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【不登校ぎみ娘の母&元教員】学校の「評価」「通知表」について考える

小3になった娘、
フリースクールと学校のハイブリット登校をして3年目になる。

娘も親も学校も、関係性を温めながら、
娘に会った方法を模索した結果、定着してきた。
順調になった今だからこそ、
今年はもうすこし踏み込んでこちらの要望も伝えていこうと
整理しているところ。

前回は、「給食費と教材費」について思うことを書いた。

今回は「評価」について。

家庭に知らされる我が子の評価としては通知表がある。
娘、2年生3学期の学習面は、「オール真ん中」だった。

この評価に、うーーーん、違うんだけどな、と思った。

親バカフィルターも多少ある、としてだけれど、
教科問わず理解力も表現力も高い方だと思っている。


これまでの通知表を見ても、思っているより低かった。
まあ行ってないしね、仕方ないよね、
それでも他の子と同じように付けてくれてありがたい。
とすら思っていた。

評価なんてどっちでもいい。
娘が伸び伸びと生きていてくれれば。
わかる人が見てわかってくれていれば。

そう思う一方で、

娘の本来の力を、正当に評価してほしい。

それも親心として当然ある。
そこに2年間は蓋をしてきた。
今年は開けるタイミングが来たような気がする。

ちょうどフリースクールの代表とも
新年度の進め方などを話していて
「いやー、理解力が高いからもっと先に進めそうなんですけどね」
そんなふうに言ってもらえたところだったのもある。

今年はうやむやにせず、
「うーーーん、違うんだけどな」
をちゃんと言語化して明らかにして、
感情を浄化した上で、冷静に学校側に伝えたい。

ちょっとドキドキするこの課題に取り組もうと思う。

ちなみになんでドキドキするかというと、
先生たちがやっていることを否定してしまうかもしれないから。
否定したいんじゃない。一緒に考えたいだけ。
でも、否定と受け取られてしまうかもしれない。
そうすると心閉ざしてその先に進めないのを知ってる。

否定じゃなく、建設的な提案として上手く伝えるには、
私がめちゃくちゃ整っていないといけないのだ。

がんばりどころだーーー


「評価」に関して思うこと

私が娘を親バカフィルターでなく、ある程度客観的に見られているのは、
10年以上の小学校教員の経験があり、延べ300人近い子どもたちの評価をしていた側だからというのは大きい。

いろんな子がいるのは知っている。
だれしも凸凹があるのも承知している。

その上で、娘を正当に評価するならば、
もう少し上にいる子だと思う。
それが現状の評価規定における正しい表現だと思うのだ。

だがしかし、

学校に行っている時間が短い、
テストを受けていない、
そのせいで評価が下がっている可能性が高い。

通知表のあの「よくできる・できる・もうすこし」みたいな
何段階かの評価は「テストの点数」をもとにして付けられている。

学校によって評価システムは違うけれど、
私の経験上、ほとんど全ての学校がそれを採用している。


テストの点数は評価に反映される。
それは間違いない。

そして授業に取り組む姿勢や発言、ノートに書く思考の記録など、
これも評価の材料になる。

そう考えると、
学校に行って、授業やテストを受けて、
通知表を出す先生の前で何かしら表現しないと
正当に評価はされないのは致し方ない…

だから、
学校は学校、と割り切るしかない。
その方が幸せじゃないか。


・・・と思っていたのは昨年までの私。


先の教材費に関するnote記事にも書いたが、
フリースクールも出席日数と認められている。

つまり、

娘はフリースクールに通った日も、
学校に出席したのと同等だとみなされている。

で、これは書類上・法令上のことだけでなく、
昨年強く感じたのは、

学校が娘のフリースクール通学を認めてくれている
良しとしてくれている
そこで力を伸ばしてきなさいと言ってくれている

ということ。


それはそれは、本当に涙が出るほど嬉しいこと。
だって、法的にそうなのだとしても、
変なことをしている家庭、外れた家庭と思われながらいるのはつらい。

でも、多様な在り方を認めてくれた。
その選択を良しとしてくれた。
他の子とは違うけど、あなたもここの一員だよと言ってくれた。

その温かさを感じながら過ごせた2年生だった。

だから、評価うんぬんよりも、
そうしていられることのありがたみが大きかった。


そして、安心安全が得られたからこそ、
今年は次なるステージにいくときなのだ。


出席日数としての認定もあることなので、
フリースクールでの時間もしっかりと評価に入れてほしい。
その両方の時間を合わせて、娘の正当な評価を表現してほしい。


これが今回伝えたい趣旨。


手数かけるなぁ。迷惑だろうな。
新しいことをやってもらうわけだから…。

その気持ちもある。大いにある。

でも、思ってしまったんだから後に引けない。
そこの道を開いた方が、
私にとって、娘にとって、学校にとって、社会にとって、
長い目で見ても絶対に必要なことだと思うから。

すぐにどうなる、ってことは期待せず、
1年かけて築いていこう、くらいの気持ちでやってみたいと思います。



親目線で、娘の評価を…という話を書いたけれど、
教員目線でも評価のことを少しだけ。


そもそも、評価とは?


これを考え実践することを真剣にやってくれている学校は
どれだけあるだろうか。

まず教員は忙しい。
そしてこの教育システムの中では
何らかで線引きして評価しないといけないから致し方ない、
教員時代もそんなふうに思っていたけど、

本当にこの方法でいいか??

本当にその評価の仕方で
その子の力を理解し表現できているのか?

そのテストでその採点法でその子の能力を計れるのか?

そもそも、評価・評定をつける必要があるのか?

この評価システムがあるから、テストが重要視され、
先生の指導の仕方もテストありきになってしまう。

それって教育なのか?


いろんな問題が絡んでいるし、正解があるわけでもない。
でも、考えることをやめてはいけないと思う。

だって、通知表にとどまらず「評価」は、
その子がこれからどう自分を発揮し表現していくかの土壌になるから。

言い換えると、
その子が自分を発揮し表現していくための
土壌になるものでなければならない。

自分を客観的に知る材料になるものであってほしい。
将来の方向性を広げたり絞ったり選んだりするものであってほしい。


だからこそ、
どう評価して、どう伝えるのか、

そしてその子がどう自分に活かして
どう未来をつくっていくのか、

先の先までを考えての教育であってほしい。
それを後押しできるような活動をしていきたい。

そのための一歩、として、
今年は何か、私にしかできないことで前進していきたい。


子どもの幸せのためには、
大人のあり方・考え方のアップデートが必要と思っています。
自分がどう在るか。
そこを柱とした発信を続けていきます。

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