「構成主義」 知識は本当に普遍ですか?
こんにちは!
先日、構成主義についてとてもわかりやすく書かれた短い漫画をネットで見つけました。
みなさん「構成主義」という言葉、聞いたことがあるでしょうか?
今日は構成主義的な学習について書いていきたいと思います。
ちなみにそのわかりやすい漫画を先に載せてしまうので、
漫画の方ががいい場合はこちらをご覧くささい。笑
ワークショップやアクティブラーニングが流行っているのはなぜ?
最近、巷で有名なワークショップ型、アクティブラーニング型の授業。
そもそもなぜこれらは流行りだしたのでしょう。
実は、この背景にあるのが『構成主義』といわれる考え方です。
そもそもの発端は、
「先生の話を聞いててもよくわからん」
「全然頭に入ってこない」
「そもそも学校で学んだ知識が社会で使えない」
といった学習者からの生々しい声から始まりました。
実はこの問題はヨーロッパではずっと前から研究されていて、
それに対して一つの答えを出してありました。
その一つの答えが「構成主義的な学習」でした。
ではその、構造主義とはなんなのでしょうか?
構成主義とは
さて、構成主義の話をするにあたり、一つ疑問があります。
「知識」とはなんでしょうか?
日本では知識とは
誰かに教えてもらうもの、
自分で調べて学ぶもの、
普遍的な(誰と共有しても違いのない)もの、
頭に(記憶)に入れるもの、
といったイメージが強いのではないでしょうか?
この考え方を客観主義と呼びます。
これに対し、
知識とは
自らの経験を通して培うもの、
経験と深く関係するもの、
個々人によって違うもの、
という前提のもと
学習者が経験することによって自ら構成するもの
とするのが構成主義の主張です。
例えば、「火」について考えてみましょう。
「火」を客観主義から捉えると、広辞苑に書いてある言葉で事足ります。
しかし、いかがでしょう?
「火」とは広辞苑に書かれている言葉で事足りるでしょうか?
知識として十分だといえるでしょうか?
これに対し「構成主義」では
「火」という知識に対して経験を要求します。
触れようとしたら熱かった。
暗い時に着けると安心できた。
料理をするときに便利だった。
これらの経験があって初めて「火」を理解するのです。
つまり「火」はその人によって違うのです。
教育における「構成主義」と「客観主義」
さて、ここで2つの主張を教育に落とし込みながらを見ていきましょう。
<客観主義>
みなさんお気づきのように、従来型の教育のベースはこの客観主義です。
多くの方がこの客観主義的な考えをお持ちではないでしょうか?
この考え方のいいところは、
知識は普遍的なものであるため伝達が可能であるという点にあります。
つまり知識とはそれ自体を相手に共有することで容易に拡散できるのです。
これにより、学校教育は多くの学習者に一斉に知識を提供するシステムを実施しています。
講義型授業は「知識は普遍のものであり、容易に共有できる」という前提のもとで実施されています。
例えば単純に記憶力の良い人がいたとします。
いわゆるフォトグラフィックメモリーです。
彼らからしたら、この知識はとても簡単に多く取り入れることができます。
テストもしやすいです。
全員が共通で持つ知識を覚えているかどうかを測ることは、構成主義的な知識を測るよりよほど簡単です。
しかし、知識に経験が紐づいていないため、実際にその知識を使おうとすると困ることがしばしば起こります。
上の例でいくと、
「火」がどれくらい熱く、危険なのかがわからないのです。
使い勝手がいいことはわかりますが、どのように応用できるのかも未知数です。
これが「客観主義的な学習」の特徴です。
<構成主義>
もう一つの構成主義から、学習を見てみましょう。
構成主義の最大の特徴はなんと言っても
「知識」に必ず「経験」が付属される点です。
そのため、どうしても普遍的な知識ではなくなってしまいます。
現在の学校教育との相性は悪く、
大多数の学習に一斉に行うのが難しいです。
安全面、環境、教育者の理解、学習進度など、課題が山積みです。
何よりの課題は時間がかかることではないでしょうか?
経験学習を多く取り入れているシュタイナー教育では、やはり一般的な学校と比べて、網羅されている範囲が狭いように感じます。
(個人的には全く問題を感じないのですが、、笑)
しかし、知識を経験や感情と絡めて記憶するため、記憶の定着にはとても良いです。
そして、経験を通して細かい関連知識を多く取り入れることができるので応用力もあります。
実際に知識を役立てることができるようになると思います。
再び「火」を例にとると
「火」を実際に見たり使ったりすることで、
その独特な匂い、温度の変化、大きさと明るさの関係、消す難しさ、
など実に多くの微細な情報を得ることができます。
この経験によって、
「こんなに熱くなるなら、洗濯物を乾かすのに使うのは危険だな」
「これだけ明るいなら夜の森でも移動できそうだぞ」
など応用が効くようになります。
これが、「構成主義的な学習」の特徴です。
まとめ
さて、どちらの主義をもとにした教育の方がみなさんは良いと感じましたか?
どちらにも良さがあると考えています。
特に高度経済成長期、大量生産の時代においては客観主義的な学習がとても有効的だったのではないかと思っています。
しかし現代においてもその状況は変わらないのでしょうか?
僕自身、大量に客観主義的な知識を記憶することができないので
入れた分からどんどん抜けていきます。
(はい、悲しいです。😭)
そのため、現在も仕事で使う知識や、経験に基づく知識しか記憶に定着していないのが実際のところです。
もし、世の中の多くの人が、僕と同じようなタイプであるのなら
そもそも客観主義的な知識を無理に詰め込むことに意味はあるのでしょうか?
それは本当に「効率的」なのでしょうか?
さて、今回は「構成主義」について書いてまいりました!
最後までお読みいただきありがとうございました。
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