ではマーケティングに関する研究をして、「表現する力を鍛えるプログラム」と「ソーシャル・イノベーション」という講義を受けて、振り返りや議事録、課題など本当に色々なタイミングで自分の頭の中を文章化してきました。

僕はこれをきっかけに文章を書くことが好きになったのですが、他のゼミ生もちゃんと取り組んだからこそ、卒論に挑んでいるはずです。
大学で身に付けた力を試すために卒論をかいているはずです。

しかし、信じたくはありませんが、例えば、

「日本は昔高度経済成長期を経て、豊かになったが、それによって多くのものを失い、そしてさまざまな社会問題が起こっているにもかかわらず、日本人たちはそれにも目もくれずに自分のことしか考えておらず、この論文はこのことをテーマとして、将来の日本人の在り方を考えることを目的とする。」

みたいな支離滅裂な文章が、同期のゼミ生の論文には散見されました。

大学を卒業する直前に、ですよ。
就活終えている学生たちが、ですよ。

もちろん、彼らもこれまで集めてきた膨大な知識・情報を処理しきれなかった結果、そんな文章が生まれてしまったことは痛いほど分かります。
しかし、これまでの3年半でたくさんの講義を受け、テスト・レポートで単位を貰ってきた学生たちが、以上のような文章を書いてしまうことは由々しき事態だと僕は思っています。


大学生の中でも比較的真面目に学業に取り組んできた学生たちが、こんな文章を書いてしまうのです。

昔の僕なら、「大学がダメ」と言っていたでしょうが、今はそうではないことが分かります。

これはどう考えても、その学生本人の責任です。
講義と、テストと、プロジェクトと、ゼミ研究と、そして自分と、深く向き合おうとせずに表面的なことで満足して大学生活を送ってきたからこそ、このような文章を生んでしまうのです。



想像力

卒論で露呈した学生の差。
それは「想像力」だと言いましたが、それはどういうことでしょうか。

先ほど例として挙げたこの文章。

「日本は昔高度経済成長期を経て、豊かになったが、それによって多くのものを失い、そしてさまざまな社会問題が起こっているにもかかわらず、日本人たちはそれにも目もくれずに自分のことしか考えておらず、この論文はこのことをテーマとして、将来の日本人の在り方を考えることを目的とする。」

これは、僕がさっき適当に書き殴ったもので、とてもひどい文章です。
頭の中が整理されていない証拠です。

しかし、どれだけひどい文章でも、改善はできます。

後で自分で読み返して、「あれ?この文章意味が分からなくないか?」とか「これ、他の人が読んですぐに理解できる文章になっているだろうか?」と必ず思うはずです。

いや、思わなければなりません。

にもかかわらず、卒論の提出日の前日になってまでこのような文章が生存しているということは、その人が「一度書いた文章が完璧なものであると思い込んで、全く見返さない大バカ者」か「読み返しても、その文章のどこがおかしいのか分からない超大バカ者」のどちらかでしょう。

自分で制御しきれないない支離滅裂な文章を、いかに他者の目線になって読み直すか。

自分が完璧だと思う文章を、どれだけ客観視して批判的に見ることができるか。

この自分ではない何かになる想像力が、同じゼミに所属して、共にプロジェクトを経験してきたゼミ生の間で「正しい文章」「正しい論文」が書けるかの差が生まれた要因だと思います。

今の段階ではこの力を「想像力」として考えていますが、「ひょっとしたら違うかも?」「分かりづらいかも?」と思いながらこの文章を書いています。
今回は時間が無いのでこのまま進めますが、これも想像力でしょう。


想像力の他にも、構成力や忍耐力など、さまざまな力がないと「卒論を完成させた」ではなく、「たくさんの労力を掛けて単位を貰った」になってしまいます。
書こうと思えば、三日で卒論は書き終えることができることを証明してくれた大バカゼミ生がいましたから。



後輩たちへ

それでは、そのために何をしたらいいのでしょうか。
想像力を鍛えるためには、何をしたらいいのでしょうか。

ここからは、ゼミの後輩たちへのアドバイスです。

みんなnoteを書きましょう。

noteを書けば、想像力はもちろんのこと、冒頭で述べた面白い文章を書く力(僕が鍛えられているのかは分かりませんが!)も正しい文章を書く力も鍛えられますし、何より自分の文章が如何にヒドいかを確認することができます。

「自分の文章を見られるのが恥ずかしい」という人たちもたくさんいると思いますが、大学卒業したのにまともな文章を書くことができない方がよっぽど恥ずかしいよ、と優しい先輩がムチを打ってあげるよ!!

「何かnoteに書けることがないか」と、より周りを見て生活するようになることで日々の彩りが増して、表現することの楽しさに触れて、自分の不甲斐なさに打ちのめされて、就活にも役立ったりして(!!!!!!)、変な資格を焦って取ろうとするよりもnoteを書くべきですよ。

「いいね」が少ないとちょっとは落ち込むけどね。
それも、良い経験だと思って僕は毎週投稿頑張ってます。

そして、僕は週1投稿から週「2」投稿へと変えようと思います。

卒論終わったしね。
たくさんの勉強になるしね。

木曜日と、あとどの曜日にアップするかはまだ決めていませんが、頑張りたいと思います。

後輩たちへ、卒論は「執筆時にどれだけ頑張るか」も大切だけど、「執筆前までにどれだけ力をつけているか」こそ大切だよ。
頑張って!!



おわりに

半年以上も取り組んできた卒論が遂に終わりました。

提出したところで自分で勝手に改善しても良いのですが、一旦は休憩します。
ただ、論文は読んでもらってこそ価値があるので、配れるとこには配っていかないとですね。

僕の卒論のタイトルは、
「新たなスポーツ観戦者の姿を考えるーギブ・アンド・テイク理論によるスポーツ観戦者の3類型ー」
です。
興味がある方はご連絡ください。


さて、大学を卒業するまで残り約3か月。
「これをしなければならない」みたいなのが何もない、つまりフリーダムな3か月です。
こんなの高校の仮卒期間振りじゃないかな。

僕はやりたいことがたくさんあります。
卒論期間中にメモに溜めておきました。

それを書いて、終わりにしましょうかね。


・ショッピング
・簿記の勉強(商学部生なのに簿記大苦手)
・英語の勉強(来年の冬からNZへ留学するから)
・裁縫(服欲しいけどお金貯めないといけないから、リメイクで楽しむことにした)
・ものづくりセンター(大学の構内に3Dプリンターとかを置いている施設があって、材料費さえ払えば何だって作ることができる。僕はまずはカメラケースを作ります)
・プログラミングの勉強(大学のプロジェクトの一つで今年のMicrosoftイマジンカップに挑戦しています)
・写真用のインスタ開設(フィルムカメラと一眼レフカメラでたくさん写真撮って、Photoshopとかで加工して、ソールライターみたいな写真を上げたいです)
・資本主義社会の理解(これに関しては僕もよく覚えていません)


残り3か月の間でどれを実行できるでしょう!!!
noteの更新をお楽しみに!

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