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本当の自分を出せない

教員時代は

教員という肩書きがあって
仕事ぶりはまあ評価されていて
特別専門職のような役割も任じられていました。

なので、側から見たら、それなりに「できる人」
で通ってました。


そう思われてるから
その評価を崩さないように
時間外にも仕事をがんばり
後輩にもアドバイスしたりして

「できる人」でい続けました。


居心地の悪さも自覚していたし
自信がない自分にも気づいていたけど

でも、仕事ってそういうもんだと思っていたし
そのやり方・生き方しか知らなかったんです。



「できる人」としての自分で人生が進んでいくけど

私の内側では

「できない自分」を刻み込んでいました。



表向きの自分と
内側の自分が
どんどん離れていくのが苦しいのに

表向きの自分を崩せずに
内と外のギャップが大きくなるばかり。



本当の自分を出せないのって
結局

プライドが邪魔をしていたんだな、と思います。


(教員の生きづらさって、これがあるんじゃないかと思う!)

(「先生」はつらいよ・・・)



そんなこんな
矛盾やちぐはぐで生きてましたが

内側の自分と
外に見せている自分と

その不一致が何よりストレスだったし
心を蝕んでいたと思う。


プライド

今でも邪魔をしてきます。


イベントをやるにしても
いいものを提供したいって必死になっちゃうし

noteの文章だって
読まれるのかな、価値があるのかな、
って気にしちゃうし


自分そのままを出す・表現するって
本当に難しい。


でも、

外に出す自分と
内側の自分とが

一致していると気持ちがいいのは確か。


やっぱり

自分に嘘をついていたくないから。

なのかな。


嘘をつくって
実はものすごいストレスになっているのかも。


誰かを騙すとか
そんなつもりはなく

自分を守るために
本当の自分ではない表現で
ちょこっと嘘をついちゃうだけなのに

それが自分を蝕んでるなんて。


だから、今、みんな

ありのまま とか
自分らしく とか
等身大で  とか

その方が、長い目で見て、
幸せな人生になるんだろうと
私も思う。


プライド
強がり
本当の自分をごまかす
つい周りに合わせちゃう


まだまだ
乗り越えるものはあるなぁぁ。



でも、やっぱり

自分の内側にある
本来の自分らしさや
譲れない想いや願い
自分だからこその強みなど

明確になっていればいるほど
自信を持って自分を表現できるようになる。

どう思われるか、よりも
自分がやりたいことや表現したいことを
大事に進んでいける。

そう思います。


本当の自分を出せないのは
プライドや周りからどう思われるかのこわさもあるけど

自分がわからない
確かなものがつかめていないってのが
実は大きい気がする。



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