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宿題って必要??

宿題の有無について
教育を考える人たちの中ではよく話題にあがります。

まだほとんどの学校で当たり前に宿題はあるけれど
少しずつ なくすorあり方を改める 方向に
動いているように感じます。


嫌々やっても実にならない
「学び」ってもっと他にある
家庭の負担
チェックする先生の負担


私もいろんな理由があって、
なくしていいんじゃないか、と思っていた。

でもまた少し考えが変わってきたのが最近。


私は教員だったので、宿題を出していた側です。

その当時は、宿題を出すことは当たり前。

・学習習慣の定着が目的
・国語と算数をバランスよく
・国語は漢字ノート反復、算数は計算反復
・音読カードは必須
・学年×10分
・毎日チェックして返却

教員をやっていた14年間、
これらが当たり前としてあった。

そう教わったし、
どの学校に行っても、どの先生に出会っても
このやり方をしていて
何の疑いもなく、そういうもんだと思っていた。

しかも市を越え県を越えても、みんな同じ。
これってすごいこと。
歴史あるんだなぁと思う。


あと、本題からちょっとズレるけど、
宿題チェック係がいた。
名簿でチェックして提出していない子に声をかける。
宿題に限らず、先生の指示に従ってるかどうか
クラス全体で管理しあってる構図になっていた。

今となってはこの構図こそが
子どもが行きたくなくなる要因の一つだよなーと思う。



さて、そんな宿題が当たり前だった教員時代から
自分の子どもが小学生になった保護者として
また、子どもが学校に行きたがってない保護者として
今は宿題を見ている。

娘が学校に行きたがらないようになって
学ぶ意欲の高い子、理解力も発想力もある子だからこそ
「学ぶ」ってなんだ?って思い始め

宿題って意味がない

そう思うようになった。


嫌々やって、何になる?

身も心も砕き(親も子も)なんとか工夫してやってみたものの、
フィードバックも特にないし
え、やらせるだけで終わり?

だったらもっと進んでやりたいものでいいんじゃないか?

しかも、やっていかないと休み時間にやることになるんだけど
それって子どもにとっても先生にとってもつらくないか?


子どもにとって意味のあることなの?

誰のため、なんのためのものなの?

慣習ってだけなんじゃない?

だとしたら、考え直す必要あるんじゃない?


書きながら思い出して、すごーくもやもやしてきた。笑
意味があると思えないものに、時間と労力を割くのって、
できればやりたくない。

「やりたくないことをやらせる」モードにならなきゃいけないのが
特につらい。

教員時代もそのへんごまかしごまかしやっていた。
自分にも子どもにも嘘をついていた感覚がある。

もう嘘をつきたくない。


宿題だけじゃなく
学校でやっていること(授業、行事、指導)
学校のあり方に対しても
根本から見直したい気持ちはそこにある。

嘘じゃなく、本当の気持ちから、胸張って
「学校って素晴らしいよ〜」「いい教育だ〜」
って言いたいし

子どもたちの
「学校楽しい!」「学校に行きたい!」
って姿が見たいな。

それが私の願い。



そんなこんなで、娘が1、2年生のうちは、
宿題の優先度はとっても低く
娘の気が乗ったらやるくらいにしていました。

(先生にも相談し、心の負担にならないよう、無理なくやらせてもらっていました)


それが、息子が小学校に入学してから
宿題に対する私の見方が
徐々に徐々に変わっていきました。


宿題って、大事かも!?
いいかも!


自分でも驚く変化が。


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