心理学の観点で見た『SPY×FAMILY』の子育て
『SPY×FAMILY』はスパイ、殺し屋、超能力者、予知能力のある犬が偽装の家族をつくるというホームコメディです。
作中に登場するアーニャとその両親に血縁関係はなく、家族同士がお互いに「家族を演じる」という契約のもと暮らしています。
一見すると荒唐無稽で、そんな家族はすぐに破綻しそうだと思われます。ところが現代的価値観で見れば『SPY×FAMILY』の家族は理想的な家族と言えます。
かつては家族とは自動的になるものでした。
結婚をすれば夫婦に、子どもが生まれれば親に自動的になっていました。
ところが現代では家族とは努力をしなければ継続できないものになっています。
古い日本的価値観の家族が成り立たない様子は是枝裕和監督の『そして父になる』で描かれています。
古い日本的価値観を保持しようとした結果、家庭や社会が壊れていく様は赤堀雅秋監督の映画『葛城事件』で描かれています。
『葛城事件』の上映と同じ年、『逃げ恥』のドラマが放送開始します。そこでは男女が話し合いをしながら家族を経営していく様子が描かれます。
西島秀俊と内野聖陽が出ている『きのう何食べた?』では主人公二人が「パートナーにとって自分とはなんなのか?」と悩みます。私達はこの二人のやりとりを見て「そうよねー、恋人どうしってそうよねー」「一緒に暮らすってそうよねー」と共感をするのです。なんか知らないゲイのカップルがなんか暮らしとるわとは思わないでしょう(まあ、そういう人もいますけど)。
このように現代においては家庭という社会で自分のアイデンティティについて悩むのは当たり前になってきています。
繰り返しになりますが、そのような時代で『SPY×FAMILY』に出てくる家族は決してフィクションラインが高いものではないのです。
作中ロイドさんが始めてアーニャに出会った頃、アーニャは「無口だ」と紹介されていました。
事実アーニャはほとんどしゃべらず、超能力を使って相手の心を読み、それに対して自分の心の中で応えていました。
言葉を発したとしても「ちち」や「ピーナッツが好き」のような単語か短い文章での発話のみです。
言葉の発達の遅れが見て取れます。
これはアーニャが抑圧的な政府の実験場で暮らし、ネグレクト状態の孤児院で暮らしていた過去を考えれば納得ができるでしょう。
アーニャはコミュニケーションをとってくれる大人のもとで暮らしたことがないのです。
そんなアーニャをロイドさんは引き取ります。
ロイドさんは完璧なスパイですが、完璧な父親ではありませんでした。
アーニャを任務のための道具としか考えておらず、自分の手がかからないことを望みました。
アーニャを家に置いて一人ででかけようとします。
アーニャがあまりにも賢くないので今からでも子どもを取り替えようとすら画策します。
アーニャと手をつなぐのも周りの大人から怪しまれないためという外発的動機づけによって行ったものです。
ロイドさんは父親になるとはどういうことなのかを知るために子育ての参考になる書籍を読み漁ります。
この手順は正解と言えます。
現実の世界でも子育て本を読む保護者は多いです。
ロイドさんのことですから、おそらく学術書も読んだのでしょう。
子育てには子どもの発達に合わせたケアが必要です。
メディアの情報を鵜呑みにしてはいけませんが、このようにまずは基礎知識を固めていくことはよい手順と言えます。
アーニャのいたずらによってアーニャは悪者に連れ去られてしまいます。
ロイドさんの機転によってアーニャは無事救出されるのですが、子連れで逃げ切ることは難しいと考えたロイドさんはアーニャを安全な孤児院に行けるよう工作をして、アーニャに一人で逃げるよう指示を出します。
ロイドさんは悪者を全員倒してしまうのですが、その後一人で逃げたはずのアーニャが戻ってきます。
アーニャはやはりロイドさんと一緒にいることを選びます。
アーニャの一連のこの行動はエインズワースの『ストレンジ・シチュエーション法』の実験にほど近いです。
アーニャはこのときロイドさんに抱きつきます。
接触による関係性の構築はハーロウによる代理母の実験で証明されています。
この経験を経て、ロイドさんは初めて自分が父親であらねばならないと実感をします。
ロイドさんはアーニャのために家を用意して、テレビやアーニャの勉強部屋、ぬいぐるみなどを用意してあげます。
これはマズローの5段階欲求の内2段階までを用意してあげたことになります。
この概念は我が国の基本的人権の尊重にも書かれています。
私達は健康で文化的な暮らしをする権利があります。
よく健康に注目する人は多いのですが、「文化的」もとても重要です。
アーニャにとって自分の好きなテレビ番組を見れたり、好きなおもちゃに囲まれることは文化的に満たされていることを意味します。
アーニャはロイドさんと一緒にお昼寝をしたりします。
ロイドさんはスパイとして油断してきていると反省しますが、これはアーニャがロイドさんとタッチ(接触)をする関係になったことを意味し、アーニャにとって二者という社会的な関係が初めて生まれたことを意味します。
多くの場合子どもが最初に二者の関係をつくるのは母親とですが、『SPY×FAMILY』では父子の関係が最初に成立するのです。
ロイドさんは任務に妻役が必要であることを知り婚活をします。
アーニャの機転によって無事にヨルさんと夫婦になることができ、アーニャにとっては母親ができたことになります。
アーニャはこれで二者から三者の世界観を得たことになります。児童心理学の観点から見ればこのように少しずつ関わる人が広がっていくことで子どもの心はより複雑に育っていきます。
ヨルさんは家庭に入って初日からロイドさんをサポートする役割を担います。
サポートというのはかつては「ほら、お父さんも言っているでしょう」というのが一般的でしたが、現代では夫婦で価値観が違うほうが子どもにとって多様な価値観に触れる機会が増えるという観点から好ましいとされています。
ロイドさんがアーニャに勉強を教えている際厳しくし過ぎたことがありました。
優秀なロイドさんにはアーニャがなぜ勉強ができないのかがわかりません。
アーニャは勉強が嫌になって逃げ出してしまいます。
アーニャが勉強嫌いな理由は政府の実験施設にいた際、無理やり勉強をさせられていたからです。
また、年齢から考えるとメタ認知が十分でないことから自分の能力を客観的に見ることができません。
くわえて学校生活にうまく馴染めていないという環境要因もあり、アーニャは学校生活そのものに対して消極的になっていました。
ロイドさんはそんなアーニャにスパルタに接しようとしますが、ヨルさんは「それはアーニャさん御本人が望んでいることなのですか?」とロイドさんに問いかけます。
ロイドさんはそこで自分の勝手な都合でアーニャに厳しく接していたこと、アーニャのレベルに合わせてケアができていなかったことを悟ります。
驚くべきは、ロイドさんはそのように気づかせてくれたヨルさんにお礼を言います。
ヨルさんは主にアーニャにスポーツを教えます。
ヨルさんのいいところは、身体の使い方などロジカルにスポーツを教えることです。
昔のアニメのように単に厳しく、無茶な特訓をさせるわけではありません。
このように論理的に教えることでアーニャは自分で考えてスポーツをすることができるようになります(まぁ、演出上アーニャがうまくいくことはほぼありませんが)。
アーニャは学校生活を通して同級生や保護者以外の大人(先生)との関わり方を学びます。
アーニャがダミアンを殴った際、言い訳を考えてバツを減らしますが、このような行動もまた正常な発達を遂げていると言えます。
アーニャは学校ではほとんどベッキーと過ごしています。
これはアーニャが問題児だから友達が少ないともとれますが、この時期の子どもたちは多様な人を受け入れ集団を作るということができません。
三人でグループになった途端誰かを仲間外れにすることも珍しくないのです。
そのため、アーニャとベッキーが常に二人で過ごしていることも決して変なことではありません。
コミックの最新刊ではアーニャが活躍して、クラスでの扱われ方が変化するというエピソードがありました。
このように様々な体験を通して子どもたちは社会性を学んでいきます。
アーニャたちももう少し年齢を重ねれば次第に自分たちで集団を作ってルールを作って運用するようになるでしょう。
子どもたちのそのような集団を心理学用語でギャングといいます。
ロイドさんはアーニャの細かな変化にも気づくようになりました。
例えば跳び箱が二段飛べるようになったとか縄跳びが五回飛べるようになったなどです。
これはロイドさんがアーニャのことを観察し、ケアできている証拠です。
ケアといえばロイドさんはヨルさんのこともケアしています。
妻として母親としてちゃんとできているのかと悩むヨルさんに対して「十分できているよ」と言葉をかけます。
ヨルさんはロイドさんやアーニャに美味しいものを食べさせたいと思い苦手だった料理を頑張ります。
結果、自分の故郷の味を再現することができます。
これはアーニャにとっても自分の母親の文化的背景に接することができる良いチャンスです。
ロイドさんは時々ヨルさんをデートに誘います。
仮初の夫婦なのでほんとにいちゃいちゃするわけでありませんが、「親である自分」から開放される時間を作るのです。
こうしてロイドさんもヨルさんも自分という「個」と向き合うことができます。
デートの最中アーニャはロイドさんの友人もじゃもじゃに預けられます。
かつては家庭のことを外に持ち出すことは恥ずかしいことだとされていました。
また、子どもを放っておいて親が遊びに行くとは何事だと言われていました。
ですが、こういう親の姿を見ることでアーニャは困ったときは誰かに助けを求めてもいいことを学びます。
また、もじゃもじゃという親でも先生でもない大人と接することで心がより複雑に成長します。
ロイドさんはもじゃもじゃやハンドラーに子育てについて諭させることもあります。
昔は黙って俺についてこいという父親像が理想とされましたが、現代では他者に相談することで親が親として成長していくのです。
ヨルさんは自分があまり勉強が得意ではないので、弟のユーリにアーニャの家庭教師を依頼します。
アーニャはこうして兄弟関係というものを学んでいくのです。
ユーリとの関係を通してアーニャは勉強する意味について考え始めます。
このように子どもは必ずしも親と先生のみから気づきを得るわけではありません。
社会の中で様々な気づきを得て成長していくのです。
ロイドさんはアーニャに勉強以外の体験をさせようと音楽やスポーツも体験させます。しかしどれも不得意なアーニャの様子を見て、社会貢献をさせます。
このようにその子に得意なことを見つけ、その能力を伸ばす機会を与えるのは適切なマネジメントだと言えます。
さて、学校生活にも徐々に適応できはじめ、内発的動機づけから勉強をしようと思ったり、友達と仲良くなろうとするアーニャはマズローの5段階欲求のうち5段階まで達してきていると言えます。
ロイドさんとヨルさんの仕事の価値観もとても重要です。
時折二人共自分がなぜ今の仕事をしているのか悩みます。
悩んだ末、世界を良くしたいからという信念の元今の仕事を選んだことを再認識します。
社会を良くしたいからという動機づけを向社会的動機づけといいます。
この二人のような価値観こそ、マズローの欲求の6段目「自己超越の欲求」と言えます。
アーニャにとってはこういった価値観を持つ大人がいるということはとても貴重なことです。
アニメシーズン2にも入るとアーニャはより複雑な感情表現ができるようになりました。
「鎖鎌のバーナビー」という単語を発する際様々な抑揚を使い分け自分の複雑な感情を表しています。
あきらかにロイドさんがアーニャに出会ったばかりのころより心が発達していると言ってよいでしょう。
あのシーンだけでロイドさんとヨルさんの子育てがうまくいっていることを示しているのです。
アーニャはロイドさんに「普通父親はこういうとき…」と行動を提案することが増えていきます。
豪華客船では「うるせー、こっちくんなー」とロイドさんに叫びます。
一見口答えしていように見えますが、これは子どもにも親に意見を言ったり、提案をする権利があることを表しています。
かつては「子どもなんだから親の言うことを聞くのは当たり前」でした。
繰り返しになりますが、現代においては努力しなければ親は親になれません。
ロイドさんはアーニャのこれらの言動を見て心理状態を心配し、自分が適切にケアできていなかったことを反省し、次はどんな行動をするべきか考えます。
様々な体験や出会いを経てアーニャは共感性を身につけていくことが予想されます。
こうしてロイドさんとヨルさんは次第に親として成熟していくのです。
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